シリーズ・天才と暮らす・リアル情報とは・・・??? |
知りませんが、少なくとも
かなり、変わっている。
(本人はちっとも自分がおかしいとは
思っていませんが)
それは、人間関係において
本人は、トテモ優しい心をもっていることは
間違いないのですが、
普通の人がいだくような
他人への配慮とか気遣い・・・という
回路が、
ほとんどないこと。
つまり
”他者への関心”があまりないこと。
そして
感情に捉われることが
少ないため、
逆に
人間関係も社会の動静も
”構造”的に
把握する能力が
優れている。
そして
自分の中の優先順位に
正直にそって生きていること。
その優先順位は
人間関係の”感情の交換”では
なく、
現実におきてくる矛盾を
いかに止揚するか・・と
いうことです。
特筆すべきは
彼は
あまり心理的に
傷つかない・・・・。
鈍いというか
頑丈というか
他者のことに関心がないため
多くの人間が捉われてしまう
自分と外部との関係に対して
恐ろしいほど
淡白なのです。
人間関係での
自分の感情に捉われたり
傷ついたりしての
ウジウジや
ドロドロが
ほとんど
ない・・・ということです。
だからといって
繊細ではないか・・・というと
繊細なのですよ。
ただね、
これは今日私が
書きのこしておきたいという
中心的なテーマで
とても大切なことなのですが、
他人への関心が少ない、
他人からの介入がなく
他人との
葛藤へ
呑み込まれない・・・ということは
裏返すと
彼はいつも
自分の軸を
基軸にして
しっかり
自分を生きている・・・ということでも
あるのです。
自分の基軸を軸に
それに必要な情報
”のみ”を
効率よく
収集、獲得している。
つまり
人間は、
自分にとって関係の深い
或いは
自分にとって
重要であり
必要と思われるものに対してだけ
関心をもち
意識がむいていきます。
また
それを記憶していきます。
よーく
自分の意識を観察し
記憶を
分析してみてください。
誰でも
自分にとって価値が希少なものは
素通りしていると
思いますよ!
そして、
多くの人々が
悩むのは
或いは
自己実現のブレーキと
なっているのが
ほとんどが
”人間関係”で
それも感情に関するもので
その人にとって
他者と自分との関係が
自分にとって
”滑らか”であるかどうか
その関係に於いて
自分が
保持されるかどうか
が
とても重要だと
”思いこんでいる”から
自己実現の前に
そういうことばかりに
悩むのです。
父ちゃんの頭の中は
そんなことは
どうでもいい・・・・のですね。
だから
私や家族との関係造りよりも
彼が優先した
バーコードによる
商業、流通の革命のほうが
断然重要で、
必然で
彼にとっては
家族を放置しても
”絶対やり遂げなければならないこと”
だったわけですね・・・苦笑!
たいがいの人は
このことが逆転しています。
たいがいの人は
社会や
世間的人間関係のほうに
関心の基軸のシフトを置いており
そのため
自分本来の基軸のほうが
おろそかさにされたり、
また
やすやすと
自分の中に
他者を介入させたり
住み込ませたり
してしまいます。
そして
その価値判断をも
そういう関係の中に
依存してしまいます。
父ちゃんはそうではありませんね、
彼は他人を介入させず
いつもひとりで生きている・・・・。
だから
それまでの人生の中で
自分が収集し、
獲得した知識と
そして
体験と経験によって獲得した
リアリティー(現実性)の
自分の基軸をもとに
現実の課題を取捨し
必要なものだけ
ドンドン
自分の中に
取り込んでいる。
つまり
いつも自分が
”大前提”にあり
自分の基軸に依拠するという風に
自分が
全肯定されているのです。
だからこそ
”今”
つまり”今”或いは
”現代”そして
この
”現実”という
時間と空間において
自分にとって必要なこと
やらなければならないことの
優先順位が
明確、明瞭に
つき
無駄にぶれず
その
核心にむかっての
エネルギーが
注がれていくのですよ。
そこが、
凄い!
私がなぜいつも
自分になかにあるものを信頼し
全肯定してほいしと
もう
くちが酸っぱくなるほど
言い続けるかは
実が
ここにあるのです。
これは
とても重要なことなんですね。
自己実現や
自分を生かすためには
インナーチャイルドを
救い出し
その傷による負のリスク
つまり
生育のなかで傷つけられ
その人間の不安や恐怖の原因となっているものを
取り除き
もともとあった
自分の生命力を回復すること
必要です。
インナーチャイルドが救い出され
本来の自分が回復されていくと、
今度はそれが
活力をもって
自分の中で息づいてくる。
その自分を
全幅に信頼することにより
自分がそれまでの人生で獲得した
自分の”ナマのデーター”
つまり
自分の経験や体験で得た
自分の実感に基づいた
データー!
と
自分にとって
重要で必要だと
コツコツ溜め込んだ
自分のための知識と
そのデーターこそが
もう
なにものにもましての
データーとなるのです。
”今”
ここに生きている自分の
もっとも
信頼すべき
データー・・・・だと
言うこと
つまり
それこそが
”生きた”データー
なんですね。
つまり
山のようなデーターから
たった
一本の金の鉱脈を
探し当てる・・・・・・、
その鍵は
まさに
自分の中にあるデーターを
信頼し
全肯定し
それを駆使した”自分の脳”において
ひらめき
沸き起こってくる
直観にこそ
それであり
それを
どんどん汲みだしていけば
いいのです。
天才を含め
自己実現していく人たちは
自分を絶対的に信じ
自分に依拠し
自分の中にあるものを
次々と
汲みだしているから
そこに、
今
最も必要で有効なデーターを
引き出すことが
できるのです。
それはまさに
自分が持っている
抽斗から
引きだしているのですよ・・・・。
多くの人間が陥っている
他人に依存し
他人や世間の情報に
依存する・・・ということからは
なーんのリアリティーも
確信も
生まれない・・・・のですぞ!!!
そして
その直観の裏には
猜疑心や
人間不信は
ありません。
その大前提にあるのは
人間への”信頼”です。
父ちゃんの頭の中は
人間関係のギクシャクや
ドロドロに対して
かなりの距離があり
そういうことは
彼の意識の”埒外”にあり
そういうことで
悩みません。
それは
いずれは
当人同士でカタがつくことで・・・と
放ってしまいます。
それが時々
大きな誤解を生むのですが、
それは冷たいからではなく
人間
いずれ
自分の中のものを
自分が解決してゆくもの・・という
人間力への
信頼です。
これはカウンセリングの根底にある
人間は誰もが
地力で生きる生命力を内包しながら
生きている・・・という
人間への信頼と重なるものです。
最後に
こうして書いてみると
父ちゃんは
まるで鉄人、超人のように
思われてしまうかもしれませんが
そんなことは
ありません。
私達と同じように
デリケートで弱く
迷いの中にいる
ただの
人間です。
むしろ
たくさんの誤解を受け
今でも
誤解され続けているかも
しれませんね。
その中で
今も彼は
自分で成し遂げナければならない・・・という
ひたすらの使命感で
家族を
ほったらかし・・・笑い!
ほとんど
中国へと行っています。
そういう父ちゃんを
支えているのが
私達家族なのですが
彼が気づいているかどうか・・・???
(なんせ、鈍感ですからねエー・・・苦笑!)
人間は、眠りにつくと
全くの
”無防備”になってしまいます。
そういう
”無防備”になれる場所が
家庭であり
家族です。
家族は
家族どうしの
”むきだしの感情”がぶつかる
葛藤の場で、
病理であると伴に
たった一つの
人間が裸になれる
(スキだらけになれる)
安らぎの場でも
あります。
そして
人間は
お互いを理解するためには
長い年月が必要で
そのプロセスにこそ
宝物が落ちています。
私が書き続けている
このブログは
そういうことを
書き残したいと思い
書いています。
インナーチャイルドを救い出すことにより
自分の心やからだの中に
刷り込まれた
不安や恐怖を追い出し
そして
もともとの自分
加島祥造さんのいう
”はじめ”の自分
私がこのブログで書いた
”あっちの自分”ではなく
”こっちの自分”
を
取り戻すこと。
それは
単に頭の中でそう思うのではなく
”体”に巣食ってしまった
不安や恐怖や
世間的思い込みを
追い出してしまうことであります。
自分の内部から
自分を脅し続けるもうひとりの自分を
(前半の自分・あっちの自分)
追い出して
今度は
もうー
安心して
自分に全幅の信頼を置き
全肯定していく。
常に
意識的な
自己肯定が
必要です。
自己実現とは、
自分に依拠しながら
自分の中に
既に、自分の中に、
膨大にある、
大切なデーターバンクの中から
自分にもっとも必要な事を
直感してしていく。
自己実現こそ
自分の本来の能力や力を
発揮することであり
それが
自分のためだけではなく
他者や
社会のために
役立てたら
こんなに素敵な人生が
あるだろうかと
私は思います。
それは天才だからとか
特別なひと・・・だからというのでは
ありませんよ。
誰もがです。
誰もがもっている
人間の可能性です。
自分を否定したり
自分を疑ったりしないで
自分のために
自分への
優しいまなざしと
愛情を
おむけなさい・・・と
私は言います。
そこにこそ
その人の”生”への
鍵があるのですね。
次回は
なぜ、父ちゃんが
カジュアル化で変容し
ガーデニングに取り組んだかの
私との関係・・・とその謎・・・について
書きたいと
思います。
まあ
謎・・って言うほどのことでも
ないですが・・・・。
蓼科で見つけた
水芭蕉です。