表現者とは、表現するとは・・・ユング心理学より |
自我のパターンを書きましたが
書きましたが、
これがユング心理学となると
まあ
芸術的な数々のパターン(元型)が出てきます。
まずは
・グレートマザー
これは子どもを慈しみ愛する自我でありながら
一方こどもを呑みこみ,喰いつくす
恐ろしい母性でもあります。
・老賢人
これは父性(理性と論理性)を持った知恵のある老人
・アニマとアニムス
アニマは男性の心の中に生きている女性像で
アニムスは女性の心の中に生きている男性像です。
いずれも
一般的な男らしさとか、女らしさ馳ちょっと違い
アニマはムードを好み
アニムスは意見を好み
アニムスに執りつかれた女性は
理屈っぽい・・・・まあ私などはそうでしょう・・・笑!
そして
グレートマザーの向こうをはる
スゴイ存在感の
・シャドウ (影)
これはね、
人間の自我は外面にその人間の”性格”らしきものを
表出していきますが
それと同じ量の正反対のものを
深層心理に作り上げます。
それが
シャドウ・影、
です。
簡単に言うと
表面的にいい子の深層心理には
同じ量だけの悪い子がいる・・という訳です。
つまり、意識が抑圧している
もう一人の自分で
この自分が無意識のところから
いろんな感情でその人を
乗っ取っていきます。
自分の心の中に
いっぱいため込んでいる人は
シャドウ性が強く
表面は自分の主体を余りあらわさず(影のように自分を押し殺し)
従順でありながら
実は大変な知能犯で
巧みに他者をコントロールしようとします。
つまり
影からこっそり、
相手をマインドコントロールしようとするのですね。
そうしているにも関わらず
その人本人には
そういう自覚がないことも
大いにあります。
まあ―日本のアーティストには
こういうシャドウの強い人が多いです。
そして
日本の社会も自己抑圧が強いシャドー社会だと
私は思います。
シャドウはその主体を抑圧していますから
実はその反動で
とても攻撃性がつよく
表面は従順を装う分
ほんとうはとても激しい感情、
敵意や憎しみや他者否定・・・を
もっています。
そうして
他人をコントロールしたくて
たまらない衝動があります。
つまり
そこには
自分の主体が生きれない
危機がありますから
常に他者に敵意をもち
コントロールせずには
いられないのですね。
自分の主体を生きていない分
いつも、自分の実感に欠けていきているため
激しいドラマチックなものを好みます。
まあ
小説家とかそういう物語を創るクリエイターには
多いです。
でもね
シャドうは面白い!
だってそのひとの本心、本音ですから・・・。
ただねえ
オモシロいなんて言ってられないほど
シャドウの攻撃はスゴイですよ・・・ホントに。
以前もうシャドウそのものような友人がいて
私はその人に翻弄され続けましたね。
まあ
いわゆる、耳触りのいいことを言って
あたかも寄り添う如く
他者に張り付く(あたかも影のように寄生する)
そして
その言葉に巧みに(相手に気取られないように))
毒をいれて
相手を心理不安に落としいれたり
さらに
自分以外の人間をその人が嫌うように
囁き
ときに、感情を焚きつける・・・・!!
スゴーイテクニシャンでした。
シャドウの人は頭がいいです。
しかし
当然、いつかはバレますからねー!
そして自滅していきます。
シャドウ社会になると
そこに
容易にいわゆる英雄待望論が
はびこりだし
やがて独裁者とファシズムが
湧いていきます。
シャドウ社会は
主体的に生きない人々の群れ
つまり
共依存の社会です。
共依存。つまり自分の主体を生きず
常にだれかや社会や集団に
依存していきているひとびとの群れです。
本音とたてまえが横行する
日本の社会そのものが
シャドウ的であり
二重人格の社会です。
ああ、書き遅れましたが
抑圧した影の自分
つまり表面社会で市民権を得ず
生きれなかったシャドウの自分が
だんだん無意識からその人間の活動を
支配していきます。
そして次第に巨大化してその人間の意識を
乗っ取り始めたときに
人格が二重化していきます。
まあ二重人格と言わないまでも
日本の社会は二重構造社会です。
となると
自分達が抑圧している本音と本心を
言葉巧みに表現してくれ
さらに
自分達をリーディングしてくれる人間が
顕れてくると
いとも簡単にその人間に幻想を抱く。
安直に選ばれた総理がコロコロ変わるなんてのは
どれほど安直に幻想を抱くかの証拠です。
またマスコミなどはもう
お粗末極まりないです。
シャドウの人間は
主体がない分
感動しやすく
暗く内向きだった
ドイツはあのヒトラーの演説に
いとも簡単にもっていかれましたね。
太平洋戦争の軍部日本も
あたかもアジアの救世主のごとく、
登場しましたね。
今の日本もかなり
そういう英雄待望論や
強烈なリーダーシップ待望が
なんだか
底のほうから蠢きだしているようで
要注意です。
今登場している人が
ほんとに
賢明で聡明に見えますか?
私にはとてもそうは思えない。
まあ
話がだんだん逸れてきましたが・・・苦笑!
インナーチャイルドとシャドウとは
とても似ていますが
シャドウの方は
それにアダルトの老獪さが付着しています。
まあシャドウについてが随分長くなりましたが
その他の元型として
・トリックスターというのが
あります。
これはいわゆる舞台廻しというか
状況を引っ掻き回したり
シャッフルしたりという
天真爛漫で奔放なチャイルド
ピエロ的な役割を果たします。
ユング心理学は
こういう様々に
個性のある自我が自分の中にあり
それらが
時と場合に応じて
その人間の意識、無意識に登場して
人生を彩っていきます。
しかしユング心理学の
最大の特徴であり
素晴らしいなあと思うのは
”セルフ(自己)”という概念です。
セルフこそ
その人の全体性を言います。
人間はさまざまに自分の元型に
翻弄されるが、しかし
常にそれらは
自分の全体性へと回帰しようとする。
或いは
止揚、統合されようとする。
つまり
私たちの心は
つねに全体性を求めているからこそ
私たちは悩み苦しむのですね。
悩みや苦しみは
自分の全体性で生きていないよ・・・という
サインだと
私は思っています。
悩みや苦しみがきたら
それを
見ないふりや
なかったことにしないで
きちんと向き合う!
実は
本当の事を言ってくれるシャドウに
耳を傾け、
グレートマザーの支配欲の行き過ぎに
歯止めをかけ、
老賢人の理性と知恵をはたらかせ、
女性として、男性として
お互いを愛し、
さらにトリックスターの
ユーモアや諧謔や自由奔放さを
楽しみ
そういう自分の全体性をとりもどして
人生を謳歌してほしいものです。
表現者そして
表現するとは
このユングの全体性・セルフに対する
まなざしが必要です。
問題を突き付けるだけではいけません・・(と私は思っています)
その先に微かに
針の穴ほどの光、すなわち
すべてを包括する
大いなるセルフを
遠望してこそ
表現が立体的になり
深淵にわたって広がっていくのだと
思います。
今日も長くかきました。
お疲れ様でした!
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