タケシ氏の眼。 |
タケシの顔をみてオヤっと思いました。
さらにその後日の
”北野演芸館”の司会をしているタケシをみて
ああ、やっぱりと
思いました。
”ザ・マンザイ”はタケシが最高顧問で
”北野演芸館”は
タケシが選んだお笑い芸人の演芸館でした。
実のところ私は北野タケシという人は
確かに凄い人なんだろう・・・けど
と
けどをつけて見ていた人です。
どうして”けど”が付いたかというと
タケシ氏が
どんどん文化人になっていったからです。
お笑い芸人という
ヘタレの世界の人間が
ヘタレではなくなって
映画を作ったり
絵を描いたりと
どんどん立派な、先生、
巨匠になっていいのかなあーと
いう疑問。
さらに政治の世界にたいしての介入など
なんだかスゴイ人なんだろうけど
芸人道をはずれちゃってるなあーと
思っていたからです。
それと
タケシ軍団というのが
あまり好きではありませんでした。
ちょっと
異形の人間の集まりのように思えて・・。
つまり
境界線人間というか
狂気と正気の際のとこで
どこにも生き場がないような
人間の、しかも
軍団という名がついて
殺気をもっている集団。
そして
タケシの目の中には
明らかに、憎しみがあるように
思えてなりませんでした。
それは
人間や世の中に対する
憎しみで
それがどうしてもタケシ氏を
攻撃的にしてしまう。
そしてお笑い芸は
その攻撃性を持っている自分を
世間の目からそらすために、
憎しみや怨念の
ソフトカヴァーとして
彼の逃げ道として
用意されていると
思いました。
しかし
”ザ・マンザイ”の時のタケシ氏の目は、
ザ・マンザイに於いて
芸人たちに、
芸の純度を濁す者は許さない、さらに
審査員の中で少しでも自分達の所属の芸人に対する
えこひいきを絶対許さない・・という
厳しい”目”があったように思います。
この厳しい目に
震えあがったのは、
芸人たちでもありますが
審査員たちもです。
芸人たち全員が、この眼に
曝されていた、が
しかし
芸人たちは
護られた・・・と
私は思いました。
以前の紳介の時の
M1グランプリにはない
公平さが
清々しさが
タケシがそこにいることで
生まれている・・・と
思いました。
さらに
次に見た”北野演芸館”で
タケシの目を見ながら
ああー素晴らしい目になっているなあと
思いました。
相変わらず攻撃的な厳しい目ですが
彼の中にギラギラしていた
憎しみや怨念が
それが彼の人生を通して
貫かれたことにより
つまり
タケシ氏が自分の内面に巣食う
憎しみや怨念を捨てず
自分の内部をすべてを
芸や作品を通して
やりきったが故に
そこに一筋の”清”と”静”の境地が
存在していると
思いました。
その目は
北野演芸館に出演した芸人たち、
テンダラーやサンドウィッチマンや
ナイツや バイきんぐや
オードリーやロッチなどなどに向いて
優しく
自分の分身たちを
愛おしんでいるようでした。
機会があったら
北野武氏の眼を
みてください。
芸人という事も
映画も絵もすべて
彼が自分の中に宿していた
憎しみや怨念
そして殺気などを
昇華してゆく道として
あったかもしれませんね。
だからこそ
タケシ氏の眼は
弱い立場にある
自分の後輩たちに
やさしい!
どんな人間でも
自分の中に沸々と湧いてくる
怒りの感情や
自分が生かされない不全な怨念や
他者に向いてしまう
敵意などに
悩まされるでしょう。
もしそんなものなどない・・・というなら
その人は、おそらく自分を
鈍く麻痺させているか
自分をいい人にマインドコントロールしているか
或いは
自分の内面に向き合うことをから
逃げていると
思いますよ。
もしタケシ氏のように
表現者として
創造者として
あろうとするなら
自分の中に在る
毒や闇から逃げる限り
それは
人間というものを半分しか
追究していません。
表現者でなくとも
そういう人たちは
つまり
きれいごと人間でいたい人たちです。
きれいごと人間の
ひとつである
鬱の人は
自分の中の攻撃性を
ひたすら見ないことにして
感情を抑え込み
そして攻撃を自分に向けて
ごまかしています。
自分の中にある
攻撃性を取り戻したときから
鬱は少しづつ解けて行きます。
やられたらやり返す攻撃性だって
とても大切な人間の命の営みです。
嫌な事には
はっきりNOを言う。
嫌いな人間
自分を不快にさせるにんげんとは
付き合わない。
それでいいです。
タケシ氏のなかにある
憎しみも怨念もそれは
彼だけに在るものではなく
すべての人間の根源にあるものです。
きっと彼だって鬱があったでしょうし
押さえきれない怒りや攻撃の衝動に
もがいたでしょう。
しかし逃げないでやりきったからこそ
あの厳しい眼差しが
”澄んできている”のだと
思います。
北野演芸館では
タケシの番頭役のガダルカナル・タカさんが
師匠のタケシに寄り添い
とても良かったです。
人間を愛するということは
こういう闇や澱みの中を
生ききってこそ、
やっと
愛という感情に達するのかもしれないと
私は思いました。


