シリーズ・夢から醒めるということが・4、大いなる覚醒その1 |
なにも恐れることは
ありませんよ。
もし、ほんとに
充実して
生きたいなら、
もしほんとうに
クリエイティヴに生き
そんな仕事を
しようとするならば、
ひたすら自分を堀りつづけ
世の中の一切の反応を
シャッターアウトすること、
無視することです。
無視するという
過激な言葉が嫌なら
全く気にしないとか
相手にしない・・でも
いいんだけれど、
それじゃあーちょっと
腰が弱い気がするなあー!
それくらいの
覚悟を決める・・・つてことですよ。
世の中など
実体のない
幻想と
影ですから
そんなもんに
作用されることなど
もうー不毛なことです。
だから突き放し
無視する。
その上で
自分の深層にある
澄みきった
清らかで
美味しい水を
汲み上げて
飲むことです。
そこにこそ
人間の創造的な力が
潜んでいます。
そして
できるなら
その澄んだ水を
人々に
分け与えてほしい!
できるならね。
俳人、正岡子規が
カリエスの床で
死にそうになりながら
痛みをこらえて
言い放った、
悟るということを
死ぬということを受け入れることではなく
何があっても
平然として
生きることだ。
そのとおりですよ。
そして
作家、藤枝静男が
訪れてきた
通俗作家に言い放った、
旗を立てること。
世に迎合するなく
自分という旗を
立てること。
何があっても
風雨の中でも
晴天の中でも
孤高の中に
凛として
立っている
旗を
立てること。
これこそ
我生き方である・・・とね。
すべては
自分のなかにあり
自分の中の出来事にすぎないんだね。
だからね
すべては
自分で
作り直すことも
できるんだね。
自分は
自分で
完結している。
このことが
わかると
いいね。
今わからなくても
いつかね
わかると
いいね。
いつかね
きっとね!