シリーズ「ひとを愛するとは」・人間にはこころがある。 |
それをどのように伝えたらいいのかと
思案していました。
しかし、なんとか書きだしてみようと
思います。
それは『人間には心がある』と言う事です。
そんなことなどわかりきっているし
あたりまえだと人は言うでしょう。
しかし、ほんとうに
分かっているなら
人間関係のトラブルは起きません。
人間関係のトラブルは
このことをわかっていないからこそ
おきてしまう。
いや
わかっていないというより
「人間のこころ」を
甘く見ている・・・と私はおもいます。
最近出遭うケースのほとんどは、
そこに問題があります。
「人間のこころ」をあまくみているから
たやすく、そして軽くあつかう。
自分のこころも他人のこころも
軽く扱ってしまう・・・・・。
人間の出会いとは
たとえどんな事があっても
”最終的”には、
その人間の本質が出てしまいます。
ここでいう出会いとは
いわゆる家族になるとか
友人として深く付き合うとかいうレベルの
人間関係で
いわゆるスルーしていく人間達とは
違います。
そのいやがおうでも
向き合う人間関係に於いては
自分も相手も
それぞれの人間の
真っ向からの本質てきな出遭いに
なるのです。
どんなにそこを避けようとしても
最終的には
お互いの正直な姿が
あぶり出てくることは避けられない。
問題は多くの人間が
そこを”ごまかせる”と
思っていることです。
意識的にではありませんよ、
無意識でそう思っていることです。
だからこそ
本能的に
無意識に
自分の心も
相手の心も
甘くみて
軽く扱ってしまい
そのしっぺ返しで
自分も相手も
深く傷つけてしまいます。
「人間にはこころがある」という事を
わからない人間は
人間の表面的なことしか理解できず
まず、
社会的な体面や
常識的な規範や道徳や
そしてほんとうの責任ではない
理屈上の責任で
自分も相手も縛り、責めます。
いつも自分の感情にばかり捉われて
相手の心のひだを踏みつけて
しまいます。
だって、相手の心の事を
甘くみているからです。
そういう人間は
相手と自分との関係に
そういう
ものを振り回してしまいます。
そして最終的には
自分に都合のいいように
解釈し
相手を自分のフレームの中に押し込めて、
そのフレームのなかで
相手を理解しようとしてしまう。
人間のこころは
深い井戸のようなもので、
上に見える上澄み液の
その奥の奥のほうに
ある
沈殿している澱に
なかなか気づくことができません。
その澱のなかには
悲しみや
悔しさや
絶望や
憎しみなど、
深く複雑なこころの模様が
あり、
それはいつも
自分がどう扱われるかを
じーっと凝視しています。
相手との関係で
自分がどのように理解されるか
自分がその関係の中で幸せになれるか
その関係の中で自分が受けいれられ
いかされるかを
じーっと見ているのですね。
自分の都合ばかりを優先する人間、
人間の心を無視して勝手ばかりする人間、
そして自分を我慢させる人間などを
じーっとその心が
見ている。
どんな人間もそうですよ。
だから
最終的に
それぞれの人間の心が
大切にされないかぎり、
それぞれの人間の心が
ぶつかりあい
傷つけ合い
そして
関係が壊れていきます。
人間のこころは
甘くないですぞ。
安直に扱っては
いけません。
中には
そのこころがあることすら
気づかず
表面的な体裁や
自分達のエゴを
押しつけて
相手の心を踏み潰してしまいます。
『人間には心がある』という事を
深く深く理解するためには
まず、
自分のなかにある心を発見することです。
自分の中にある深い心の澱を
心の闇を発見してはじめて
他者の中にある沈殿や闇に
眼差しを向けることができます。
その時初めて
人と人とが魂レベルで
であうのです。
「人間のこころ」をわからず
他者の心を自分本位に、或いは
軽く扱った人間には
必ず関係が壊れていくという
しっぺ返しがきます。
その時がきてもまだ
すべてを相手が悪いと
相手を悪者にし
自分を被害者にして
”ほんとう”のことを
見ない人間は
おそらくずーっと
人生をかけて
その心理ゲームを繰り返すでしょう。
そしてそこに生まれるのは
深い人間不信です。
人間は自分の中にある
澱や闇を見つめたときはじめて
自分の悲しみが
相手の悲しみが
分かります。
そうして、
人間を
自分も他者をも
深く理解できるようになった時
そしてさらに
それを受け入れらえることができたとき
はじめて
人を愛すること
人を信じることが
できるのです。
そして更に
すべてを
『自分の責任とする』ことが
”できるようになった時”こそ
『自分を信頼する』ということの
真の”意味”が解ります。
その
深い鍵が
解けてきます。
次回は
『自分を信頼する』ということは
どういうことなのかの
深い本質とその意味を
書きたいと思います。
『伝心柱マガジン』