「インナーチャイルドワークショップ」を終えて! |
「インナーチャイルド・ワークショップ」を
終えました。
6名の方が参加してくれ、
美しい女神湖のほとりでの
ステキなペンションで・・・・あるにもかかわらず
それぞれが、厳しく自分の内面と向き合う
濃厚で深く、
一刻たりとも息を抜くことのない
連続であったと思います。
そして、
時が来た人も
まだ時が熟していない人も
それぞれが、
自分のなかに在るその
膠着した自我と記憶と時間に
少しでも
変化をもたらしたならば
私はとても嬉しいです。
そしてその変化を起点にさらに
人生の現実(娑婆)の中へと
勇気と元気をもって飛び込んで
逞しくなってほしいと思います。
これから書く事は
この三日間の総括として
参加してくださったみなさんに
贈ります。
自分の現実において起きていることは
すべて
自分の意識、無意識を含めた行為の
結果であり
その結果が不幸な忌まわしいことであるなら
それは
意識、無意識を含めたの事の
自分のなした行為として
明確に自覚し”責任”をとり、
受け入れないかぎり
そこには
”膠着した”現実が
不動の山のように
自分の前に立ちふさがり、
何も変化が起きることはない。
しかしその
不幸で忌まわしい現実と
それに至らせた自分の為した事を
何事も
ごまかさず、
厳しく見つめ、受取り
責任をとった瞬間から
その不幸で忌まわしい自分からも
現実からも解放されてゆく。
それは過去のことでありながらも
自分の中で膠着し、停滞し続ける現実に
変化が起こり、それと同時に
その現実が動き始めるからです。
つまり
自分で責任を取らず、
相手[他者)に転化しつづけている限り
つまり
相手が
自分の望むように変化しない
限り
そこには全く解決は生まれてこない。
しかし
自分が
一切の責任をとり
自分のふところに手繰りよせ
包み込んだ瞬間から
その
膠着し、停滞していた現実が
動き始める。
つまり
一切を引き受けた瞬間から
一切が自分の手にひらのなかににあり
すべてが自分次第で解決できることに
なるのである。
いっさいは
自分の為した行為の結果としてあるが
それも
自分も悪かったが、相手も悪い
自分にも責任があるけれど
相手にも責任がある…という風に
自分の責任を半減したり
責任から少しでも逃れようとするかぎり
その現実は、自分と相手との拮抗から
少しも動かず、
記憶が固定化し、
さらに
その現実が自分ではどうしようもないという無力感から生まれる
憎しみや敵意に乗っ取られ
解決はどんどん遠のいてゆく。
さらに不幸なことには
固定化された記憶では
憎しみや敵意は
どんどんその人間の中で
”育てられていく”
つまり
相手に責任を転化している限り
表面的な不幸も
内面的な不幸も
ドロドロとその人間を引きずり込んで
出口を塞いでしまうのですね。
しかし
いっさいを自分が責任をとり
引き受けた瞬間から
もう
相手は必要なくなる。
相手との綱引きがおわり
逆に
自分が
なにをどうすればいいかが
見えてくる。
つまりそれは
自分という人間が作り出している
冷厳な現実が
何もごまかされず、
くっきりと明確に
理性的に、知的に
見えてくることであり
自分の作りだした現実のなかにある
自我の汚れからくる
自分が無意識にとっている自分の
歪んだ行為や
自分の痛みからくる
自分の問題性が見えてくる。
それは自分の自我が蓋をして
相手に責任を転化している限り
ぜったい見えてこない自分であり
その見たくない自分を
しっかり睨み
手繰り寄せ
抱きしめ
懐に入れた瞬間から
その自我が変化しはじめ
異物にされていたもう一人の自分が
自分の真実として受けいれら
自分と一体化し
ほっとするからである。
そのほっとした瞬間から
心のなかに余裕がうまれ
その時
その人の”精神”の変化が
始まる。
”精神”とは
自我の歪みや汚れを
さらに高次元において
もともとある
歪んでいない自分
汚れていない自分
痛んでいない自分へと
統合されて
生まれてくる
その人全体に行き渡る
”心”・・・であると
私は考えています。
”精神”の変化がきてきて
はじめて
記憶が動き出す。
つまり
記憶の意味や価値が
高次元(精神)の視点から
書き替えられてゆくのです。
それまでの不幸なこと
忌まわしさとして
記憶に纏わりついていた
自我の歪みから来る
”感情”が
取りのぞかれ
どんどん引き潮のごとく
引いて行き
さらに
時間がたつにつれ
それが
単に若気の過ち
自分の未熟さから来る
愚かな自己執着の行為として
客観的に眺められるようになる。
そして
やがては
自分のふところのなかで
苦い思い出として
自分に癒されながら
少しずつ消えていく。
時々思い出しても
もう
苦笑いの種でしか
有りえなくなる。
しかし
他人に責任を転嫁しているかぎり
それは何度も
フラッシュバックしては
その人の感情をつつき
苛み
苦しみを与え続ける。
この世で自分に起きる自分の現実は
いっさい
自分が
”造り(創り)”だしたものである。
自分が自分というキャンバスに描き
表した自分の姿であり
自分の意識と言葉で綴った
自分の過去の記憶の
物語である。
それを書き替えるにも
いくら相手にゆだねても
依存しても
自分が創りだしたものが
変る訳がない。
つまり
自分が自分を書き替えるには
そのことを理解する
高い能力と高い知性と
高次の精神へ進もうとする
純粋な
意志(こころざし)が
決意(覚悟)が
必要である。
強烈に自分にしがみ付き
自分のなかにある
執着、甘え、依存、さまざまな欲
独占欲、支配欲、征服欲の
強固な砦を
ぶち壊し
自己を防衛しようとする
浅はかで幼稚に走る自我を
さっさと捨てる。
(いくら自己を防衛しても、
自分の傷が深くなるだけであり
そんなものが通用するはずがない・・・ということを
理解できないことこそ
幼稚そのものですぞ)
そういうものを
ぶち壊し
さっさと捨て去ったあとに
澄んだ、美味しい水が
体中に沁み渡り
高らかなる精神の空が
広がっていく。
それは自立(自律)への道であり
自立(自律)の本質は
いっさいが
自分の責任において為され
自分に存在することすべてを
自分が引き受けるという意志をもって
生きる・・・ことです。
そしてその
自立(自律)を決意した後始めて、
眼前に”我が道”が現われてくる。
ずーっと遠くまで続いている我が道を
どのように自分があるいてゆくかが
見えてくる。
その”我が道”を
一歩ずつ
愛おしく
全身で踏みしめてゆく時
やがて
自分の人生が実ってゆく。
参加してくれた皆さん
心より
感謝いたします。




私は今まで、あんな優しい時間を過ごしたことは無いと思う。
愛を込めてみんなに感謝のメッセージを伝えたいけど、
私の拙いボキャブラリーだと凄く安っぽくなってしまって、
言葉では1/10も伝えきれない。
だから、心の中で想ってるね。
T下さん、
M沢ちゃん CHI子ちゃん TMOちゃん MGちゃん E美ちゃん
オーナーご夫妻様
LA VIE EN ROSE みんなの人生がバラ色になりますように
私も私の人生を自分で切り開き、一歩ずつ大事に進んでいきます!
