家族の時間! |
小坂さんが
「こうやってずっと家族をやってみると
男と女というのはむしろ相手は誰でもいいんであってー
むしろ極端な話でいえばですが、
そこにいっしょに過ごした時間みたいなのが
どういう意味なり関係を生んでいくかということに
家族の大きな位置があるのでないかといったのです」
(見田宗助著作集 Ⅱ 岩波書店)
まあ
これだけ取り出しすとスゴイ短絡のように
思われますが、そうではなく
家族というのは、そのいっしょに過ごすプロセスで
様々な問題がおきてきて
そのたくさんの障害や課題をその都度解決し
超えていく中から、その絆や価値が
生まれてゆく・・・ということですね。
まあ
相手が誰でもいいというのは
明らかに間違いで
人間は必ず自分の何かを投影した相手を
えらぶものです。
そして、相手との中で起きてくる確執や
トラブルにも、おおきな意味や、
自分が気づかなければならない
”大切なこと”が潜んでいます。
だから
家族の問題はその関係性を
どのようにしたら、
自分も家族も幸せになれるかと…という事を
常に突き付けられているのでも
あります。
だから簡単にそこから逃げたりしては
いけません。
それは、自分にとって大きな損失になるとともに
自分に気づく大きなチャンスですからね。
ときにそれは自分にとって
受け入れがたいことでも
煮え湯を飲む覚悟で
受けいれなければならないですし
家族を崩壊させないためには
自分の一番見たくないものを
直視しなければなりませんね。
だから家族全員が信頼しあう・・という関係までに
至るには
長ーい年月や、徒労に近い努力の積み重ねながら
お互いの突き付けてくる問題に向き合うことが
必要です。
”家族”という自分の前にそびえ立つ山を越え
暗渠のような深い河を越え、
やっと平原に辿りつく頃
それは人生の終演近くにも
なるのですね。
それくらい家族は
大変ですが、しかし
その家族の葛藤を解決していってこそ
自分が抱えている問題も
解決してゆきます。
人間は変らない・・・とよく言われますね。
しかしそれは
他者は自分の思うとおりの人間には
なってくれない・・・と言う意味で
つかわれているようにも
思います。
私は人間が変わってゆくプロセスや
ほんとう、生き返ったように変わった人を
たくさん見てきました。
まあ
それは変るというより
本来あった
その人の純粋さを取り戻したからとも
いえるのですが。
自分がなぜその人間を選んだのか
家族がなぜ対立するのか
なぜ、そこに断絶がうまれるのかなどなどを
根気よく、あきらめないで解決してゆくプロセスこそ
自分も家族も熟してゆく過程だと
思います。
そういう意味にでは
小坂さんの
『いっしょに過ごした時間みたいなのが
どういう意味なり関係を生んでいくかということに
家族の大きな位置ある』というのは
その通りです。
家族は実は
自分にとって
たくさんの宝の山なのだと
思います。