・『夢から醒める ということが・・・』・その1 |
寒い中、
一階に下りてストーブをつけ
紅茶を沸かして
久し振りに全くの静謐の中
本を読みました。
読み進んでいるうちに
さらっと書かれていた言葉に
私は深く満たされました。
そのことを書こうかどうか
迷いました。
なぜなら
そのことを理解出来るであろう人は
ほんとうに些少であること。
多くの人間にとって
それは、
知りたくないこと
見たくない現実だからです。
しかし
ほんとうは
その現実を抱きしめてこそ
生きることが
深くなってきます。
それは
「硝子戸の中」の漱石が
見知らぬ訪問者から
解決不可能なような
身の上話を聞かされたあと
その客を
送っていき、
その客が先生に送っていただくのは
光栄です・・といいます。
すると漱石が
もし光栄とおもうなら、
「死なずに生きてらっしゃい」と
言います。
この漱石の
立ち位置です。
すべてがふさがれたような中でも
自分の足で立って、
それを見ている。
醒めきった眼でしか
みえてこない現実を
見ている。
しかし
人間のほんとうの現実を生きるとは
そこから、始まるのだということ。
それを知っているということが
スゴイのですね。
・見田宗助著作集 X
夢よりも深い覚醒へー竹田青嗣『陽水の快楽』より
『夢から醒める、ということが
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある。』
ああー
これが分かっている人間にやっと会えたなあー!。
現代生きている人間で
このことをわかっている人間が
どのくらいいるのだろうか。
やっとここにもひとり
会えたなあーとおもいます。
なかなかいないです。
夢からさめた現実,
現実は常に夢に冷や水を浴びせる。
その現実
人間の現実のほんとのことを
知れば知るほど
それは
荒涼とし
寒々と断絶した
孤高の世界しか
ありない。
賢治が最後に吐き捨てるように言った
『空想をのみ生活して却って
完全な現在の生活をば
味わう事もせず、
幾年かむなしく過ぎて漸く
自分の築いていた蜃気楼の消えるのを見ては、…』
おそらく賢治も
その寒々とした、本当の世界へと
夢想から、リアリストへとへの大きな
夢の挫折の中に
辿りついたと思います。
つまり
いくらごまかしても
現実は
そうでしかありない。
その荒涼たる現実を
しっかりと
凝視し、
ふところに入れるところからしか
始まらない・・と
賢治も
やっと
気づいたんですね。
気づいた人間は
スゴイ、
素晴らしいです。
多くの人間が
現実を常に加工して幻想化する中で
生きています。
(厳しく言うと現実を見ないふりして生きている。)
しかし
現実は、自分が望むものなど
何もない・・という事、
まして
夢などは蜃気楼にすぎず
すべてが
自分の内部が
外部に出ては破裂しているということ。
その破裂した破片を集めては
また組み立て直して生きるしか
ないということ。
巷間に溢れ出ている
幻想、
他者への依存や期待や
愛情幻想は
ことごとく泡のように消えていく中に
自分が生きている・・・ということを
ごまかさないで見た時
底冷えするほどの
孤独のなかに
自分が
立っている。
誰もが
ですよ。
そのことを
ごまかさない。
ひたすら自己を捨て
民衆のなかへと入って
愛を説いたイエスすら
十字架に架けられてしまったこと。
人間どうしが
いかに
愛し合えないからこそ
イエスは身を投げ出して
説いて廻ったのですね。
しかし
ここから
ほんとの人生がはじまるのです。
幻想が消えて
上滑りする、ちゃちな人間幻想や
愛情幻想など
手が届くつもりでいたもの
手に入れることができると
錯覚していたものが
すべて
消えてから
夢からさめてから
すべてを諦めてから
ほんとうにリアルな生き方が
始まる。
夢から醒めない人間は
いつまでも
子どもの世界から
抜け出られない。
女性でいうなら
もう老女なのに
韓流スターを求めて
韓国にいくような
おばさんたちです。
いつまでも
子どもに依存し続ける
母親です。
自分達より
よほど低い人格なのに
その政治家に幻想と期待を
持ち続けて依存する人々。
もうとっくに破綻しているのに
まだ、学歴社会の幻想を持ち続け
受験で子どもを縛る親たち。
などなど、
いつになったら
目が覚めるのか、
いつまでたっても
成熟できない大人たちです。
積み木が崩れおちた現実を
みとどけてから
自分にとって
生きることとは
なになのかを
問いかけてごらんなさい。
いちばんたいせつなものを
手に入れるには
どうしたらいいか
大人として知恵と分別を
使う事です。
それは、
とても厳しい選択を迫られるかもしれませんが、
でも
そこからが
錯覚ではない
夢がはじまるのだと
思いますよ。
いっそう深い
感動の自分を
獲得していく道が
見えてくると
思います。


これからも多くの方達が、自分を取り戻し自立出来るように導いてください。
良いお年をお迎えくださいませ。
