シリーズ・人間は信頼するに足る・本質は沈黙にある。 |
また取り出して、ページをめくっていたら
「言葉の根幹は沈黙だ」とあり
「沈黙とは、内心の言葉を主体とし
自己が自己と問答することです。
自分が心の中で自分に言葉を発し、
問いかけることが、まず根底に
あるんです。
中略
本質は沈黙にあるということ、
そのことを徹底的にかんがえること。
僕が若い人にいえるとしたら、
それしかありません。」
吉本さんも逝ってしまい
もう
こういうおとなは
ほかに
いるのだろうか・・・・?
先日テレビをみていて
つくづく
この世から逃げたい・・・と
思い、沈鬱になりかけました。
私はお笑いが大好きで
”クズ”を自認するお笑い芸人は
すばらしいなあーと
いつも思います。
さらに、ブラマヨの吉田君なんか、
彼も浅草のゴロゴロ会館で
見ましたが、
クズの”クズ道”を極めており
ほんとにいつも感心しますし、
ブス道を究めている
女芸人などは
彼女たちこそ聡明であるとも
思っています。
ほんとうに利口な人間は
決して主役になろうとは
しませんからね。
しかし問題は
テレビに出てくる
”自分はクズではない”と
思っている
クズのひとたち、
聡明ではないのに
聡明ぶっている女たちなどなど
ああああー
世の中はこれほどまでに
劣化しているのか・・・と
うんざりして
イヤダ、いやだ、嫌だあーと
自分が反応している。
なんか変な嫌悪感や
イライラが募ってきたので
テレビを消して
沈黙のなかに
沈み込みました。
椅子に横なって
じーっと自分に集中して
考えているうちに
ああーそうかあ・・・と。
この世の表層に現われている現実は
本質ではなく
本質は
表面には
現われ出ない
無意識のなかにある。
つまり
この世の本質は
表面で騒々しく、
いかにも時流にいる人間たちではなく
それを
外から眺め
じーっと沈黙している人間達の方にこそ
ある。
表面の騒々しき人々は
むしろ
時流に流され
沈黙的世界から
あぶれた人間達、そのものだという
静かなるイメージと
ビジョンが
浮かんできた。
本質は
沈黙の世界のほうに在る。
そう思うと
表面の人間達は
ただただ、わずかな層であり
むしろ
そこに逆立している沈黙世界
或いは
表面社会の
その底流に棲む
圧倒的多くの
人々たちが
思い浮かんできました。
そこへと
わたしの精神の絆が
結ばれてゆくにつれ
人々への
力強い信頼と
共感が湧いてきた。
この世は
あの
軽薄な人間達が牛耳っているのではない。
むしろ
日々を淡々と生きている人々の手に
ある。
そうだ、そうだ
そうだった・・と
むっくりと
起き上がり
いつもの
家事をやり始めた自分が
いました。
ほんとに
そうだね!
思えば
仏教の在り方の様相を
一変し
それまでの
貴族及び武士の・・・(ちょうど今やっている清盛の時代だね、)
律令国家のための仏教から
無明なる庶民の救済の仏教へと
導いた
法然、そして親鸞も
そのまなざしをむけたのは
表層で踊る権力を握る人間達では
なかったねえー。
ほんとに
そうだったなあー!
ああー、
ヤレヤレ、
この世から逃げないで
またいつもどおり
やるか!


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