すべて私が悪い その5、愛されてもなお・・・! |
というと
そうではありません。
愛されたからこそ
”今”があり
すくすくと育ったのですね。
愛された記憶や
喜びの記憶は
命の危機ではありませんから
強く記憶に残ることは
あまりないと
いわれています。
だから
確かに愛されたからこそ
”今”の自分があり、
だからこそ
マイナスの記憶との
精神的な
バランスがとれてこそ
均衡が保たれています。
ただ問題は
たいがいの親は
こどもに対する欲が出ちゃうんだね~。
赤ん坊のときは
無条件に愛し、受け入れていても
子供が成長するにつれ
欲が出てくるんだネエ~!
そして
もうひとつの問題は
親の人間の弱さで、
この世でただ唯一の
自分が心を許せる人間として子供に
甘えちゃうんだと思いますよ。
つまり
子供だけには
自分が決して他人には見せない
自分の修羅の素顔を
きつい言葉でいうと
自分の本性を
みせちゃうんだねえ~!
愚痴のはけ口
イライラのはけ口
逆に
子供に頼る
子供にコンプレックスを委託する。
子供に無理な期待を
する。
子供だけに
心をゆるし
無意識のうちに
自分の感情の裏表を
みせてしまうからです。
自分の頭が悪いことは
棚にあげて
子供に勉強を強いたり
お稽古事で
自由をうばったり
子供は親の自由になると
思い込んでいる親など
もうそこら辺に
ぞろぞろいます。
子供は
自分の所有物みたいに思っている親も
ゴロゴロいるでしょ。
そして
自分は他人から指示されたり
助言されたりするのが
大嫌いなのに
子供には
平気で指示し、命令し、
従わせようとする。
(人間は誰でも、他人から指示、命令、助言など
されたくないと思っていきています・・・。
嘘だとおもったら、よーく自分の心を覗いてみてください。
たいがいの人が、他人のいうことなんか聞きたくないでしょ
ホントウ・・・は。)
だから、どんな子供も
みんな
それなりの傷があるんですよ。
愛情ももらったけれど
不安や恐れや
自己否定もされてしまい
そして力関係では
圧倒的に
弱いし
育ててもらっているしね~
だから
親に
子供も意志と感情をもった
”小さな人間”で
其の限りは親と対等だという
よほどの自覚がない限り
子供は
本来の自分が
抑圧されて内向し
無意識にしこってしまっている
自分を
救い出さない限り
その強い記憶と
それによっておきる感情に
意識と足を縛られてしまうことです。
だから
いくら愛されたこどもでも
自分のインナーチャイルドを
救い出す必要があるのです。
ただし
インナーチャイルドを救い出すためには
越えければならない深い谷がある。
それが
親、ないしそれに類する
自分を封じ込め、
萎縮させている人間との
感情をともなう
対決です。
自立するための
イニシエーションといいますか、
痛みといいますか
そういう厳しさを越えなければ
親と分離し、
自立できないということです。
単に親と離れ
経済的な自立というだけでなく、
精神的な自立を成し遂げなければ
自立ということには
なりません。
つまり自分の精神をいっさい
自分で
賄う・・ということです。
それには、
自分の不安も
恐怖も
迷いも
すべてを
自分が引き受けて解決する・・・という
つよい意志や覚悟が必要です。
それを打ち立ててこそ
それまでの親への依存から
脱出する・・・ということです。
それが年齢とともに
できていれば
別に問題はなく
人生も順調にいくと思います。
また前半の人生で思い込んだ
或いは
思い込まされた
ローカルな世界は
ことごとく試されて行きますから
その、自分の想定外のことを
チエを使い
行動して
乗り越えて
更に自分を豊かにしてゆくことが
できれば
ナーンの問題もありません。
ただそういう
自分が
何も損なわれることもなく
安定したバランスを保つことができるのは
よほどこどもとして
そのままの自分を受け入れられ
肯定されて育ったひとです。
多くの人間は
何らかの
ディスカウントを
うけているのが
普通です。
なぜなら
親といえども、死ぬまでは
すべてが学びの途中であり、
さらに
人間は感情的に不完全であり
未熟で
弱い存在だからです。
親は子供だけには
自分の素顔を向ける。
つまり
それは
親が悪いということではなく
生きていくことが
それほど大変で
世の中と付き合うことが
それほど
警戒や用心が必要なほど
厳しいからです。
子供がそういう親でも
その親を乗り越えて
たくましく生きていれば問題は
ありませんが
そうではなく
親との関係のなかで
心も身体も縮めて
その子本来の
生命力を萎縮させいきてきた
子供は
その
萎縮したままの自分、
親を越えるとができず
たじろんでしまう自分、
つまり
自分の中に書き込まれた
或いは
思いこまれた
親との関係でおきている
不安や恐怖を
乗り越える必要があります。
つまり
自立する子供の第一の壁が
親で
親との戦いです。
勿論
自分を愛してくれた親ですが、
その親が
無条件に自分を愛してくれたなら
問題はありませんが、
そうではなく
親の優先順位のなかにある親の
欲やコンプレックスや
親のエゴや
親の依存・・・etc...などを
自分の中に
書き込まれたら、
親のそれらを
退治するに必要あります。
ただ
それを理解し
頭の中で処理することもできますが、
問題は
感情と体の中に
沁み込んでしまった
それらです。
頭では分かっていても
感情の反応として
身体の中に居すわって
自分の行為、行動を
縛ってしまうもの。
時に衝動として
自分をのっとってしまう
不安や恐怖や怒りや
コンプレックスを
自分から分離するためには
感情と身体の臨場感をもって
親退治をしないと
なかなかその桎梏から
解放されません。
だからこそ
親を退治するために
批判すること
そして
あなたと私はまったくの別人格であり
私は
あなたのダミーではない・・という
怒りをもって
親との決別の大きな山を越える必要が
あるのですね。
つまり
自立するための
だいいち優先事項が
親退治なのですね。
この親退治を回避して
親との距離をいくらとっても
親から埋めこまれた不安や恐怖は
無意識の中から
なかなか取れません。
逆に
その不安や恐れに動機ずけられた行動や
行為が
その人の人生の方向を決めてしまうことにも
なりかねません。
人間関係の不和は
ほとんど、自分本来の素直さや
自然さではなく
ゆがんだインナーチャイルドのところに
原因があります。
そして
不安や恐れや
コンプレックスに動機付けられたものは
必ず破綻していきます。
自分の中の心理障害になる
不安や恐れやコンプレックスを
取り除いて
自分を信頼し
世の中を信頼し
他者を信頼して
なおかつ
自分の中の直感(救出されたインナーチャイルド)を
信頼して
力強く
自分を生きる。
そこにどうにか
辿り着くまで
インナーチャイルドを
救い続ける。
自立した大人として
無条件に
自分を愛し
受け入れる。
そのための
第一関門が
親退治です。
親にして見れば
あんなに愛したのに・・・と
不合理に思うかもしれませんが
子供が
親が死んだ其の後も
たくましく
生き延びて行くためには
人間の宿命として
子供が
親を越えてゆくこと
激しい言葉でいうなら
親の屍を越えて行きなさい・・・ということができることこそ
親としての深い愛情であると
おもいます。
だから
親退治
けっこうじゃない!・・・と
親は覚悟をきめることだと
思います。
まあ
そういう親にはめったに会いませんがねえ~!
そしてその人が
しっかりと
自立し
身体もこころも
不安や恐れを解決し
自分の全体を
自分の総力をもって
人生に向き合うとき
其のときはじめて
こころに
余裕ができ
自分の中にあった不安や
恐れは
同時に
親を脅かし続けていたものと
おなじなのだ・・と
理解するでしょう。
親も自分と同じように
それらに翻弄されたんだ・・と・・ね。
親の苦労
親の苦悩を
理解できると
思いますよ。
大人になるということは
人間の全景がみえてくることです。
それを
理解できるまでの知性が
熟していくことだと
思います。
それには
インナーチャイルドを救い出すプロセス
そして
親と分離するプロセスを
やり遂げることが
必要です。
そしてそれは
おそらく
何年かの月日を要します。
気づいたら
ひとつづつ
心理障害の小石をすててゆく
もしかしたら
何年も何十年も
かかるかもしれませんね。
簡単に
安易にできることでは
ありませんが、
でも
小石を捨てるたびに
たからものが手に入ります。
根気よく
自分を追求していく中で
その軌跡が
かけがえのない
宝物へと
なっていくでしょう。
人を愛するとは
まず
無条件に
自分を愛することです。
何があっても
この世のたった一人の自分を
自分が愛するのですぞ!
自分だけは
なにがあっても
絶対
自分を見放さない!
無条件に
自分を受け入れてこそ
自分の鏡である他者への
連帯や
包容力
そして
一緒に生きる信頼が
湧いてくるのだと
思います。

朝の光の中で!