表現者とは、表現するとは・・・自分の全部を掻きだす! |
生き始めたら
自分がものすごく
我儘になるのではないか・・・という
質問を受けました。
そんなことは
ありません。
その人はすでに
アダルトチャイルドで生きていますから
インナーチャイルドの
フリー―チャイルド(自由で奔放なチャイルド)をさらに
”付け加えて”はじめて
チャイルドのバランスが
取れてくるはずです。
つまり多くの人が
このバランスの悪さの中を
生きいているから
問題が起きるのですね。
今日このバランスの悪さについて
さらに
自分の全体性を生きる・・・ということについて
そして
最後は
表現、表現者とはについて
書きます。
心理学者のエリック・バーン博士の開発した
”交流分析”というものがあります。
その中で人間の自我状態を
P=ペアレント=親の自我状態
A=アダルト=大人の自我状態
C=チャイルド=子供の自我状態
の三つに分類しました。
更に
Pには・批判的な親の自我=CP
と
・保護的な親の自我=NP
そして
Cには・自然の子供自我=FC
と
・順応の自我=AC
という風に分類しました。
これらの自我は
コップ(自分)に浮かぶ氷のように
時よって、瞬間的に
くるくると転回しては
表面意識に登場してきて、
その人の意識を拘束して
いきます。
そしてね
残念なことに
日本に於いては
FCは抑圧されやすく、
CP,NP、 A,ACが
それぞれ
極端にかたよってしまう人が
たくさんいます。
例えば
ペアレント(NP)の意識ばかりが勝ってしまい
チャイルド(FC)の自然性を抑圧して
他人に上から目線で
指示や助言ばかりする人や
逆にペアレント(CP)と自然のチャイルド(FC)ばかりが
勝ってしまい、
アダルトがないため、
他者との距離感がなく
いつも自己中心にしか
考えられないひとや
よくいる、
無神経でお節介のおばさんのようになって
しまっている人。
またペアレントばかりが勝ってしまい
義務感と
責任感を押し付け
・・・すべき論の
かたまりのような人。
こういう人は相手にそれを要求する分
自罰、自責が
恐ろしく強い!
なかでも
いちばん多いのが
順応のチャイルドとアダルトの自分でいきて
自然の子どもの自分を抑圧している
アダルトチャイルドのひとと
Aの
常に傍観者の人々です。
まあこのP,A,Cのバランスが取れてくると
人間はとても安定してきますが
めったに
そういう人はいません。
インナーチャイルドを救いだし
統合することは
Cのバランスが良くなってくるのと同時に
他の事も良くなってきます。
順応のチャイルドが強い人は
どうしてもアダルトも強くなり
頭でシュミレーションして
自己規制ばかりをしてしまいますが、
自然のチャイルドはとても感覚的で
感情的ですから
その自己規制をはみだして
自分の意志や
NOをはっきりさせ
さらに
それを表現していこうとします。
しかし
既にアダルトが育っているので
相手との距離が取れ
そこで
とてもよい形での表現ができてきます。
さらに
ずーっとペアレントで生きてきた人にとっては
FCを統合できたら、それは
革命的てしょう。
だって
ペアレントが強い人は
当然順応のチャイルドも強いはずですから
常に自分にも相手にも
順応とか責任という
”圧力”を
かけっぱなしのひとが
自然のチャイルドから
いやだよ~!と
NOがでてきて
そんなこたぁー
どうでもいいや~と
自責や
自罰を
蹴っ飛ばしはじめるのですから
スゴイでしょ!
更にAでいきてきた人は
その、傍観者としての
クソつまらない日々が
FCの感情が蘇ってくることで
キラキラとしていきます。
昨日書いた「母がしんどい」の中で
まさに
自然のチャイルドが目覚めたからこそ
母親の拘束のなかから
脱出できるのです。
ちなみに母親の心理的支配を
カウンセリングの専門用語で
「魔女の呪い」と言います・・・・・笑!
いいえ得て妙でしょ!
よーく考えてみてくださいね。
例えば
自分がNPとAC(アダルトチャイルド)で
生きてきたとしたら
自分の自然のFCを抑圧し
自分の一番自然な感情を生きないばかりか
自分の三分の一しか生きない・・・という
人生になります。
まあそういうひとは
ごまんといますけど・・・・ね。
当然人生は貧弱で
オモロクないでしょう・・・・!
人間が熟してくるとか
心理が安定してくるとかは
その人間が
自分の
全体で生きることです。
さらに
表現者や
クリエイターとして
自分をいかそうとするなら
此の全体性が欠落していると
どうしても部分的に
偏り
スケールが小さくなり
ダイナミズムにかけます。
せめて表現者たるものは
自分の無意識を徹底的に洗いだして
掻きだせ・・・ッ・・と
私は思いますよ。
そして
それを曝さなくちゃー・・・ねえ!
今の日本に
そういうスケールのデカイ表現者は
いるのかねえ・・????
最後に
私にとっては
最近もう
ほんとに読み応えのある本が
なくなりがっかりしていますが
でも、昨日読んだ見田宗助さんのこの本の
この
言葉、
亡くなられた、竹内敏晴氏を
悼んでのことばが
素晴らしいので
ご紹介します。
竹内敏晴さんは
葡萄の会という演劇集団の
演出者です。
私が若いころにその
ワークショップに参加させていただき
身体こそが無意識を意識を先導することを
教えていただきました。
〇 見田宗助著作集 Ⅹ巻 岩波書店
近代や前近代の「市民社会」や「共同体」の強いる
幾重もの自己拘束、
自己隠蔽の
無意識の硬皮の層を
ていねいに解除してゆく。
〇
人間の一人一人の有限の生が
他の有限の生とたちと呼応することをとおして
現出する豊饒な時を享受するという
人間の歴史の新しく未踏のステージの
とば口に立って竹内敏晴は、
ただ存在の<真実>を
解き放つことをとおしてそこに
生命の祝祭を現出してしまうという
単純な、けれども困難な、方法論を
生涯をかけて探求し
私たちの世界に残した。
〇
やっと最近
この無意識のことについて
時代が追いついてきました。
でもまだまだ
少数ですがね。
意識と無意識が交叉する
その一点に
私たちの行為があります。
表現者なら
せめてここらあたりまでは
熟知してほしいものだと
おもいます。
そして
私たちは
日々を
じぶんらしく
存分に生きるために
どうぞ
インナーチャイルドを
みつけだしてください。
告知
11月いっぱいの上映中
映画「流・ながれ」のチケットを
私より皆様へギフトいたします。
とてもいい映画ですから
是非ご覧いただきたいので・・・。
ご希望の方はコメント欄に
非公開で住所、氏名 そしてご希望の枚数を
お知らせください。
たくさんの方に見ていただきたいと
思いますので
どうぞご遠慮なく!
●「流・ながれ」のホームページはこちらです。
『伝心柱マガジン』