シリーズ・天才と暮らす・プロローグ |
私が考えている。
今朝もそのまどろみの中で
体と意識はねじれながら、
お互いを相関している・・と
とろとろと
考えている自分がいました。
そのうち
はっと
いや、
体は意識から自立しており
意識は
体と外部(社会)との
”関係”を
まさぐっている・・・・装置だ・・・と
ひらめいた。
つまり
意識が発生した当時の原著の意識が
今では、
その意識そのものが
自己増幅する中で作り上げた幻想が
”権力を持ち”
その幻想の意識によって
現在の意識が決定され(支配され)
体はその、意識の権力によって
常にその
”自然性”を
”疎外されている”・・・のが
今・・・だ!・・・・と
分かったのです。
「意識は存在に決定される」といったのは
マルクスですが、
いやいや
マルクスさん、
反対ですよ、
体こそ決定権を
持っていたのに
もはやその決定権が
風前のともし火のごとくなって
だからこそ
現代人は
苦しみぬいている・・・の
ですぞ・・・。
こう
うとうと
つらつら
考えているうちに
意識がだんだん
覚醒してきて、
そうだ
意識がなんと言おうと
体こそ
”存在”そのもので
なにものの想念(意識)からも
自立した
”存在”そのものであるいうのが
ドーンと
きました。
つまり、
からだ=存在は
いつもその自然性にそって生きようとするのに
その前に立ちはだかるのが
”意識が作り上げた世界”で
意識は常に
存在(体の意志と実感)と
”意識が作り上げた世界”との
”関係”を
まさぐるって(模索して)は、
意識と存在の関係を
説明しようとしている。
もはや
いや、支配しようと
していいるとも
いえるなあー!
まあ、
よく言えば,止揚しようとしているのだけれど
しかし
意識そのものが
もうかなり偏曲、歪曲してしまっている現代においては
意識による
”意識の存在証明”のほうが
勝ってしまい、
そして体は、
無理やりそれにあわせての
”よけいな負荷”をかけられ
消耗して、
疲れ果てている。
という
それが
現代だと
思いますよ。
そしてもう
体は限界いっぱいに来ており
いつか
意識の支配の破綻と
それをカバーする
創発の時代が
おきるかもしれないね。
でも、それも
100年単位でのことかもしれませんが・・・。
最初に体(存在)があり
その後に
意識です。
そして
ああー
何があっても
◎存在(はじめの私=インナーチャイルド)は
何者にも
疎外されない・・・と
いうのが
今朝の黎明に掴んだ
私の結論でした。
そして
はじめの私=インナーチャイルドを
回復した時こそ
脳と体が全体で始動しはじめる。
つまり
自分の全体が
シンフォニックに
作動する・・・・と
思いますよ!!!
さて、
今日は私の66回目の誕生日ですが、
よく、持ちこたえました。
このよく持ちこたえた」というのは
長年の主人との関係の
シビアーさに
対して
その始終を横でみていた娘が
言ってくれた
言葉です。
ほんとうに
よく持ちこたえました・・・・笑!
なぜ
主人との関係がシビアーであり
精神的苦労の連続であったかは
明日から
シリーズ「天才と暮らす」で
書きたいと思います。
主人は
皆さんがもう普通に使っている
商品についているバーコード、
そのバーコードを使って成立する社会の
システムを
考え出したひとです。
それによって
商業も流通も消費も経済も
今の社会の構造が
革命的に激変しました。
それはまだ誰もが
現代のコンピューター社会を
思い浮かべることすらを
できない
40年近く前に、
主人とそのチームが着手し
11年間にわたっての
模索、研究,考査の追及の中から
生まれてきました。
まあ
私がいうのも
ナンですが
いわゆる
天才脳の主人で
その主人と暮らすこと
人生を伴にする事が
いかに熾烈で
大変だったかを書きたいと
思います。
そして主人がなぜ
それを為しえたか・・・の
中に
皆さんが
自分を生かすこととは・・・に対する。
たくさんの
生きたヒントがあると
思います。
まあこれも
私の遺言として
書いておきましょう。
脳と体が
シンフォニック・・・にね。