シリーズ、不安と恐怖を脱出するその17、うちゅうなんかではありません。 |
加島祥造さんのホームページを
開いてみたら、
なんと
こういう人がひっついているのか
困ったなあ~と
思いました。
まあ別に私が困ったわけではないのですが、
ここで加島さんの本を
ご紹介したので
こまったなーと
思うのです。
それでも
加島さんの
「ほっとする 老子のことば」は
とてもいい本で
読むとホントに
ほっとします。
それはそれでいいと思います。
しかし
彼のホームページを
管理している人たちは
どうも
スピリチャルを信奉している人たち
らしいです。
それも
それでいいと思いますが
私がここで書いている
人間の心理やカウンセリングは
そういうスピリチャルなこととは
全く
関係ありません。
人間、つまり自分が
生まれて以来、
その生れ落ちた環境や
周囲を取り巻く人間たちとの間でおきる
”関係”によって
脳に収集された
その人間の生きるためのデーターと
それによって
脳に編集されていく意識の中でおきてくる
様々なマイナス要因を
分析、解明して
自分の意識や体が
縛られている
自分が思い込んだこと
思い込まされたことからの
解放されていく事を
書いています。
それには
彼らが言っている
宇宙なんてことは
まったく
関係ありませんし
第一
宇宙のことはまだ8パーセントくらいしか
解明されていないらしいですから
宇宙・・と一言でくくるのは
とても傲慢で(宇宙の事を知らないから簡単に言える)
危険なことだと
思いますよ・・・。
そういう不可視なこと
解明されていないことを
便宜上につかっているなら
それも
おかしいです。
でも
その人たちはそういう風に
思い、生きたいのだと
思いますから
まあそれはそれでいいと
思います。
自分が思い込んでいることは
どれだけ
客観性において
真実か・・・ということを
確かめる必要があります。
ほんとに
そうなのか・・・どうか・・・?
です。
ただひとついえるのは
自分が苦しいと思うことは
多分
自分にとって正しくないことだと
いうことです。
どこかに
人間(その人)の
本来の生命の働きが
疎外されていたり
捻じ曲げられているから
苦しいので
そこに焦点をあて
分析し
解決していくということが
必要です。
それがインナーチャイルドを
救い出すということです。
人間の”意識”が思っているより
”脳と体の世界”=意識と無意識の合体する世界は
優秀で広く
意識を超えて
命を作動させています。
それを人間(自分)の意識だけで
囲い込もうとするから
無理がおきてしまう。
加島さんも多分
この
”無意識領域”に気がつき
それを老子の言葉に載せて
メッセージ化したのだと
思いますが、
この無意識の世界を
学理的に理解できていないと
多分
うちゅう~・・・・・・と
いうことばに
なってしまうのかも
しれませんね。
自我の意識というのも
人間の脳が作り出した
生命の危機管理のコントロールタワーで、
まさしく
その生命が存在する環境の範疇の中の
共同の意識を
常に脳が
”編集”しながら
からだ、つまり
自分の”存在”への示唆、指示を
与え続けているものです。
それも
実は
その人間の
存在する環境の範疇の中でむすばれている
その人間の”存在の限界”のなかでの
言葉の文脈で
語られているものです。
だからこそ
人はすべて違う世界をもち
世界中は
異なる言語と文化が発生しているのです。
つまり
命(無意識の働き)・・・という
人間の言葉内の文脈では
把握することができない
”存在の働き”を
とてもわかりにくい
命の働きを
意識のなかの言葉で
自我が説明できる範囲の言葉で
説明しようとするもので、
時にそれは
とても
狭義の世界のことになってしまいます。
多くの無理や矛盾を生じさせて
しまします。
それを
もうひとつの扉
”無意識”からみえてくる
風景として
説明できてくると
やっと
自分への
合点がいく・・・。
ということを
私は懸命に伝えようと
しているのですけど・・・苦笑!
巧く伝えられているかしら・・?
例えば
なぜ
自分が
こんなコンプレックスを
持ってしまったか・・・
は
自分の幼児期や生育期の環境と
そこに存在していた
親や周囲の人間や社会との
”関係”のなかでの
価値意識や優先順位によって
そう
思い込まされたものです。
だからその自分を取り巻いていた関係を
分析して洗いなおす。
つまり
ホントウにその価値観や優先順位は
自分にとって
自分が生きることに
とって
正しいものか
まともなもんか
純粋な人間認識であったか
などを
洗いなおす必要が
あるのですね。
そのときのヒントになるのが
自分が”苦しい”ということです。
自分が苦しいというのは
それが自分にとって
正しくない
必要でない
純粋に自分の命を生かそうとするものでは
ない・・・という
命の信号なんですね。
それは命が無意識から
くるしいよう
ちがうよー・・と
サイン、信号を送ってくれているのですよ。
人間の記憶は
強烈に反応したこと
強烈に感じたこと
強烈な印象の
命の危機や
感情のやりとり、
つまり
赤ん坊や
幼児の時の
恐ろしかったことや
不安なことのほうが
優先的に記憶されていきます。
しかし
もう
大人となった自分には
その危機や恐怖や不安を
超えていく力が
備わっています。
備わっているが
しかしまだ
そのマイナスな記憶が
しこったままで
解決されていない・・・というのが
インナーチャイルドです。
正確に言えば子供の頃の
マイナスの記憶によって
おきてくる
心理的ブレーキのサインとでも
言いましょうか。
ただ
記憶というのも
常に前頭葉で編集されて
合理化されては
解決されていきますから
(つまり記憶も常に流転変化しているものです)
強烈に残ってしまった
記憶の傷痕とでもいいましょうかねー。
それが
自分を心理的にしばって
行動を規正し
欲求を抑圧してしまい
その人間本来の
のびのびとした
命の輝きを
ディスカウントして
潰してしまうのですよ。
だから
インナーチャイルドが
思い込んでいる
子供頃の心の傷になっている
記憶をつきとめ、
大人の自分がそれは
ほんとうにそれが自分にとって
正しい認識かどうか
ほんとうに
自分にひつようなことかどうかを
再度
検証していく必要がある・・と
言うことです。
だから
インナーチャイルドを救い出すと
一気に自分を縛っていた縄や
綱が切れた世界が
見えてきます。
つまり
自分が捉われていた
世界の
愚かさや
狭さが
分かってくるのです。
なんて
ばかばかしい世界に
私は捉われつづけていたのか・・・・とね。
そしてインナーチャイルドが
裏返る・・・・。
つまり
否定し抑圧しつづけた自分ではない
もうひとりの自分のいんなーチャイルド
つまり
加島さんいうところの
”次の自分”が
今度は安心して
裏返って
よけいな汚れがとれた
”はじめの自分”である
本来の
自分の意識と無意識が働きだし
その中で
生きだすのです。
それが今までの無意識の中で
抑圧していた
データーで
その山のような
自分データーが
働き出すのですね。
つまり今度は
自分の人生が集めてきたデーターが
”直観”として
フルに作動し始めるのです。
そのときこそ
加島さんのいう
「無欲になって はじめて
真のリアリティーが見えてくる」
世界です。
つまり自我の汚れが取れてきている
世界です。
そのとき
自分を全肯定できていないと
せっかくの
その直観を
否定したり
疑ってしまい
元の木阿弥になってしまいますが
そうではなく
自分を信頼し直観を
信じていくと
今度はその直観したことが
ドンドンどの人の才能や能力として
結実していきます。
もともとよーく
自分を観察してみて御覧なさい。
多分自分が思うより先に
自分の体が
反応していることが
分かってきます。
つまり
自分は
ほとんど直感的に生きていることが
分かってきます。
でも
よーく観察しないと
わかりませんからね・・・笑い!
チャネリングというのも
うちゅうなどから
ふってくるのではなく
自分の命が直観し
その自分を信頼し
肯定していったときに
開いてくる
自分の能力だと
私は思います。
まあ、チャンネルが
開いていくことでも
あるんですが・・・・苦笑!
天才脳といわれる人たちの
ほとんどが
他人の目など気にしない人たちで
気にしないというより
そういうところの脳の機能が
欠損している・・・・とでも
いいましょうか、
ないんです。
他人なんか
どうでもいいんですよ・・・・笑い!
いい意味でね。
うちにも
天才がひとりいますから
よーく
分かります・・・・笑!
だから
自分の脳がキャッチするデーターと
そのデーターを
前頭葉が可能性を探りながら
仮想していく能力が凄い!
だから
常人には見えない世界を
可視してしまう。
まあ
前頭葉の可視と仮想能力が
局部的に大きい・・・・のかなあと
思います。
それは
よけいな人間の文脈の
負荷ブレーキが
かかっていないからです。
ああ
随分と長く書きましたが、
加島さんの本は
本で素敵ですので
私はその本もその世界をも
愛しています。
まあ
そういうことです。
もう、最後の
ゴージャスです。