ぼんやりと・・・・。 |
何もしない。
昨日から右ひざが痛いので
足を安静にしておくためにも
何もせず、
時々テレビをみては
あとは
ぼんやりと考えことをしていた。
人間はある時期を越えると
自分の幸福は、
自分の内部がしっかり
うまっていくことだと
ぼんやり分かるようになる。
世の中や他者から認められたり
ちやほやされたり
受け入れられたりすることなど
風に舞う塵や
おが屑のようなもので
他者との関係で
埋められるものなど
ない・・と
気づいてくる。
最終的に向き合うのは
自分だけだと
気づいてゆく
勿論そういうことも
分からない人間も多々いる。
他者との関係で
充足されるものなど
たかがしれており
そんなもので埋めたものなど
まるで蜃気楼のように
霧散していく。
自分におきてくる欲求は
ただ自分のみしか
それに答えることが
できないと
分かってくる。
たとえそれが他者と関係の中で
おきてくるものであっても
そこに
自分を落とし込んで
正体を見極めた処理をしなければ
ただお荷物のように
それは
ころがったままになる。
そういうことを
怠って流してきた時
ある日
突然自分の中になんもない
ガラン堂をみつけた人間は
後残り少ない中で
その過ぎこしてきた日々が
塵のように風化していることに
愕然とするのである。
自分を取り巻く世界が
自分の内部で
自分の欲求が消化されて
自分が納得しながら
動いているかどうかが
次第に輪郭を現して
見えてくる。
残りの日々と過ぎこして日々の
その結末が
漠然とみえてくるのである。
うかつにも
他者との関係ばかりに
人生が消化されてしまい
そこが埋め切れていない時
はた、と気がついたとき
充足もなく
虚無的な喪失感のみが
人生を
笑っている。
私がそのことに気がついたのは
いつだっただろうか・・・。
人が生まれ
人が生きるということは
なんなのだろうねえ~!
少なくともわかっているのは
幸福とは
充足であり、
充足とは
老いを得て
生きてゆくその日々が
風吹くように過ぎてゆくことを
そのまんま
見ていられることだろうと
今のわたしは
そう思う。