シリーズ・女性たちへ、自分の中身が見えるとは・・・その2 |
人間や世の中の本質が
見えてくるということは
その人間が持っている幻想が
色あせ、冷めてくることかもしれませんね。
以前ご紹介した見田宗助氏の一文
「夢から醒める、ということが
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある。」
のように
それは深い谷を渡り
高い山を乗り越えて見えてくる
広々とした地平です。
誰もがそこに行きつくわけではありません。
しかし
誰でも行くつけるところでもあります。
自分に起きてくる
さまざまな苦労や
厄介なことや
辛いことも
すべて
そこには
何らかのメッセージが埋められています。
自分の過去も、それはすべて
自分が、そうしたのであり
しかしそれは
そうするしかなかったことでもあります。
しかし
その過去も谷を渡り
山を越えるために
通らなければならなかった
道筋であったということは
そこを越えて、
眼下に広がる平野を
目にしたときにはじめて
わかってきます。
人を愛するということも
自分の過去の
自己中心的な行為や
無知であった、
知らなかったが故に
やってしまった過ちも
今から思えば
愚かしい行為や
恥ずかしいことや
悔やまれることをも
すべてを
真正面から見つめ
赦し
そして自分を労わることで、
つまり
そういう自分を愛することが
できて
はじめて
他者をも愛せる。
”完全ではない、不完全な人間”である
自分も他者をも
愛することができるのですね。
過去の自分を
いつまでも責めたり
悔んだり
反省したりすることよりも
その不完全な自分を
大きな、広い心で
包み込むことです。
そんな自分でいいんだよ・・・と。
みんな同じなんですね。
誰一人として
”完全な人間”など
いやーしません。
更に
自分の心の中がいかに
自分の事で精いっぱいのように
他の人も
その人は、その人の事で
せいいっぱいなのに
その他者から
自分の心を埋めてもらおうということが
いかに利己的であるかわかるでしょ。
人を愛するということは
自分も相手もが
それぞれの自分らしく
穏やかに交流できるということで
愛情を奪い合う事では
ありません。
そして
愛情に満たされてくるとは
自分を否定しないことは
すなわち相手を否定しないことへと
なってゆき、
自分をでディスカウントしないで
そのまま、相手へと差し出すことが
そういうありのままの自分
自然な自分である事が
あなたに出遭った人を
なごませ
安心させます。
ただ
そういう自分に成っていくためには
やはり
努力が必要ですね。
自分を肯定し続けること。
自分に対してやさしいこと。
自分に起きてくるか感情に
呑み込まれないことです。
※特に感情に関しては
それに呑み込まれたら
理性がきかなくなりますから
とても消耗します。
それは時間がたつことに
任せるか
或いは
これはとても難しく
高度な精神的処理ですが
先日書きましたように
自分に起きてくることは
すべて
自分に起因しているから
自分のせいだ・・と
引き受けた時・・・・さっと
自他の分離ができ、
頭のなかをしめている相手と
おさらばすることが
出来ます。
相手を責めていたり
自分を正当化したり
防衛しようとすればするほど
感情は刺激されて
おさまりませんからね。
生きることも
”人間をやること”も
大変です。
でも
ひとつ、ひとつ
心の中の石を捨てて
大切な自分を拾い上げて
やがて歳を取り
成熟して振り返ると
その過去の自分のすべてが
自分に必要なことであったと
愛おしむ日がくると
思います。
それは
自分の人生がすべて
自分によって
受けいれられ
肯定されたという事です。
ガンバロウネ!







最終的には生物学の範疇内に行くつくだろうという事だと私は思っていますが・・・・。
