感情について・感情の処置と解決! |
自分の感情をどのように処置するか
手当するか…、
解決していくかについては・・・・。
まず超ー極端な事をいうと
人間が生きるとは
その命が
誕生から死までの時間の経過を
いかに命を保全しながら
やり遂げるか…という事しかない・・・のです。
誕生から死にいたる
生物的経過をいかにスムーズにやり遂げるために
脳が働き
身体が働いている・・・・・ので
それ以外のモロモロのことは
すべて
人間の前頭葉が創り出した
人間の文脈
つまりことばで語られ
意識づけられてきた
様々な幻想、思い込みです。
つまり
集団(社会)を組みながら生きる人間として
その集団(社会)を維持し
継続するために
造らねばならなかった
人間の周辺の
様々な規範や
そこに付随して起きてくる
価値観や方法論などなど
つまり
脳が
個と集団とを同時に成立させ、
包括するために
自分という人間ついての説明と
それと集団との関係の説明
自分という人間の行為、行動の合理化を
しながら
集団との調和と共存を図るために
様々な幻想を
”共有”し
そう思い込むことによって
自分を納得させながら
存在の不安や恐怖
つまり動物として、いつ
命を奪われるかもしれない恐怖(ワニの脳)と
とその警戒(ネズミの脳)という
ふたつの原始的情動の周囲に
高等な生きもの、
集団を組ながら生きる人間としての
思想や理性の感情を前頭葉が
用意していったとでもいいましょうかねえ!
動物としてさらに
集団の中に生きる動物として
様々に起きてくる未来や未知への
恐怖や不安を
シュミレーションする前頭葉を
獲得して配置し
さらに
それらを網羅し
統合しながらも
より善く生きようとする道案内の
前頭前野が発達し
脳から
ホルモンの分泌と
神経系統への指令をだしながら
私たちのからだを支配、コントロールしつつ
私たちそれぞれの”命を保全”し
命を死へまで全うさせようとしている・・・。
に
すぎないのです。
極論すればね・・・・・。
その動物としての
高等な生きものとしての
原理の周囲に
その生きものが生きるために
集団の環境を整備し
言語化し
意識化したうえで
共通の規範をつくり
集団(社会)を維持
継続していった・・・のが歴史です。
だから
文化や文明は
とても
ローカルです。
つまり
種族や
民族や国家
法律や宗教や、
社会の常識や
共同幻想
さらに
地方や家庭、
家族や
個々の人間が
それぞれが生まれ落ち
置かれた環境と
生きるための
それぞれの条件下のもとに
様々に
自分独特の世界を作りだしていて
世界を造りながら
生きているのです。
そして
脳の前頭葉、前頭前野が
かろうじて
それらの個々の差異を
違和や異質や形態の差を
微妙に
ヴァランスをとりながら
それぞれが
滅びない様に
意識化して
存続を
図っている…のですね。
だから
世界中に同じ頭は一つとしてなく
同じ感覚も
同じ感情も
勿論
おなじ意識も
なく
ただただ
孤立した個々の自分の意識と感情が
在るだけなんですよ。
ホントはね!
問題は
人間は他の動物に比べ
二本足歩行を得たため
子どもを未熟児のまま産み
その生育期間が20年近くも
親との関係を結ばなければならないこと。
そして人間は集団でしか生きれなくなり
役割を分担分業して
”社会”を形成しなければならないこと。
そういうことが
今度は
人間どうし、お互いの
共同の規範や
幻想を創り出さねば
生きてゆけなくなりました。
まあここら辺は
社会学の本や
吉本隆明氏の
”共同幻想論”などを読むと
理解できるかもしれませんよ。
だから社会の枠がしっかりしてきて
今度は
社会を優先する人間社会になってゆくにつれ
つまり、共同で経済を維持しなくては
ならなくなった時
”個”という人間の意識
”孤”という人間の感情などが
どんどん曖昧になっていき
それは
無意識下で封印されていったと
言う訳です。
つまり
意識と無意識の
二重構造の心理も
”人間の社会化”の
産物と言えるかもしれませんね。
さて
かなり大胆に雑駁に
人間を説明をしましたが
そういう
自分という
個として
断絶している自分を
生きているのだということ
つまりすべての人間が孤独であること。
そして
自分の頭の中には
自分が間違って思い込んでいることや
思い込まされている事や
人間をがんじがらめにする
間違った規範意識などが
つめこまれていることなどを
踏まえたうえで
自己解放をしていく。
それでもまだ感情は
厄介だから
頭ではわかっているけれど
でも
寂しい
でも
愛されたい
でも悔しい
でも
嫉妬の感情が湧いてくる
でも否定や敵意が
湧いてくる・・・・などなど
一瞬にして
自分が落ち込んで
捉われてしまう
厄介な感情を
どうするか・・・・???
まずはねー
どんな人間もワニとネズミの感情という
本能的に
自分以外を否定する感情や
他人に対する敵意や嫉妬の感情が
在る・・という事を
肝に銘じておくこと。
人間はきれいごとではない・・・ということですよ。
そしてそういう自分の感情を
受けいれること、
決して否定したり、無視したり
なかったことに
しない。
その上で
そういう人間として、
動物としての宿命を
どう克服するかを
考える。
これは前頭葉の働きを
磨くことです。
経験した事を踏まえて
”知”と”理”を磨くことです。
まあしかし
考えてもそれは
人間の生理みたいなものだから
まずはそういう感情に対して
おおーワニとネズミが
暴れちょるなあ・・・と
突き離してみること。
さらに
なぜワニとネズミが反応したかを
自分の感情のルーツを
分析する。
昨日もかきましたが
ワニもネズミもその裏に不安や
怯えがあります。
更にその感情が必要のないものであれば
捨てる。
しかし
捨てても、捨てても
頭をもたげてくるなら
それはもう
自分の感情と体との連結ルートとが
常態化してしまっているので
なかなか
身体が変化できないのです。
つまり
自分の脳と体の反応がそういう風に
できあがってしまっているから
なかなかそれを変えることが
できないのです。
そして
身体は急激な変化には
対応できませし
嫌がります。
まあそういう時は
これは私が実行していることですが
以前も書きました
朝の祈りのノートに
「大いなるもの!どうぞ私の感情を
取り払ってください」と
毎日書いて
自己暗示をかける。
その時
自分で取り払おうとすると
”自我”との緊張や
葛藤になるから
自分(自我)を超越した存在として
大いなるものとか
神様とか
仏様でもいいですから
そういう風に
お願いとして書く。
神も仏も実は
人間の想像で、
人間の宗教が創ったものですが
それでも
そういうことは
関係なく
使わさせてもらい、
自分の力でやろうとしない。
↑
コレは大切なポイントですよ。
そういう風に自己放棄することで
身体の緊張が取れ
各段に体が緩み
自己暗示にかかりやすくなります。
私はいつも
神様・・にお願いしています・・・笑!
それをずーっと続けてください。
ずーっと毎日続けることにより
自分の中で
少しずつ変化が起きてきます。
また、自分が感情的になりそうになり
頭の中を感情が巡りそうになったら
5秒間くらい息を止める。
これも私が発見して
やっていることですが、
まあ呼吸を止めることで
自分の脳に対する
なにかが働くのでしょう・・・?!
そして次は理性の出番です。
自分の心を深く見つめ分析し
明らかに
ワニとネズミの感情の裏に
余計なものが張り付いている場合。
つまり
自分の中にある
心理的トラウマによって
感情が刺激される場合は
それを
みつける。
例えば劣等意識や
親との関係で起きてくる
愛情の欠損や
コンプレックスの反動で起きる
自己肥大化している自分と
他人との間で起きる摩擦などなど
自分の心の中の
澱みや汚れや
思い込みを
厳しく・・・・厳しくですよ
手加減せずに
見つめ、認め、受け入れる。
そして
それらのひとつひとつを
解決してゆく。
解決してゆくとは
自分に起きてくる感情的なトラブルはすべて
自分の中の何かを起動修正しなければならない事だと
認識して取り組む。
例えば職場が嫌で仕方がないというなら
なぜ嫌なのか
それは自分の廻りの人間がいやなのか
それともその職業そのものが
自分にあっていないのか・・?
その根拠をみつける。
ことと次第によっては
職を変える。
例えば
家族の中でいつも嫌に思いばかりしているのは
自分と家族の関係の中にひずみがあるのか
それとも
自分が依存していて
家族から卒業できないのか・・とか
自分が依存しているなら
自立するしかないね。
自分と相手とがいつもトラブルになるのは
自分が相手を支配しようとしているのか
それとも
自分がいい人になって
支配されているのか
いい人になってカモにされているなら
いい人をやめることです。
まあ
それは人によって
星の数ほどのケースがあるでしょう。
でも自分がいつも起こす
或いは起きる
トラブル
くり返して起きるトラブルや摩擦には
その人が向き合わなければならないことがあり
それから逃げているから
繰りかえされる。
そしてその時
勇気をもって相手と対峙すること。
そしてこれはとても大切なことですが
相手や他人に
人格者であることを求めないこと。
よーく勘違いしてるひとがいるのですが
自分の事は棚にあげといて
他人にばかり
人格者を求める。
更に
自分も人格者のフリをするいい子ちゃん!
言っておきますが
人間なんてみんな五十歩百歩
どんぐりの背比べです。
人格者やいい人なんて
いない!
いる訳がない!
中には
気のよわい人を
人格者にしたてて
甘えている人も
たくさんいますよ。
そしてこれはさらにもっと大切なこと
◎自分が恐れているひと
自分を不安にさせるひとに
覚悟を決めて
立ち向かいなさい!
決意して
戦いなさい。
いいですか
立ち向かう事や
戦う事から
逃げている限り
自分は救えませんよ。
そしてねえ~
自分が恐れている人
つまり
自分を恐れらせているひとの正体は
相手はチョー弱い
チョー自身がない
軟弱者です。
おそらく自分が思っているより
数倍も相手は
弱いはずですよ!
逆に言うと
自分の弱気と
逃げ腰が
相手の像を膨張させて
怖がっているに過ぎない。
或いは
◎、相手を自分が適わないものと決めつけて
自分が
”戦わない口実”にしている。
これがもうーほとんどで
ダメなんですよ、こういう人たち!
こういう人たちは
さっさと虎に喰われてしまえ・・と
私は思いますよ。
りすくを負わずに
何が手に入るものかッ

立ち向かうこと
戦う事を逃げずに
やる
何回もやる。
そのたびに
自分の中のエネルギーが復活してきます。
自分の中の腹が据わってきて
少しずつ”気”が束になっていきます。
この”気の束”ができてくると
自信が湧いてきて
自力がどんどん強化されてゆきます。
この自力ほど大切なものはないと
私は思います。
ほんとうに強い人は
それで自己完結していますから
他人を脅すことも
支配する必要も
ないのです。
まあ
淡々としたものです。
そして
そういう他人を恐れらせているひとほど
グサッとやっつけると
あっという間に
自己崩壊します。
その決戦の時
感情的になるのは仕方がないですが
でも極力冷静に
相手を一発で倒す言葉を
用意しておく・・・笑!
例えば職場の上司での能力は高いのだが
嫌なヤツ、威張っている奴がいたら
あなたの能力や技術が高いことは
高く評価しますが
あなたの人格や人間観については
まったく上司として尊敬できません・・というようなことを
冷静に
さらりと言ってしまう。
人間、感情的になる奴は怖くないけど
腹黒い人間はこわいからね。
腹黒く
冷静な言葉を投げつけるのです。
まあ
長い人生の中
喧嘩のしかたを覚えておくもの
知恵ですよ。
次に腹黒い人間とは
決して戦わない。
戦わないというのは
心理的ゲームをしない。
腹黒いというのは
心理的ゲームに引き込んで
表面の仮面や表面の言葉を
巧妙に擬装して
あたかも自分が悪いように
思い込ませるて
ジワジワいじめる。
こういう相手には
さっと距離を置き
常に他人行儀の態度と言葉で
接する。
ああ、だんだん処世術の技指南みたいになってきましたが
基本はすべて
立ち向かい
逃げない事です。
そして最後に
自分に起きてくる感情を
決して否定せず
その感情の起きてくる根っこにあるものを
見つめ、
考えることです。
更に
自分の感情を
見ないふりをしたり
封印したり
否定した場合
その感情は
人生の中で
積み残されないように
或いは
捨てられてしまわないように
ことあるごとに
無意識の領域から
頭をもたげてきます。
なぜなら
感情は
その人の生きるエネルギーの源だからです。
感情が旨く循環していると
エネルギーもうまく循環していきます。
しかし
感情が詰まったり
抑圧されたりしていると
エネルギーも
つまり
元気を奪われていきます。
そういうことが重なると
もう何をしてもダメだという
意欲が喪失していきます。
鬱の人は
自分が
自分の感情をどのように
扱ってきたかを
反省してください!
私はいつも
人生は反省も
後悔もせず
常に起きてきたことを
全肯定する・・と言っているのですが
まあ
鬱の人は
反省しろ・・・ですねえ!
じぶんを
どれだけ粗末に扱ってきたのかい・・と。
感情はできるだけお掃除すること。
そして
自分のこころのなかに
しこった感情が無くなっていく過程が
その人の人生が
開けてゆくことです。
心の中がどんどん空っぽになり
あっけらかんとするにつれ
人間関係も
どんどん楽になります。
他人のことは
他人に任せて
深入りしない
深読みも
しない!!
ああ
たくさん書いたから
今日は
これで
おしまいです。
それではまた
思いついたら
書きましょう。

