2013年 05月 26日
岩田慶治著『道元との対話』より,時代はそうして創られてゆく! |
わたし達の意識は
どうしても、その社会の意識に
規定されてしまいますから
そこにある
階級(ヒエラルヒー)や序列や優劣や勝ち負けに
左右されてしまいます。
だから
自分では気づいていないけれど
自分の中には
無自覚な、
階級意識(ヒエラルヒー)や
序列意識や優劣が
意識の輪郭を作ってしまいます。
例として
一番分かりやすいのが
中流意識で
今はそれも解体しつつありますが
一時期の日本人のほとんどが
漠然と
自分は中流だと
思い込んでいました。
また自分を上下に位置づけた
優劣の階級意識とも
自分の中の様々に
自我を規定している
コンプレックスも
自分の言動に左右してしまい
他者との関係に
微妙に影をおとしてしまいます。
そして社会的序列に関しては
ナーンの根拠もないのに
学者とか医者とか政治家とか
弁護士とかの
何がしかの看板や
肩書きが
権威を持ち
あたかもその人間の内容もまでも
顕しているような
錯覚に
陥らせてしまいます。
さらにこういう社会のなかの意識は
常に幻想をともなって
カースト化し
その中で
自分を肯定できない人間や
自信のない人間は
自分をディスカウントする一方で
他者に対する幻想の
期待や依存を
発生させてしまいます。
極論すれば、
社会というのは
階級も階層も序列も優劣も
全くの幻想で
単に一人一人の成員が
いるだけです。
一人一人の人間が
自分を生きているだけであり
そこにはなーんも保障はなく
懸命に生きていいる人間たちの
大切な
”働きの結果”だけが
社会を支え続けているのです。
いわば人間は
みーんな
自力で生きているのですよ。
しかし
困ったことに
そういう人々の
自分に対する肯定的な
自覚は薄く
あたかも
社会が、
国家が
その成員を保障し
守るような
幻想が生まれることです。
国家って
なんでしょうねえ~?
ホントウは
第二次世界大戦で
大敗した日本は
国家が崩壊しました。
大敗した、というより
国家に国民が
利用され
殺されたというのが
ホントウのことです。
しかし
今、
なーんの疑問もなく
日本人は
ウカウカと
国家に期待し
依存しています。
何を根拠に
そうなるのでしょうかねえー?
3,11以後
国民が不安になり
世の中に閉塞感が漂っているのは
期待するほどに
国は頼りにならず
むしろ
政治家と役人の劣化と
国策のなさに
絶望しはじめたからでは
ないですか・・・。
実は私も3,11以後
この国の無策と無能に
絶望し
未来が見えず
落ち込みました。
そのまま
それをずーっと引きずっていて、
岩田先生の本を読んで
目からウロコが落ちるまで
そこの闇があきませんでした。
しかしよくよく考えてみれば、
もともと
国家とか
社会に期待したり
依存するほうが
おかしいのです。
なぜって
それは
幻想でなりたっている
蜃気楼のようなもので
政治家や
役人や
学者や
知識人などという人間たちが
ほんとうに
高い能力や
深い洞察力の
中身をもっているかどうかは
わからないことですからね。
むしろ
亡くなった父の言葉どおり
『バカと煙は上へのぼりたがる』というように
社会のヒエラルヒーの上に
上りたがる人間は
中身がないから
その反動として
権力を持ちたがる・・・とも
いえなくはない!
私はどんな人間も
せいぜい7,80年の
中でいき、
その時空で得られるものは
五十歩百歩で
むしろ
地べたで社会を支えている人間のほうが
ホントウは
力も知恵もあるのではないかとも
思います。
しかし
困ったことに
今の日本人は
上からの改革ばかりに
期待します。
政治や
行政に依存し
期待しすぎです。
上が変われば
何かが起きる・・・なんてことは
ないのにね~!
そりゃ、少しくらいは
変わるでしょうが、
むしろ
ボンクラばかりが
はびこっている。
一度この
社会幻想
共同幻想、
社会のヒエラルヒーや
序列や
優劣への
それらへの依存を
全部
取っ払って
そこから
まったく抜け出して
自分の事を
考えてみたらどうでしょうか・・・?
そんなこととは
全く関係なく生きている自分を
想像してみてください。
そうしたら
日々自力でいきている
自分たちのほうが
よほどまともで
力があるかが
わかるでしょう。
そこには、
そんな国家幻想なんかに
お世話にならなくても
生き抜いている自分が
いるでしょ。
自分は
自分の細腕一本で
食っているし
家族をやしなっており
むしろ
税金という収奪をうけている・・・?苦笑・・!!
上からの改革なんかより
自分の力と能力を信じ
自分の周辺こそを
変えてゆくことのほうが
よほど現実的な力を
持ちます。
では
なにを
どう変えてゆくか・・・?
人間の諸現象を規定しているのは
”関係”ということです。
世の中を変革していくその基本は
どういう関係を
創り出すか・・・・だと
私は思います。
自分は家族や他人や
自分の外部世界と
どういう関係になりたいか・・。
町や環境や自然との関係を
どうしたいか・・・。
逆に
これまで
どういう風に
関係を作ってきたか・・・に
自分の基本パターンが
あるはずです。
その関係において
自分は
何を欲し
何を獲得したいか。
或いは
獲得してきたか・・・・?
実は
この
”関係”を創る・・・ということが
とても重要で
奇跡を起こしていくんですね。
特に人間一人一人が
自分の関係に対して
創造的である・・・ということが
奇跡の種で
やがてやってくる
大きな動きの原動力の
底力となります。
自分が人生で
手に入れたいのは
なにか・・・?
自分は
どんな幸福を手に入れたいか?
それには
どんな関係を結び
どんな関係を創る必要が
あるか。
そのとき
自分の目標や幸福や
満足のイメージと
自分の内面世界とが
突き合わされます。
しかし
内面世界にゆがみや
汚れがあると
当然それは
その人間の達成や幸福感に
影を落としますし、
その人間が
ホントウに正直に
自分の内面に向き合わない限り
社会の想念で
自分を偽装したり
優等生的な観念で
本心を隠したりという事が
起きてきます。
たとえば
自分が大金持ちになることが
幸福だと思うなら
それがその人間の
正直な思いなら
それはそれで
いいのです。
だめなのは
自分はほんとは
大金持ちになりたいのに
そういう自分を
隠していたり
世の中に受け入れてもらえそうな
幸福感にすりかえたりして
自分にも
他人にも
嘘をついて
しまうことです。
ぶっちゃけて言うとね
その人がいくら
自分の意識を偽装したり
自分に嘘をついて
仮面化しても
無意識は
その人の本心に忠実に
現れて
その人間の行動となりますから、
本人は気づいていなくて
仮面を被っている・・という姿が
そのまま他者の目に
みえていることに
なります。
他人の目にうつるのは
その人の総体が
そのまま見えるのだと
いうことです。
残念なことにね・・・!
そして
関係を結ぶべき
相手も外的世界も
その人間との
無意識のレベルでの関係が
発生しますから、
いくら仮面をかぶっても
無駄なのですよ。
自分のありのまま
自分の心に正直に
幸福のイメージを結ぶことのほうが
客観的な状況をも
関係も
自然にそのように
なっていきます。
言っておきますが
金持ちをめざすのは
人間的堕落だとかいうのも
人間が作りだした
倫理観や
階級性や序列への
反動の意識ですからね・・・。
その人がそう望むなら
それはそうで
いいのです。
そうではなく
自分の欲しいもの
自分がなりたいもの
自分が創りたい関係
人間関係も環境や自然との
関係も
自分が思うこと
欲することを
正直に自分のそのままを
受け入れることです。
そして
その関係を創りだしていくうちに
いろんなプロセスが
あるでしょうし
年月の中での
様々な試行錯誤もあると
思います・・が
そういう風に
自分と向き合い
追究するうちに
やがてというか
おそらく
人間が最終的に欲するのは
自分の心の平安だと
思います。
なんだか宗教みたいですけど・・・笑!
つまり
人間が
一番安定しているのは
自然の流れの中で
安心しているときです。
それなりの緊張も
いいですが、
しかし
追い詰められることから
解放され
不安からも
恐れからも
解放されて
のほほんと
命が安心している。
人間はずーっと物質的な幸福を
追い求めてきました。
もう
先進国では
ほとんど成就されていますが、
まだ
多くの人間が
盲目的な
物質的な幸福の夢から
醒めてはおらず、
さらにもっともっとと
欲望は
様々な形に転化されて
加速されています。
不安は
渇いた喉が
水を飲むように
さらにさらにと
潤される事を
望みます。
人間の不安は常に
現状維持か
それ以上を望みます。
いったん獲得したものを
手放すことは
とても難しい!
この日本も
あの
恐ろしい原発事故が起きたのに
まだ
原発エネルギーを
あきらめきれない。
原発を
あきらめた人は
必死で
その代替になるエネルギーを
捜している。
そこには
失うことへの
恐れと緊張があり
もう
人間社会のことしか
目に入っていない・・・人間たちの
群れがいる。
ホントウは
この地球は
生きとし生けるものすべての
命が不連続に連続していてこそ
人間社会も成立しているのだということなど
全く
忘れ去られている。
あんなに恐ろしい
地震と津波が襲ってきたのに・・・・。
浜辺を高いコンクリートで
固めることばかりを
考えてしまう。
ほんとうに
それが
解決なんでしょうか・・?
だからといって
ストイックになれ・・・とか
エコをせよ・・・とか
言っているのでは
ありませんよ。
おそらくそういう
人間の傲慢な社会は
まだまだ続くでしょう。
傲慢というよりは
卑小で
浅い人間の知恵の世界だと
思いますが・・・・。
しかし
そこには
安心も
平安も
ありません。
常に不安と怯えに
さらされ続けなければ
ならないでしょう。
どうしたら
いいか・・・。
ひとつ言えるのは
自分だけでも
安心する世界を
創ることです。
安心する関係を
創りだしていく。
上からの力に頼らず
他人への幻想を棄てて
自分の中に
安心の領域を
創りだして
行く。
そのためには
自分の中にある
対立を
ひとつずつ
解決していくことです。
自分の中の対立を
解決するということは
解決していくたびに
世界が変わってみえてきます、。
そのたびに
自分が成長し
成熟していくのです。
自分の中の対立を
解決するということは
自分にやさしくすることでも
あります。
自分の人生を
大切にすることでも
あります。
その対立を作り出している
自我の汚れや
コンプレックスや
自己否定の
心の傷にたいして
優しいまなざしをむけることです。
そして
それらがすべて
解決しなくてもいいです。
そういう姿勢
そういう方向にむいている自分が
良いのです。
それは自分を生き易く
平安なこころを
イメージできていますからもう
ベクトルは
向いています。
年月がかかっても
きっとその人は
その人らしい人生を
追究していくでしょう。
いますぐにとはいかなくても
やがては
その人の周りに
柔らかな関係が
創られていくでしょう。
心理の中の対立が少なくなっていくと
不安も安らぎ
人間の欲もだんだん減少していきます。
物質への欲や執着は
その人間の不安の裏返しでもあります。
対立するもうひとりの自分である
自分の中の他者の目=自分を脅かしている不安や怯え恐れが
取れていくと
心理が安定しだして
いきます。
そして
だんだん欲求や欲望が
整理され、
そのうち
自分らしく
ノンキに暮らせるように
なれば
まあ
ほどほどの物質で
満たされるでしょう。
そのことに
人々が気がつくには
まだまだ
時間がかるでしょうし
あと50年
100年かかるかなあ~・・・・???
でもね、
日本人は
もともと
誠実で
かしこい民族です。
もし
行き着くところまで
行き着かなければならないとしても
そうなったとき
きっと日本人は
気づいていくと
思います。
そして
今も
自分の中にある
対立を解決するということに
ひとり、またひとり・・・と
少しずつ
自分の平安を取り戻していこうとする人が
いるんだということは
このブログにアクセスしてくれる人が
少なくとも毎日300人弱いることや、
脳に関する知識
心理に関する知識も
そのうちだんだん
広がっていくでしょう。
そして
冒頭に書きましたように
上からの改革ではない
下からの
底力のような
力強いパワーこそが
世の中
社会を
変えていきます。
つまり
人間一人一人の関係性が変化し、
その人間たちの
日常のなかにこそ
変化と変革の予兆の種が
潜んでいるのです。
そのことを私は
確信しています。
なぜなら
人類は常にそういう変革の中で
進化してきたからです。
岩田慶治先生は
そのことを
今西錦司先生の言葉を引用されて
書いておられます。
今西錦司先生は
生物のはじまりは、
多数の高分子が変わるべき時がきて
多数の生物個体になった。
その時が種のはじまりであるとともに
種個体のはじまりでもあった。
これからのち、この二者が生成発展してゆくときでも
変わる時がきたら、この成員である種個体の全部がみな
同時に、一斉に変わることによって、
種社会そのものものもまた変わってゆく、と考えてどこが
悪いだろか。
と述べておられ
それに対して
岩田先生は
進化というのは、生物的自然が全体としてーーそれを
構成する固体の生死や種社会の栄枯盛衰を伴いながら
何億年もにもわたって変化してきた歴史をいうのである。
中略
そしてこうなってくると、
今西さんの自然観とダーウィンのそれとが
対照的なばかりか、著しい相違をしめしていることは
明らかである。
ダーウィンは固体に着眼しながら、適者生存と自然淘汰を
切り札として、生存競争の世界を描いてみせるのにたいして、
今西さんは、種の棲みわけと共存を軸として、
調和のとれた生物全体社会の進化を描いてみせるわけです。
二つの自然観、それは単に進化のメカニズムの相違以上に
注目すべきものだと思われる。
自然とはなにかーー自然は物質ではなくて、
生きものであり、われわれさえ、かってはその中に
もろもろの生物としてはぐくまれていた
巨大な母体であり、巨人で怪物である。
全体自然というのは、われわれの用語でいうと
<宇宙人間>ということになる。
<宇宙人間>のなかに
星々も地球も、陸地も海洋も、植物も動物も人間も、
いきとし生けるものが、含まれていたのである。
そして進化は、<宇宙人間>の歩みだったのである。
岩田慶治著『道元との対話』 講談社
と書いておられます。
※ここで書かれている<宇宙人間>の人間とは
いわゆる種としての人間というのではなく
進化している先頭にいる人間のように働いている
命の働きとして、比喩的に使われています。
この文を読んだとき
私ははっと目がさめました。
人間は
人間の意識の範囲でしか
考えることができないという
その個の断絶と限界の
不合理の中にありながらも
しかし
その不合理を克服すべくものとして
近年見つかった”ミラーニューロン”があり
さらに
人間の心理と情動を高次で止揚しようとする
前頭前野の働きも獲得してきた。
今、さらに今からの進化は
ミラーニューロンと
前頭前野の働きを駆使し
”全体自然”なかでの
客観性の視野にたった
(生きとしいけるものすべてをその視野に含んだ)
人間社会のイメージが
必要となるでしょう。
それは
地球、自然、人間を
客観的に相対化しつつ止揚し、
今の社会の限界をも
超える
新しい社会観にもとづいた
いきとし生けるものの全体性のなかで
位置づけられた
人間社会の姿です。
それが現実として
顕在化してくるのは
今西、岩田、両先生の言われているとおり
目に見えないところにある
ひとつの点としての
固体=一個人の
変化が
その点々と点在する変化が
やがていつか
一本の線となり
それらの機が熟したとき
一挙に大きな変革の時が来る・・・ということです。
実はそういう現象を
私は何度も体験しています。
それまで私のなかで、脈絡なく、点在していたものが
時間と年月の推移のなかで
或る日一挙に一本の線上へ収斂して
成就していくということを
何度も経験しました。
だから両先生の言葉に
私は実感があり
ホボ確信して
心が躍ったのです。
しかし
ほんとうに
そうなるのだろうか・・・・???
それはまだまだ
分かりません・・・・が
今、少しずつ人々の意識が
自分の内面の分析と解放にむいています。
そして私達は
同じ時代の条件のなかで生きていますから
自分の知らないうちに
いつも少しずつシンクロしている
はずなんです。
人間一人一人の変化が
その少しずつの変化
周辺からおきていく
微量な変化は
やがて
大きな進化の波へと収斂していくということ。
これまでも
そういう風に
時代は創られ
動いてきたということ。
それは
上からの強権的な変化ではなく
人間の凡庸な日常性の中で
少しずつ
営まれていくんだと
いうこと。
さらに
今、ここで私が
こうして書いていることも
私の中の
命の危機意識が
そうさせている。
同じように
日本中の人間の中に
・人間はホントウに
これでいいのだろうか・・・?
・自然と人間が向き合わないで
いいのだろうか・・・?
・どうしたら
人間と自然が
共存できるのだろうか・・・?という
懸念や危惧があると
私は確信している。
さらに
人々のなかにが
もう
政治や行政に対しての
いわゆる上の人間が考えているのは
なにか
間違っているという
危機意識が
あるはずです。
ただまだ
人々は
眠りの中におり
そして
まだ
自分の
自立した時の
力のパワーに
気づいていないだけです。
しかし、時が熟し
いつか
きっと
あの3,11のおおいなる自然の警告に
人間が真正面から
向きあわねばならない
時が
きっときます。
人間がその欲望の貪欲さに気づき
ひたすら現状を維持しようと
欲望を握り締めているその手を
ほどいて、
素直に素直に
自然と向き合わなければ
もうどうにも
ごまかすことができないということを
きっと自然が
突きつけてくるに違いないです。
昨日新宿に行きました。
娘と待ち合わせた夕方7時
駅には家路への人が溢れていました。
次から次へと寄せてくる
その人の波を見ながら
どんよりと疲れた表情
疲労困憊したその体で
満員電車に乗って
帰宅する人々。
ああー
この方々が
この日本を支えてくれているのだと
頭がさがりました。
日本人は
まじめです。
誠実です。
このまじめで
誠実な日本人の
平凡な日常の中にこそ
希望の鍵が
あると思います。
だから
きっといつか
この物質と経済優先の世の中で、、
ひたすら疾走し続ける
文明幻想のなかで見失ったものを
きっと
取り戻すと思います。
日本人の誠実さ
まじめさが
きっと
新しい
<宇宙人間>の進化の始まりを
牽引する。
その時を
信じ
私の命がつきてなお
遥かにある
その未来を信じて
また
コツコツと書いてゆこうと
思いました。

春のシンフォニーみたいだね!
バラクライングリッシュガーデン!
どうしても、その社会の意識に
規定されてしまいますから
そこにある
階級(ヒエラルヒー)や序列や優劣や勝ち負けに
左右されてしまいます。
だから
自分では気づいていないけれど
自分の中には
無自覚な、
階級意識(ヒエラルヒー)や
序列意識や優劣が
意識の輪郭を作ってしまいます。
例として
一番分かりやすいのが
中流意識で
今はそれも解体しつつありますが
一時期の日本人のほとんどが
漠然と
自分は中流だと
思い込んでいました。
また自分を上下に位置づけた
優劣の階級意識とも
自分の中の様々に
自我を規定している
コンプレックスも
自分の言動に左右してしまい
他者との関係に
微妙に影をおとしてしまいます。
そして社会的序列に関しては
ナーンの根拠もないのに
学者とか医者とか政治家とか
弁護士とかの
何がしかの看板や
肩書きが
権威を持ち
あたかもその人間の内容もまでも
顕しているような
錯覚に
陥らせてしまいます。
さらにこういう社会のなかの意識は
常に幻想をともなって
カースト化し
その中で
自分を肯定できない人間や
自信のない人間は
自分をディスカウントする一方で
他者に対する幻想の
期待や依存を
発生させてしまいます。
極論すれば、
社会というのは
階級も階層も序列も優劣も
全くの幻想で
単に一人一人の成員が
いるだけです。
一人一人の人間が
自分を生きているだけであり
そこにはなーんも保障はなく
懸命に生きていいる人間たちの
大切な
”働きの結果”だけが
社会を支え続けているのです。
いわば人間は
みーんな
自力で生きているのですよ。
しかし
困ったことに
そういう人々の
自分に対する肯定的な
自覚は薄く
あたかも
社会が、
国家が
その成員を保障し
守るような
幻想が生まれることです。
国家って
なんでしょうねえ~?
ホントウは
第二次世界大戦で
大敗した日本は
国家が崩壊しました。
大敗した、というより
国家に国民が
利用され
殺されたというのが
ホントウのことです。
しかし
今、
なーんの疑問もなく
日本人は
ウカウカと
国家に期待し
依存しています。
何を根拠に
そうなるのでしょうかねえー?
3,11以後
国民が不安になり
世の中に閉塞感が漂っているのは
期待するほどに
国は頼りにならず
むしろ
政治家と役人の劣化と
国策のなさに
絶望しはじめたからでは
ないですか・・・。
実は私も3,11以後
この国の無策と無能に
絶望し
未来が見えず
落ち込みました。
そのまま
それをずーっと引きずっていて、
岩田先生の本を読んで
目からウロコが落ちるまで
そこの闇があきませんでした。
しかしよくよく考えてみれば、
もともと
国家とか
社会に期待したり
依存するほうが
おかしいのです。
なぜって
それは
幻想でなりたっている
蜃気楼のようなもので
政治家や
役人や
学者や
知識人などという人間たちが
ほんとうに
高い能力や
深い洞察力の
中身をもっているかどうかは
わからないことですからね。
むしろ
亡くなった父の言葉どおり
『バカと煙は上へのぼりたがる』というように
社会のヒエラルヒーの上に
上りたがる人間は
中身がないから
その反動として
権力を持ちたがる・・・とも
いえなくはない!
私はどんな人間も
せいぜい7,80年の
中でいき、
その時空で得られるものは
五十歩百歩で
むしろ
地べたで社会を支えている人間のほうが
ホントウは
力も知恵もあるのではないかとも
思います。
しかし
困ったことに
今の日本人は
上からの改革ばかりに
期待します。
政治や
行政に依存し
期待しすぎです。
上が変われば
何かが起きる・・・なんてことは
ないのにね~!
そりゃ、少しくらいは
変わるでしょうが、
むしろ
ボンクラばかりが
はびこっている。
一度この
社会幻想
共同幻想、
社会のヒエラルヒーや
序列や
優劣への
それらへの依存を
全部
取っ払って
そこから
まったく抜け出して
自分の事を
考えてみたらどうでしょうか・・・?
そんなこととは
全く関係なく生きている自分を
想像してみてください。
そうしたら
日々自力でいきている
自分たちのほうが
よほどまともで
力があるかが
わかるでしょう。
そこには、
そんな国家幻想なんかに
お世話にならなくても
生き抜いている自分が
いるでしょ。
自分は
自分の細腕一本で
食っているし
家族をやしなっており
むしろ
税金という収奪をうけている・・・?苦笑・・!!
上からの改革なんかより
自分の力と能力を信じ
自分の周辺こそを
変えてゆくことのほうが
よほど現実的な力を
持ちます。
では
なにを
どう変えてゆくか・・・?
人間の諸現象を規定しているのは
”関係”ということです。
世の中を変革していくその基本は
どういう関係を
創り出すか・・・・だと
私は思います。
自分は家族や他人や
自分の外部世界と
どういう関係になりたいか・・。
町や環境や自然との関係を
どうしたいか・・・。
逆に
これまで
どういう風に
関係を作ってきたか・・・に
自分の基本パターンが
あるはずです。
その関係において
自分は
何を欲し
何を獲得したいか。
或いは
獲得してきたか・・・・?
実は
この
”関係”を創る・・・ということが
とても重要で
奇跡を起こしていくんですね。
特に人間一人一人が
自分の関係に対して
創造的である・・・ということが
奇跡の種で
やがてやってくる
大きな動きの原動力の
底力となります。
自分が人生で
手に入れたいのは
なにか・・・?
自分は
どんな幸福を手に入れたいか?
それには
どんな関係を結び
どんな関係を創る必要が
あるか。
そのとき
自分の目標や幸福や
満足のイメージと
自分の内面世界とが
突き合わされます。
しかし
内面世界にゆがみや
汚れがあると
当然それは
その人間の達成や幸福感に
影を落としますし、
その人間が
ホントウに正直に
自分の内面に向き合わない限り
社会の想念で
自分を偽装したり
優等生的な観念で
本心を隠したりという事が
起きてきます。
たとえば
自分が大金持ちになることが
幸福だと思うなら
それがその人間の
正直な思いなら
それはそれで
いいのです。
だめなのは
自分はほんとは
大金持ちになりたいのに
そういう自分を
隠していたり
世の中に受け入れてもらえそうな
幸福感にすりかえたりして
自分にも
他人にも
嘘をついて
しまうことです。
ぶっちゃけて言うとね
その人がいくら
自分の意識を偽装したり
自分に嘘をついて
仮面化しても
無意識は
その人の本心に忠実に
現れて
その人間の行動となりますから、
本人は気づいていなくて
仮面を被っている・・という姿が
そのまま他者の目に
みえていることに
なります。
他人の目にうつるのは
その人の総体が
そのまま見えるのだと
いうことです。
残念なことにね・・・!
そして
関係を結ぶべき
相手も外的世界も
その人間との
無意識のレベルでの関係が
発生しますから、
いくら仮面をかぶっても
無駄なのですよ。
自分のありのまま
自分の心に正直に
幸福のイメージを結ぶことのほうが
客観的な状況をも
関係も
自然にそのように
なっていきます。
言っておきますが
金持ちをめざすのは
人間的堕落だとかいうのも
人間が作りだした
倫理観や
階級性や序列への
反動の意識ですからね・・・。
その人がそう望むなら
それはそうで
いいのです。
そうではなく
自分の欲しいもの
自分がなりたいもの
自分が創りたい関係
人間関係も環境や自然との
関係も
自分が思うこと
欲することを
正直に自分のそのままを
受け入れることです。
そして
その関係を創りだしていくうちに
いろんなプロセスが
あるでしょうし
年月の中での
様々な試行錯誤もあると
思います・・が
そういう風に
自分と向き合い
追究するうちに
やがてというか
おそらく
人間が最終的に欲するのは
自分の心の平安だと
思います。
なんだか宗教みたいですけど・・・笑!
つまり
人間が
一番安定しているのは
自然の流れの中で
安心しているときです。
それなりの緊張も
いいですが、
しかし
追い詰められることから
解放され
不安からも
恐れからも
解放されて
のほほんと
命が安心している。
人間はずーっと物質的な幸福を
追い求めてきました。
もう
先進国では
ほとんど成就されていますが、
まだ
多くの人間が
盲目的な
物質的な幸福の夢から
醒めてはおらず、
さらにもっともっとと
欲望は
様々な形に転化されて
加速されています。
不安は
渇いた喉が
水を飲むように
さらにさらにと
潤される事を
望みます。
人間の不安は常に
現状維持か
それ以上を望みます。
いったん獲得したものを
手放すことは
とても難しい!
この日本も
あの
恐ろしい原発事故が起きたのに
まだ
原発エネルギーを
あきらめきれない。
原発を
あきらめた人は
必死で
その代替になるエネルギーを
捜している。
そこには
失うことへの
恐れと緊張があり
もう
人間社会のことしか
目に入っていない・・・人間たちの
群れがいる。
ホントウは
この地球は
生きとし生けるものすべての
命が不連続に連続していてこそ
人間社会も成立しているのだということなど
全く
忘れ去られている。
あんなに恐ろしい
地震と津波が襲ってきたのに・・・・。
浜辺を高いコンクリートで
固めることばかりを
考えてしまう。
ほんとうに
それが
解決なんでしょうか・・?
だからといって
ストイックになれ・・・とか
エコをせよ・・・とか
言っているのでは
ありませんよ。
おそらくそういう
人間の傲慢な社会は
まだまだ続くでしょう。
傲慢というよりは
卑小で
浅い人間の知恵の世界だと
思いますが・・・・。
しかし
そこには
安心も
平安も
ありません。
常に不安と怯えに
さらされ続けなければ
ならないでしょう。
どうしたら
いいか・・・。
ひとつ言えるのは
自分だけでも
安心する世界を
創ることです。
安心する関係を
創りだしていく。
上からの力に頼らず
他人への幻想を棄てて
自分の中に
安心の領域を
創りだして
行く。
そのためには
自分の中にある
対立を
ひとつずつ
解決していくことです。
自分の中の対立を
解決するということは
解決していくたびに
世界が変わってみえてきます、。
そのたびに
自分が成長し
成熟していくのです。
自分の中の対立を
解決するということは
自分にやさしくすることでも
あります。
自分の人生を
大切にすることでも
あります。
その対立を作り出している
自我の汚れや
コンプレックスや
自己否定の
心の傷にたいして
優しいまなざしをむけることです。
そして
それらがすべて
解決しなくてもいいです。
そういう姿勢
そういう方向にむいている自分が
良いのです。
それは自分を生き易く
平安なこころを
イメージできていますからもう
ベクトルは
向いています。
年月がかかっても
きっとその人は
その人らしい人生を
追究していくでしょう。
いますぐにとはいかなくても
やがては
その人の周りに
柔らかな関係が
創られていくでしょう。
心理の中の対立が少なくなっていくと
不安も安らぎ
人間の欲もだんだん減少していきます。
物質への欲や執着は
その人間の不安の裏返しでもあります。
対立するもうひとりの自分である
自分の中の他者の目=自分を脅かしている不安や怯え恐れが
取れていくと
心理が安定しだして
いきます。
そして
だんだん欲求や欲望が
整理され、
そのうち
自分らしく
ノンキに暮らせるように
なれば
まあ
ほどほどの物質で
満たされるでしょう。
そのことに
人々が気がつくには
まだまだ
時間がかるでしょうし
あと50年
100年かかるかなあ~・・・・???
でもね、
日本人は
もともと
誠実で
かしこい民族です。
もし
行き着くところまで
行き着かなければならないとしても
そうなったとき
きっと日本人は
気づいていくと
思います。
そして
今も
自分の中にある
対立を解決するということに
ひとり、またひとり・・・と
少しずつ
自分の平安を取り戻していこうとする人が
いるんだということは
このブログにアクセスしてくれる人が
少なくとも毎日300人弱いることや、
脳に関する知識
心理に関する知識も
そのうちだんだん
広がっていくでしょう。
そして
冒頭に書きましたように
上からの改革ではない
下からの
底力のような
力強いパワーこそが
世の中
社会を
変えていきます。
つまり
人間一人一人の関係性が変化し、
その人間たちの
日常のなかにこそ
変化と変革の予兆の種が
潜んでいるのです。
そのことを私は
確信しています。
なぜなら
人類は常にそういう変革の中で
進化してきたからです。
岩田慶治先生は
そのことを
今西錦司先生の言葉を引用されて
書いておられます。
今西錦司先生は
生物のはじまりは、
多数の高分子が変わるべき時がきて
多数の生物個体になった。
その時が種のはじまりであるとともに
種個体のはじまりでもあった。
これからのち、この二者が生成発展してゆくときでも
変わる時がきたら、この成員である種個体の全部がみな
同時に、一斉に変わることによって、
種社会そのものものもまた変わってゆく、と考えてどこが
悪いだろか。
と述べておられ
それに対して
岩田先生は
進化というのは、生物的自然が全体としてーーそれを
構成する固体の生死や種社会の栄枯盛衰を伴いながら
何億年もにもわたって変化してきた歴史をいうのである。
中略
そしてこうなってくると、
今西さんの自然観とダーウィンのそれとが
対照的なばかりか、著しい相違をしめしていることは
明らかである。
ダーウィンは固体に着眼しながら、適者生存と自然淘汰を
切り札として、生存競争の世界を描いてみせるのにたいして、
今西さんは、種の棲みわけと共存を軸として、
調和のとれた生物全体社会の進化を描いてみせるわけです。
二つの自然観、それは単に進化のメカニズムの相違以上に
注目すべきものだと思われる。
自然とはなにかーー自然は物質ではなくて、
生きものであり、われわれさえ、かってはその中に
もろもろの生物としてはぐくまれていた
巨大な母体であり、巨人で怪物である。
全体自然というのは、われわれの用語でいうと
<宇宙人間>ということになる。
<宇宙人間>のなかに
星々も地球も、陸地も海洋も、植物も動物も人間も、
いきとし生けるものが、含まれていたのである。
そして進化は、<宇宙人間>の歩みだったのである。
岩田慶治著『道元との対話』 講談社
と書いておられます。
※ここで書かれている<宇宙人間>の人間とは
いわゆる種としての人間というのではなく
進化している先頭にいる人間のように働いている
命の働きとして、比喩的に使われています。
この文を読んだとき
私ははっと目がさめました。
人間は
人間の意識の範囲でしか
考えることができないという
その個の断絶と限界の
不合理の中にありながらも
しかし
その不合理を克服すべくものとして
近年見つかった”ミラーニューロン”があり
さらに
人間の心理と情動を高次で止揚しようとする
前頭前野の働きも獲得してきた。
今、さらに今からの進化は
ミラーニューロンと
前頭前野の働きを駆使し
”全体自然”なかでの
客観性の視野にたった
(生きとしいけるものすべてをその視野に含んだ)
人間社会のイメージが
必要となるでしょう。
それは
地球、自然、人間を
客観的に相対化しつつ止揚し、
今の社会の限界をも
超える
新しい社会観にもとづいた
いきとし生けるものの全体性のなかで
位置づけられた
人間社会の姿です。
それが現実として
顕在化してくるのは
今西、岩田、両先生の言われているとおり
目に見えないところにある
ひとつの点としての
固体=一個人の
変化が
その点々と点在する変化が
やがていつか
一本の線となり
それらの機が熟したとき
一挙に大きな変革の時が来る・・・ということです。
実はそういう現象を
私は何度も体験しています。
それまで私のなかで、脈絡なく、点在していたものが
時間と年月の推移のなかで
或る日一挙に一本の線上へ収斂して
成就していくということを
何度も経験しました。
だから両先生の言葉に
私は実感があり
ホボ確信して
心が躍ったのです。
しかし
ほんとうに
そうなるのだろうか・・・・???
それはまだまだ
分かりません・・・・が
今、少しずつ人々の意識が
自分の内面の分析と解放にむいています。
そして私達は
同じ時代の条件のなかで生きていますから
自分の知らないうちに
いつも少しずつシンクロしている
はずなんです。
人間一人一人の変化が
その少しずつの変化
周辺からおきていく
微量な変化は
やがて
大きな進化の波へと収斂していくということ。
これまでも
そういう風に
時代は創られ
動いてきたということ。
それは
上からの強権的な変化ではなく
人間の凡庸な日常性の中で
少しずつ
営まれていくんだと
いうこと。
さらに
今、ここで私が
こうして書いていることも
私の中の
命の危機意識が
そうさせている。
同じように
日本中の人間の中に
・人間はホントウに
これでいいのだろうか・・・?
・自然と人間が向き合わないで
いいのだろうか・・・?
・どうしたら
人間と自然が
共存できるのだろうか・・・?という
懸念や危惧があると
私は確信している。
さらに
人々のなかにが
もう
政治や行政に対しての
いわゆる上の人間が考えているのは
なにか
間違っているという
危機意識が
あるはずです。
ただまだ
人々は
眠りの中におり
そして
まだ
自分の
自立した時の
力のパワーに
気づいていないだけです。
しかし、時が熟し
いつか
きっと
あの3,11のおおいなる自然の警告に
人間が真正面から
向きあわねばならない
時が
きっときます。
人間がその欲望の貪欲さに気づき
ひたすら現状を維持しようと
欲望を握り締めているその手を
ほどいて、
素直に素直に
自然と向き合わなければ
もうどうにも
ごまかすことができないということを
きっと自然が
突きつけてくるに違いないです。
昨日新宿に行きました。
娘と待ち合わせた夕方7時
駅には家路への人が溢れていました。
次から次へと寄せてくる
その人の波を見ながら
どんよりと疲れた表情
疲労困憊したその体で
満員電車に乗って
帰宅する人々。
ああー
この方々が
この日本を支えてくれているのだと
頭がさがりました。
日本人は
まじめです。
誠実です。
このまじめで
誠実な日本人の
平凡な日常の中にこそ
希望の鍵が
あると思います。
だから
きっといつか
この物質と経済優先の世の中で、、
ひたすら疾走し続ける
文明幻想のなかで見失ったものを
きっと
取り戻すと思います。
日本人の誠実さ
まじめさが
きっと
新しい
<宇宙人間>の進化の始まりを
牽引する。
その時を
信じ
私の命がつきてなお
遥かにある
その未来を信じて
また
コツコツと書いてゆこうと
思いました。

春のシンフォニーみたいだね!
バラクライングリッシュガーデン!
by denshinbashira
| 2013-05-26 06:05
| 夢から醒めるということ。
|
Comments(2)
インドの思想家クリシュナムルティのいう関係性、生の全体性についてやっと得心しました。そして、宇宙人間という考え方はよくわかります。呼吸は風、体温は太陽の温かさや地熱、体液は海、川は血液、血管…と。まさに私たちの体は小宇宙そのものですね。体に良くないことをすれば病気になる。宇宙、地球も同じでしょう。私は宇宙の癌細胞にはなりたくないです。自分ひとりぐらい…という考えをやめて、自分の存在を大切にし、自分の生き方に責任をもって生きていきたいです。
大切な気づきを今回もありがとうございました。
大切な気づきを今回もありがとうございました。
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おはようございます。
自分の中の葛藤や対立を解決させようと向き合うことで、他人との関係性も変化していく、ということをこの頃実感として感じています。何か大きな事をして社会を改革しなくては・・と上昇志向の強い人々は考えがちでするが(かつての私もそうでした)、本当は世界の全ての人間が自分を精一杯生かして、生きようと意識するだけで世界を変化させることができるんでしょうね。綺麗事ではなく、本当にそう考えています。私も自分の心に向かい合って、ホンモノの私で生きていきたい、と思いました。まだまだ沢山の葛藤が残っています。大きな作業ですが、その作業に伴う不安や恐怖の感情も含めて、私は生きて学んでいるのだなと感じられるようになってきました。
自分の中の葛藤や対立を解決させようと向き合うことで、他人との関係性も変化していく、ということをこの頃実感として感じています。何か大きな事をして社会を改革しなくては・・と上昇志向の強い人々は考えがちでするが(かつての私もそうでした)、本当は世界の全ての人間が自分を精一杯生かして、生きようと意識するだけで世界を変化させることができるんでしょうね。綺麗事ではなく、本当にそう考えています。私も自分の心に向かい合って、ホンモノの私で生きていきたい、と思いました。まだまだ沢山の葛藤が残っています。大きな作業ですが、その作業に伴う不安や恐怖の感情も含めて、私は生きて学んでいるのだなと感じられるようになってきました。

