シリーズ 映画「流 ・ながれ」よりを書きはじめます。 |
自分の内部から突き上げてくる
神経症的な、脅迫観念と
自罰意識に悩まされ続けていました。
これでも一応カウンセラーですから
それらの原因が、
母からバトンされた脅迫観念と
両親からバトンされた完璧主義と
その裏ある、
失敗に対する
過剰な自罰意識であること、
更にそれらがホルモン体系の分泌をとおして
まるで毒のように体に廻ってしまい
その結果、
エネルギーと免疫の低下で
私がかなり弱っていることは
ちゃんと認識できています。
しかし私は落ち込んだその穴から
なかなか出られない。
カウンセリングでは
おおきな意識障害物としての
自己抑圧は取ることはできても
身体に無数に散らばる
小石や砂利ののような自己抑圧は
人生をかけてとるしかないのです。
私もそれを見つけては
取る…という事を
ずーっとしてきました。
しかし
まだまだそこから
逃れることができない。
つまりそれは
私自身が、
そういう生命の体系を持ってしまったこと
(バトンされたこと)を
宿命的に受けいれるしかない・・・と
瞬間的、自動的に起きてくる
その情動を根気よく
自己カウンセリングしがら、
受容するしかないんですね。
まあ
そういう風に
しのぎながらも
もっと深層にみえてきたことが
あります。
それは
人間として”存在する”ことの痛みとしての
・生きる恐怖
・失う恐怖
・他者からの認知や信用を失う
つまり関係が陥没していく
恐怖と悲鳴
です。
まあ、これは私自身が溺れそうになりながら
見えてきた風景であり
もしかしたら
他者にはもっとほかにも
あるかもしれませんね。
そういう中で
映画「流・ながれ」の
村上監督と能勢カメラマンが
漫画家の奥友志津子さんが描いてくれた
ポスターの原画を持ってきてくださいました。
それは
奥友さんが無心で打ちこんで描いた
素晴らしい原画で、
それをチラシにして
その裏面に
私の言葉を載せてくださるそうです。
その時にいろいろお話しながらの流れから
少しだけ、
私が映画「流・ながれ」を
精神分析的に
絵画分析をしました。
その分析を監督にお話ししながら
あゝー、あの映画は
今こんなに深く私に突き刺さっていたんだなあ・・と
改めて思いました。
深くね・・・・・。、
それで、監督に許可を頂き、
映画の絵画的心理分析をすこしだけ
織り交ぜながら
しりーズとして
映画「流・ながれ」を書いてみようと思います。
それは
もしかしたら時に読んでくださる皆様にとって
苦いものとして、
嫌になる毒も含んでいるかもしれません。
しかし、協力正直に書こうと思っています。
どうなるかはわかりませんが
でも
出口に射す光だけは
見えています。
それでは
少しずつ書きはじめると
します。
