人を愛するとは。他者のこころなどわかりようがない! |
私にとって歳をとっていいことは、
他人への気遣いをしなくなったことと
他人への気遣いなど必要ないと
確信したこと。
そして他人と自分の間でおきることは
すべて
自分の処理の仕方でどうにでも
なる・・・とわかったこと。
すべてが
自分の”思い”次第であるということを
確信したこと。
そして
心理学や脳科学の見地からして
他人の心など
分かりようがないということが
分かったこと。
勿論,類型的な行動パターンからの
動機付けや
その人間の心理の裏側にある
深層心理などで
ある程度の
行動分析や類推はできるが
しかし
それも大きな
”人間一般”の
くくりでの事で
個々の個人に起きてくる心理など
他者に
わかるはずがないのある。
だから
個々の人間が
他者や相手を
〇〇ではないかしら・・・とか
もしかしたら△△かもしれない・・などと
推し量っても
それはほとんどが当たっていない。
ただ自分の持ち合わせているデーターを
駆使してそう推し測っているだけで、
では、
自分のデーターがどれだけ正確かっていうこと
更データーにないものは
どうするのさ・・・ってことに
なってしまう。
他人の行動を自己データーで
シュミレーションするのは
そこにその人間の自信のなさや
関係に対する不安があるからで
それは
先日もかきましたが、
・他者とのつながりが切れる不安
・他者と繋がれない不安・・・など
その人間の依存によるものが多いです。
でも
それも
ほんとうに
繋がっているのかというと
たいがいが自分の錯覚とか
思い込みで
そして
それが”安心”できるほどの
強い絆のつながりかというと
そうではなく
ただ
何となく・・・安心したい・・という程度のもので
逆に、
では
他者と繋がれない不安は
どうしても
つながらなくてはならないほどの絆かというと
それも
それほどではなく
まあ
他者とのつながりとは、
その時々の自分の
気分や心理で
たいがいが一過性のものが多い。
ただ
多くの人間が
ほとんど漠然としたつながりの中で
安心したり
不安になったりしているだけで
二足歩行になり
子どもを未熟児の形で産み
長い育児歴を持たざるを得ない
人間の宿命的な
”存在の不安”だと
私は思います。
ほんとうは人間は
繋がっていようが
繋がっていまいが
ほとんど関係なく
瞬間瞬間の連続した時間を
いきているのであり、
他者との関係も
瞬間瞬間に刻々と変化しているはずです。
そう考えると
他人との関係を固定的にとらえて
発想し、想像し、推測する・・・ってことが
いかに
無駄な事かが
分かるでしょ。
自分も刻々と変化し
他人も刻々と
変化している。
そして
他人と自分の行動や意識が
在る瞬間だけ
交叉して
会話や行動の交換が
成立している・・の・・・だから
まあ
そういうことに
いちいち気を遣ったり、
あれこれと
悩まないことです。
やったら
やっちまった!
やられたら
ああそうか・・・ってなもので
その時(瞬間)におきたことを
そのまま受け取ればいいと
思いますよ。
決して深刻にならない!
逆に
●あまり傷つかない人は
他人が安心するし、
●深刻にならない事こそが
愛でもありますよ!
●情け深い・・・とは
深く追求しない…という事ですからね!
私も長い間このカラクリが分からなくて
随分
損をしたなあと
思います。
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是非ご覧いただきたいので・・・。
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たくさんの方に見ていただきたいと
思いますので
どうぞご遠慮なく!
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『伝心柱マガジン』