2012年 10月 06日
シリーズ・自分の自然性で生きる・社会に適応するとは? |
昨日は鬱治療の本の事をかきましたが
最後の方の書いた以下のことについて
書きます。
『1社会に適応することも
2人生を豊かにすることも
3対人関係がスムーズにいくことも
それは
自分に根拠を持ち
120%の自分で
イキイキと生きることで
イキイキと生きるとは
自然な自分そのままが
受けいれられてゆくことです。』
つまり、
自分の自然性に基づいて生きることが
なぜ、”現実的”に有効であり
1社会に適応でききる・・・かを
もう少し詳しく書いてみましょうね。
○まずは社会に適応するという事の本質とはなにか
私たちは人間は、集団、組織、社会、で生きています。
だからそこには不可避的に
様々なる人間の欲望や思惑が錯綜し相克してしまうという
ことが、自然発生的に起きてしまいます。
それらの欲望や思惑の膨張と暴走を防ぐために
その集団、組織、社会を貫通する想念として
共通の掟、規範 道徳そして
その社会の共通認識らしきもの(常識といわれるもの)を
・・・・・
いわゆる社会の”枠”として
設定しています。
しかしそれは必然的に
お互いを規制し、縛りあうものでもあり、
その枠がゆるければ、
それほど苦しくはありませんが
その枠が自分の自然性をどんどん浸食し
ぐるぐる巻きのように
自然性の自由を奪ってゆくと
それに押しつぶされて
自然性が行き場を失っていきます。
もう息苦しくてたまらなくなります。
その時
◎自分の自然性に目覚めている人は
そこにある
掟や、規範や、常識や 道徳としてあるものが
ほんとうに、自分にとってどうなのか・・・ということを
”自分の自然性”にそって
検証し、選別し、距離を置いていくことが
できます。
まあ、そこがかなり不自然なところだと気がつけば
それなりに距離を起き
受け入れを選別し、
自分の自然性とヴァランスを取ることができます。
しかし
◎自分の自然性を抑圧しているひと
いわば、我慢ばかりしている人は
盲目的に、
そういう規範や、常識や道徳や
時に暗黙の縛りとなるその集団の掟に
従わなければならない・・・と
思いこんでいる人
思い込まされている人は
それらを検証することもなく
識別することもなく
ひたすら誠実に従順に
そこに取り込まれ、
自分のなかに矛盾をかかえこみ
それらが自分の自然性と対立するばかりのなかで
どんどん、追い詰められ
息が苦しくなり
自分の中の自然性が抑圧されて
悲鳴をあげていきます。
では
自分が悲鳴をあげている
そういう社会や集団や
組織の中を貫通しているそれらの想念は
ほんとうにその集団や、組織や社会にとって
有効で生産的なものなんでしょうかねえ・・・?
答えは簡単です
”ノー!”です。
人間を生かし、
集団の成員がいきいきとしていないところに
どうして
有効で生産的な想念があるのでしょうねえ・・?
勿論、人間は野放しにされると
どんどん自分の欲望や自我が
膨張、拡大してしまい
当然他者との衝突を生みますから
そこには、その集団に共通する
ゆるやかな枠というものは
必要です。
心理的にも
人間はまるきり自由で何をやってもいいよ!と
言われると、逆に不安に陥り
パニックになります。
もともと自我は
自分の内部が外部(他人や集団や社会)へ向いて
成立している意識ですから
人間そのものが
常に外部世界との緊張のなかで
ヴァランスを取りながら
生きているのですね。
だからこそ
そこには自分の限界を支え守る、
他者との境界線、
社会や集団や組織のなかで
それぞれの人間の限界の境界線を
保障する
ゆるやかな枠や規範や共通認識が
つまり、
ゆるやかに自由の行き過ぎを止める枠の設定も
人間にとってはとても大切なのです。
しかし
その枠が必要以上に
人間に介入し
お互いを縛りあうなら
その枠そのものが
今度は障害になってきます。
そして重要なことは
その枠の裏側に
人間不信や
人間恐怖やなどが
張り付くとき
その枠がどんどん強化され
人間を縛る狂気の想念となってしまうのです。
つまりそれは
人間の自律性を信じられない人間の集団ということで
そこは
人間は生き生きとそして
自分の可能性や有効性や生産性を生かす
或いは
生かされる場所ではない・・という事です。
でもね
それでもね
自分の自然性をチャ―ンと維持し
自分の自然性=自分の根拠を持っている人は
そういう集団の中でも
きちんと距離をとり
介入を防ぐことができます。
ここまで妥協しますが
ここから先は
その介入を拒否します・・・という
明確な”意識”
自覚的な”意識”を持つことで
それはたとえそこでそういう風に
表明しなくても
・・・・・・・
そこに強い自分の意志があれば
・・・・・・・
相手に自然に伝わってゆきます。
その場合は事と次第によっては
その集団から疎外されたり
無視されたりするかもしれませんが、
しかしその場合も
いわゆるパワーヴァランスで
その人間の意志が弱く
覚悟が弱いと
相手はどんどん介入をしてきます。
逆に
いとも簡単に
深刻にならず
アッケラカンと
そういうことは受け付けません。
自分のなかに介入はさせません・・・という
明確て、明瞭なものがその人に溢れていたら
それだけで相手はあきらめてしまうでしょう。
しかしそこに
相手に分かってもらいたい・・という甘えや
説得しようという傲慢があると
たぶんそれが相手とのトラブルの接点になってしまい
相手に自分の甘えやスキをみせてしまいます。
いとも簡単に
深刻にならず
アッカラカンと
自分の意志のとおり生きれるということは
自分のなかに確固たる根拠があるという事です。
そしてその根拠とは
自分の自然性であり
その自然性とは
命がいきいきと元気なことです。
自分の自然性を失わず生きている人は
存在感があります。
昨日訃報を聞いた”大滝秀治”さんも
”樹木希林”さんなんかも
そういう存在感を感じます。
自分の役割どころをチャ―ンと自覚しておられるけれど
自分の自然性(自分の存在の根拠)の上に
しっかり立っているように
見えます。
自分ひとりでは行けてゆけない人間が
ふっと解放感を感じるのは
他者と自分がともに解放されている時です
それは他者と自分とが
同じことを
喜んでいる瞬間です。
その瞬間を思い浮かべてみてください。
ほら
こころが解放されているのが
わかるでしょ!
社会に適応するとは
いかに
他者との間で
自分の自然性に基づいた
解放の時を共有するかです。
厳しく戒めさせて頂きますが
それは
決して相手のご機嫌をうかがうとか
相手に合わせるとか言うことでは
決して
アリマセンよ!
そんなことを
いっさい
捨ててしまうことです。
賢くいきる!
考えて生きる!
究極的には
自分を
いかす!人生を考える・・・。
自分を無駄死にさせないことですね!

『伝心柱マガジン』
● 告知
映画「流・ながれ」ロードショウについて
Moreをご覧ください。
↓
告知
以前このブログでもご紹介した
ドキュメンタリー映画「流・ながれ」のロードショウが
10月27日(土)~11月2日(金)10:30/12:30/18:00の1日3回上映!
それ以降は朝のモーニングショーとして
11月3日(土)からは10:30の1日1回!
ポレポレ東中野で上映されます。
それで
このブログを読んでくださっている方で
御覧になりたい方に
私からチケットをギフトします。
たくさんの方に見ていただきたいので
ご遠慮なさらずにどうぞ・・・。
お待ちしています。
ご希望の方は、コメント欄に非公開で
お名前とチケットの郵送先をお知らせください。
●「流・ながれ」のホームページはこちらです。
最後の方の書いた以下のことについて
書きます。
『1社会に適応することも
2人生を豊かにすることも
3対人関係がスムーズにいくことも
それは
自分に根拠を持ち
120%の自分で
イキイキと生きることで
イキイキと生きるとは
自然な自分そのままが
受けいれられてゆくことです。』
つまり、
自分の自然性に基づいて生きることが
なぜ、”現実的”に有効であり
1社会に適応でききる・・・かを
もう少し詳しく書いてみましょうね。
○まずは社会に適応するという事の本質とはなにか
私たちは人間は、集団、組織、社会、で生きています。
だからそこには不可避的に
様々なる人間の欲望や思惑が錯綜し相克してしまうという
ことが、自然発生的に起きてしまいます。
それらの欲望や思惑の膨張と暴走を防ぐために
その集団、組織、社会を貫通する想念として
共通の掟、規範 道徳そして
その社会の共通認識らしきもの(常識といわれるもの)を
・・・・・
いわゆる社会の”枠”として
設定しています。
しかしそれは必然的に
お互いを規制し、縛りあうものでもあり、
その枠がゆるければ、
それほど苦しくはありませんが
その枠が自分の自然性をどんどん浸食し
ぐるぐる巻きのように
自然性の自由を奪ってゆくと
それに押しつぶされて
自然性が行き場を失っていきます。
もう息苦しくてたまらなくなります。
その時
◎自分の自然性に目覚めている人は
そこにある
掟や、規範や、常識や 道徳としてあるものが
ほんとうに、自分にとってどうなのか・・・ということを
”自分の自然性”にそって
検証し、選別し、距離を置いていくことが
できます。
まあ、そこがかなり不自然なところだと気がつけば
それなりに距離を起き
受け入れを選別し、
自分の自然性とヴァランスを取ることができます。
しかし
◎自分の自然性を抑圧しているひと
いわば、我慢ばかりしている人は
盲目的に、
そういう規範や、常識や道徳や
時に暗黙の縛りとなるその集団の掟に
従わなければならない・・・と
思いこんでいる人
思い込まされている人は
それらを検証することもなく
識別することもなく
ひたすら誠実に従順に
そこに取り込まれ、
自分のなかに矛盾をかかえこみ
それらが自分の自然性と対立するばかりのなかで
どんどん、追い詰められ
息が苦しくなり
自分の中の自然性が抑圧されて
悲鳴をあげていきます。
では
自分が悲鳴をあげている
そういう社会や集団や
組織の中を貫通しているそれらの想念は
ほんとうにその集団や、組織や社会にとって
有効で生産的なものなんでしょうかねえ・・・?
答えは簡単です
”ノー!”です。
人間を生かし、
集団の成員がいきいきとしていないところに
どうして
有効で生産的な想念があるのでしょうねえ・・?
勿論、人間は野放しにされると
どんどん自分の欲望や自我が
膨張、拡大してしまい
当然他者との衝突を生みますから
そこには、その集団に共通する
ゆるやかな枠というものは
必要です。
心理的にも
人間はまるきり自由で何をやってもいいよ!と
言われると、逆に不安に陥り
パニックになります。
もともと自我は
自分の内部が外部(他人や集団や社会)へ向いて
成立している意識ですから
人間そのものが
常に外部世界との緊張のなかで
ヴァランスを取りながら
生きているのですね。
だからこそ
そこには自分の限界を支え守る、
他者との境界線、
社会や集団や組織のなかで
それぞれの人間の限界の境界線を
保障する
ゆるやかな枠や規範や共通認識が
つまり、
ゆるやかに自由の行き過ぎを止める枠の設定も
人間にとってはとても大切なのです。
しかし
その枠が必要以上に
人間に介入し
お互いを縛りあうなら
その枠そのものが
今度は障害になってきます。
そして重要なことは
その枠の裏側に
人間不信や
人間恐怖やなどが
張り付くとき
その枠がどんどん強化され
人間を縛る狂気の想念となってしまうのです。
つまりそれは
人間の自律性を信じられない人間の集団ということで
そこは
人間は生き生きとそして
自分の可能性や有効性や生産性を生かす
或いは
生かされる場所ではない・・という事です。
でもね
それでもね
自分の自然性をチャ―ンと維持し
自分の自然性=自分の根拠を持っている人は
そういう集団の中でも
きちんと距離をとり
介入を防ぐことができます。
ここまで妥協しますが
ここから先は
その介入を拒否します・・・という
明確な”意識”
自覚的な”意識”を持つことで
それはたとえそこでそういう風に
表明しなくても
・・・・・・・
そこに強い自分の意志があれば
・・・・・・・
相手に自然に伝わってゆきます。
その場合は事と次第によっては
その集団から疎外されたり
無視されたりするかもしれませんが、
しかしその場合も
いわゆるパワーヴァランスで
その人間の意志が弱く
覚悟が弱いと
相手はどんどん介入をしてきます。
逆に
いとも簡単に
深刻にならず
アッケラカンと
そういうことは受け付けません。
自分のなかに介入はさせません・・・という
明確て、明瞭なものがその人に溢れていたら
それだけで相手はあきらめてしまうでしょう。
しかしそこに
相手に分かってもらいたい・・という甘えや
説得しようという傲慢があると
たぶんそれが相手とのトラブルの接点になってしまい
相手に自分の甘えやスキをみせてしまいます。
いとも簡単に
深刻にならず
アッカラカンと
自分の意志のとおり生きれるということは
自分のなかに確固たる根拠があるという事です。
そしてその根拠とは
自分の自然性であり
その自然性とは
命がいきいきと元気なことです。
自分の自然性を失わず生きている人は
存在感があります。
昨日訃報を聞いた”大滝秀治”さんも
”樹木希林”さんなんかも
そういう存在感を感じます。
自分の役割どころをチャ―ンと自覚しておられるけれど
自分の自然性(自分の存在の根拠)の上に
しっかり立っているように
見えます。
自分ひとりでは行けてゆけない人間が
ふっと解放感を感じるのは
他者と自分がともに解放されている時です
それは他者と自分とが
同じことを
喜んでいる瞬間です。
その瞬間を思い浮かべてみてください。
ほら
こころが解放されているのが
わかるでしょ!
社会に適応するとは
いかに
他者との間で
自分の自然性に基づいた
解放の時を共有するかです。
厳しく戒めさせて頂きますが
それは
決して相手のご機嫌をうかがうとか
相手に合わせるとか言うことでは
決して
アリマセンよ!
そんなことを
いっさい
捨ててしまうことです。
賢くいきる!
考えて生きる!
究極的には
自分を
いかす!人生を考える・・・。
自分を無駄死にさせないことですね!

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映画「流・ながれ」ロードショウについて
Moreをご覧ください。
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以前このブログでもご紹介した
ドキュメンタリー映画「流・ながれ」のロードショウが
10月27日(土)~11月2日(金)10:30/12:30/18:00の1日3回上映!
それ以降は朝のモーニングショーとして
11月3日(土)からは10:30の1日1回!
ポレポレ東中野で上映されます。
それで
このブログを読んでくださっている方で
御覧になりたい方に
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たくさんの方に見ていただきたいので
ご遠慮なさらずにどうぞ・・・。
お待ちしています。
ご希望の方は、コメント欄に非公開で
お名前とチケットの郵送先をお知らせください。
●「流・ながれ」のホームページはこちらです。
by denshinbashira
| 2012-10-06 09:18
| 自分の自然性で生きる
|
Comments(2)
どんな風にこの後進んでいくのだろうと、どきどき、そして緊張し、息苦しさを感じながら読ませていただいています。自分の自然性に従って、他人を受け入れる指針を示していただきました。自分を生かし、他人も生かすともに共感できた瞬間をイメージするのもいいですね。また少し先が見えてきました。感謝です。
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

