シリーズ、不安と恐怖を脱出するその4、部屋を片付ける! |
4時間かけて、それまでできずにいた
部屋の片づけができた!という
うれしいメールをいただきました。
よかったね!
実はこの私も若い頃は
片づけができませんでした。
結婚しても、いつも足場のないくらいに
家中が散らかっていましたネエ~・・・苦笑!
原因のひとつは
親から
片付ける技術を教えてもらっていないこと。
いつもピアノの練習が第一優先で
身の回りのことはほとんど母親がやってくれていましたから・・・。
二つ目は
片付ける・・・ということが、
自分にとっての優先順位が低く
そこに神経を使うのが嫌だったこと。
三つ目は
おそらく私の中にあった
心理不安だと思います。
感情の起伏が激しく、
自他に分離ができていないために
親からの心理支配に縛られて
現実がみえない盲目状態で、
何をどうしたらいいかの
判断、決断ができず、
いつも感情的に
混乱に塊状態だったと
思います。
四つ目は
三つ目と同じように
親との分離(自他)が
できておらず
そのために
自分がどういう風に生きるか・・・の
”自己イメージ”がないため
つまり、心や感情をを整理する
”基軸”がないために
取捨の判断がつかなかった・・・のだと
思います。
しかし、やがて
自分は、
どんな風に生きたいのかの
自己イメージがはっきりしてきて
そう生きるためには
何が必要で
何がいらないか・・・の
判断がつくようになり
家の中の必要のないものを
ドンドン捨てるようになりました。
ものを整理し、
捨てられるようになった頃の私は
さんざんに考えた末
自分の感性、実感に基づいたものと
そうでなく
世間に迎合するような自分との
区別が明確になり
世間迎合する自分を
捨てました。
そして
もうひとつ
自分の中の欠損や
コンプレックスの裏返して的に
買ってしまうものに関しては
まずは
自分の欠損をうめるために
買ってあげる。
コンプレックスを埋めるために
買ってあげる。
大切なことは
自分の中の欠損や
コンプレックスを
”熟知”していながら
そうすることです。
熟知していないひとや
自他の分離ができていない人は
盲目的に、
感情に突き動かされ
衝動的に買い続けては
後悔するという
堂々巡りからぬけでられないでしょうが、
熟知しているということは
その反対に
出口をも
模索していることでも
ありますからね。
つまり
確信犯といいますか、
自分の中の欠損や
その正体の心理
コンプレックスと
その正体の心理を
ちゃーんと自覚しながら
買う。
一応買うのですが、
買いながらも
そこには
自分の内的な問いかけが
いつもあり、
ホントウにこれが
私の生きることに
ひつようなのか・・・という
客観的な視点があり、
そのうち
こんなもの
いらないやー・・・と
整理がついていきました。
自分の精神的な自立と
成長がつくにつれ
部屋も片付いていったと
思います。
しかしまあー
こういうことも
そうすんなり行くことではありません。
自分の自己イメージが
明確になるまでには
いろいろな試行錯誤があるでしょうし
自己イメージにOKをだし、
自分をそれでヨシと
肯定できるまでにも
時には
何年も
時間がかかります。
そういう自己イメージを
獲得していくうちに
やがて
時がくれば、
一挙に
物事が
解決してゆくでしょう。
私も最初は
ばらばらに飛び散った
自分のかけらを
拾い集めながら
ジグソーパズルのように
自分の内部を埋めていきました。
私の場合は
親から委託された自己イメージで生きていましたから
最初はそういう委託された自分を
必死で生きようとしましたが
ことごとく失敗と挫折を繰り返し
自分が粉砕されていく中で
自分がほんとうに好きなものはなにか
自分は
どういう風に生きたいか・・・という
問いかけを繰り返すうちに
まず、誰からもも期待されたくない自分
そして、自分が抱え込んでいる
他人との関係の中でおきる
様々な自己欲を
捨てたい・・と思いました。
自己認知欲、
自己顕示欲、
所有欲支配欲、
虚栄心、
競争心
対抗意識
甘えや依存などなどの
自我の雑物を捨ててしまう。
そして
自分をぶらさげて
飄々と生きたい!
そのとき
いつも頭に浮かんでいたのが
山頭火や良寛の姿でした。
山頭火は
どうしようもない自分を
抱えて、放浪し
しかし最後は
ちいさな質素な庵の中で
淡々として死んだ。
良寛も
執着を捨て
おそらく世間とは
一線を隔し
自分のささやかな個を
守りながら
最後はほんとうに心を開いて
死にました。
ふたりとも
ほとんど
何も持たず
最小限度の
必要物のみで
それでも
彼らの頭の中は
なんと豊穣であったかと
思います。
まあ、ここまでも
極限的ではないにしろ
私は
この二人をモデルに
自分の中で
自分を捉え,
縛っているものは
考え(観念)も
モノも
ドンドン捨てていく・・・という
生き方を
私自身の理想として
現在にいたっています。
人間は
それぞれ、自分の世界があります。
まずは
自分の自己イメージ
つまり
自分はどのように生きたいか・・・を
考える。
そして
どうしたら
その世界が
満たされ
実現していくか・・・・を
考える。
それができてくると
ものの選択、取捨の
優先順位がきまってきて
生活も
身の回りも
シンプルで
かつ
豊かになると
思います。
そして
モノ・・・とは
”それまでの自分”を投影したものですから
いわゆる
過去の自分です。
未来の自分ではありません。
自己イメージとは
未来の自分像です。
つまり
ものの整理がつくということは
過去の自分の整理がつき
未来へと自分が
向かいはじめている・・・ということに
なります。
人間は常に、過去、今、未来を
一瞬、一瞬、編集しては
”今”の自分を生きてます。
つまり変化するのが
人間の本質です。
ものに執着し
捨てられないのは
過去にばかり
生きているからです。
そうではなく
身を軽く、
ナンにでも
しなやかに対応し
変化する自分を
楽しむ!
そうなれると
いいですね、
お互いに!