2013年 06月 02日
夢から醒めるということ・かぎは無意識層にある。 |
驚いたことに
このブログへのアクセス数が
おそろしいことになっている。
以前書いた中村うさぎ著の
「狂人日記についての感想」が
中村氏が裁判で負けたために
関心が高まって
アクセスしてくるらしい!
まあ私のブログはこむずかしいので
そのうち
いつもどおりに収まると
思います。
しかしせっかく
大勢のひとびとに読んでももらえるのだから
今日は
私がお伝えしたい
”この国の未来”について
書こうと思います。
ただすごく難解な話なので
うまくかけるかなあ・・・?
でも
無意識の領域から見た
”この国の可能性”について
このブログを読んでくださる方に
ギフトしたいと
思います。
今朝もアベノミクスとかいって
安部総理が
アフリカの国々にむけての
経済アピールをしているニュースを
見ました。
確かに民主党時代のあの
閉塞感と絶望感は
すこし緩和されてきて
私も正直
ほっと一息つきました。
しかし
日本の国の在り方も
経済もふくめ
この国の未来を考えるとき
もう
根底から
ありとあらゆる
この国が
今纏っている
既成条件をすべて
検証する必要が
あります。
その時
安部さんのように・・・というか
ほとんど日本人は
安部さんのように
景気回復を
外国相手に
ことを為そう・・・というのが
主流の考えでしょうが、
私はそこにちょっと
首をかしげてしまうのです。
でもその首をかしげる…というのが
私の独特の世界観でもあり
到底、人々には
ピンとこないものだとは
思いますが
書いてみます。
本当の富とはなにか・・・・。
本当に国民が
人々が
充足と
幸福を手に入れるには
何をしたらいいかを
それは
当面の手当とは別に
ながーい時間のスパンで
射程して
考える必要があります。
これまでの
富を追い求め続けてきた
人間史を
洗い直し
次を生きるための
新しい構想が
必要です。
それには
今までの人間が
思ってもみなかったような
新しい
人間観と世界観が
必要です。
そして
そのカギは
無意識領域にある・・・と
私は考えています。
人間は自分が意識して生きているように
思い込んでいますが
そのほとんどは
無意識での行動であり
また
意識そのものも
無意識の中にあるものが
反動としてひっくり返って意識の中に
あらわれてきます。
まあ
簡単な例が
自分のことをバカだと無意識で
認識している人間は
意識では
自分はバカではない・・・という
強烈な自意識がとんがり
自分のことをバカにされないように
偉そうにしたり
しったかぶりや
また他人を
自分より以下に扱おうとします。
つまり
無意識にある自己イメージが働いて
その人間の存在の仕方を
決定してしまうのです。
まあ
その辺のことは今まで
さんざん書きましたので
自分で検証してみてください。
この無意識層にあるものが
ひっくり返って
意識となり
その人間の外部世界を
形作っていきます。
そしてその総体が
人間関係に投影され
社会・・・という
意識された世界となって
人間たちの外部世界を
フレーム化して
創ってい行きます。
なぜ、無意識が反動として
意識になってしまうかは
そこに
無意識領域で集めたデーターの認識に
危機感や不安感や恐れなどがあり
その危機や不安や恐れを
克服するために
意識の上にたてた自我で
自分を防衛しようとするからです。
さらに無意識領域での
飢餓感や自己抑圧が激しいほど
自己喪失の危機感が募り
自分の欠落や渇望を埋めるために
さまざまに
欲望を果そうとしたり
それを叶えるために
他者へ期待したり憧れとして
自分以外の人間や集団に依存し
幻想化していきます。
社会とは
そういう無意識層の中にあって
無意識を脅かすものが
その反動として自分の外側に向けての
自分を構築する
自分のディスプレー意識(自我)となり
その意識によってたてられた
それぞれの、無数の人間の
自我の牙城が
さまざまに蠢き
交錯し
そして時に
交戦しながら
欲望と依存と期待などが
まるで叶える事ができる幻想として
その幻想が
交差して生まれる
共同の意識空間です。
しかし
それは、
あくまでも
幻想と思い込みで築かれていく
虚偽の
共同の世界で
あります。
このことを理解できる人間は
ほんとにごく少数で
社会とは
幻想である・・・と
見極めるのがもう
至難の業のことです。
人間の多くは
意識世界こそが
真実で
リアリティーのある世界だと
思っていきていますからね。
しかし
じつは
本当の真実も
リアリティーも
自分の無意識層に
あります。
だからこそ
その不安や恐れを解消するために
或いは
その不安や恐れのリアリティーを感じて
生命活動が阻害されるのを
防ぐために
無意識を偽装して
それが反転して
意識層での
ふるまい・・・に
なっていくのです。
遡れば、
原始的社会から
人間が社会というフレームを
作り出してから
もう長い時間が経ちすぎました。
現代は情報社会となり
フレームを超えて
データーが世界を駆け巡り
フレーム内の幻想が
たち崩れはじめているのに
人々はまだ
幻想を追いかけようとしています。
個人のフレーム、
家庭のフレーム
地域のフレーム
国のフレーム
民族のフレームなどなど
宗教のフレーム
文化のフレーム
このフレームを規定しているのは
それぞれの固有の
無意識領域であり
個人以外は
無意識の共同性が
幻想化してあります。
そして
これは
私だけがそう思うのかもしれませんが、
有史以来の
富と安定を求める
人間の意識界のフレームとしての
社会の共同幻想が
もう限界まできているのに
まだ
人々は
その幻想の眠りから
覚めることができません。
限界にきているというのは
個人も
家庭も地域も
国家も
民族も
宗教も文化も
本当は
それぞれがその
固有の無意識の領域から
発祥して
意識世界=目に見える世界・・・・を
蜃気楼とのように
成立させているのですから
個人間も
それぞれの家庭間も
地域間も
国家間も民族間も
宗教どうしも
文化の成立と内容も
それぞれが
まったく
ことなる(べつもの)であり
断絶しているのに
なにか
共同性や
共通性があるような
なにか
利害が一致できるような
さらにそこに
お互いがコミットできるような
期待や幻想を
持って
これまで来ました。
ただ同じ”人間”であるというくくりを
根拠に・・・。
しかしこれは
カウンセリング的に言うと
それぞれの自他の分離が
されていない…ということです
だから
安易に
安直に
くっついてしまうが
しかし
実態は
相違や違和や格差、段差などの
数々の
想定外のことが起きてしまい
紛争や
トラブル
ひいていは
核戦争の前兆までが
起きてしまい
収拾がつかなくなってきている・・・と
いうことです。
EUヨーロッパも、アメリカも
アメリカ圏も
アジアもイスラム圏も中国も韓国も
日本もアフリカも
それぞれが
違いをはっきり認識し
その違いを
どのように超えていくか…ということにおいては
まだ目覚めていないように
私は思います。
相手を自分と同じように
考えてしまい
だから安易に合体したのでしょうし
また
まったくの違和社会なのに
それぞれが自立して
生きるべきなのに
いまだに綱引きをして
戦争をしている。
もう
極端に言えば
世界中が
グローバル・・・化などいう
幻想の中で
つまり
幻想意識圏内での
妥協や協調
利害関係においての
一致などの
幻想圏の中で
その違いが露わになるにつれ
世界は
破たんしていっている・・・
その中に日本もいる・・・ということです。
それは
意識がどのように
創られていくか・・・・という
人間の意識問題を
掘り上げていかない限り
解決がつきません。
さらにこれまでの
有史以来追及されていた
富と
物質欲を
目指す社会からの
大きな転換をしない限り
もう限界にきていると
私は思います。
もう安易な経済幻想に
身を委ねることも
今のエネルギー社会を維持するために
原発エネルギーに依存することも
それ以外の代替エネルギーに
期待することも
そういう風に
人間の欲望を満たし
果してゆくことの限界が
突きつけられれいるということだと
思います。
そして
そこには
実のところ
どうしていいか
”わからない人間”たちが
どうしていいか
わからない・・・のに・・、
社会の上層部で
蠢きながら
主導権を握っている。
以前にも書きましたが
人間は
他者の作った世界(社会)に
生まれ落ちます。
その他者の世界で生きてゆくとき
さまざまに自分の本音、
ほんとうのことを
無意識層に封印して
その逆の自分を意識化して
生きようとします。
だから
自分がほんとに感じたこと
ほんうに思ったことが
その社会では受け入れられないと
察した瞬間に
それらは無意識層へとやられ
封印されたり
なかったことに
されてしまいます。
もう
お分かりですね。
無意識層というのは
ほんとうは
自分が
本能的に察知、獲得した
リアルデーターが
蓄積されているところです。
その人間の脳と体の
全神経を
駆使して
得られたデーターバンクです。
そしてわたしたちが
意識しているものは
その無意識領域のリアルデーターを
自分の都合の良いように
”加工したデーターです。
私がインナーチャイルドというのは
意識世界では抑圧されるしかない
自分のリアルデーターのうちの
幼児期、育成に集められたものです。
無意識世界で封印されてしまったそれは
まさしく自分の本音であり
自分の感性と感覚とが
感じたリアルデーターですから
その人間は
ほんとうは
そのデーターに従って
生きたいのです。
しかし
それができないために
さまざまに
ゆがんだ形で
意識層にでようとするものです。
ひがんだり
嫉妬したり
他人を否定したり
いじめたくなったりする
もう一人の自分・・・!!
物欲や
支配欲や
自己顕示欲や
征服欲の下地には
封印されて
苦しいとサインを出している
インナーチャイルドが
います。
これはおとなになって
インナーチャイルドを
救い出さない限り
ずーっと
そういう風に
無意識から
その人間を
心理コントロールしていきます。
インナーチャイルドを救い出して
初めて
自分の無意識層の姿と内容が
見えてきます。
つまり
インナーチャイルドを救い出して
はじめて
自分の真実
自分のリアリティーが
見えてきます。
インナーチャイルドを
救い出して
やっと
他人の世界(社会)
他人の生き方のフレームから
脱出することが
できるのです。
そして
その人間が
自分のインナーチャイルドを
受け入れ
肯定し始めたとき
これらのインナーチャイルドの集めた
リアルデーターが
むくわれ、
自分が
自分で
獲得した
リアルデーターとして
働きだします。
それはとても有効な
直感やひらめきとして
その人間の中で
生き始め
その人が
集めた
自分の存在に基づいた
山のような
データーバンクになります。
私は今こそ
人間社会を
作り直すために
一人一人が
自分の内面を掘り
そのリアルデーターを
探し当てて
分析し
そこから
新しい社会像を
創りだしていく必要な時代が
始まったと
おもいます。
ずいぶん長く書きましたが
実は
本題は
これからです。
自分のなかこそ
この世および
自分に関する
リアルデーターが
あると
書きましたが
問題は
個のインナーチャイルドを
救い出すためには
自分の自我を
突き崩す必要があるのです。
自分の自我が支配している
意識世界を
一度突破してしまう必要が
あるのです。
それが
もう大変なことなんですね。
覚悟がいります。
まあ
そのことは
別の機会にかくとして
この自我の牙城は
ほんとうは
不安と恐れの集積の牙城です。
つまり自我意識の強い人ほど
不安や恐れやコンプレックスが
つよいため
その反動で
自分の意識にしがみつきます。
まあそうでなくとも
意識の世界そのものが
不安と恐れとコンプレックスで
成立しているようなものですから
まあ
常に自分の安定を求めていきてしまいます。
意識で生きていると思っている人
まあ
ほとんどの人間がそうですが
その人間たちが
一番怖がるのが
自分に変化がおきることや
自分が変わらなければならないことです。
つまり
自我はいつも
現状を維持しようとします。
この現状維持というのが
大きなポイントです。
人間は有史以来といっても過言ではないくらい
常に富と幸福を
求めて生きてきました。
そして富の象徴は
物質をいかに所有し
独占するか
その物質を独占するためには
情報を独占するという中での
大変な争いや競争社会を
築いてきました。
そういう追求の中で
現代の社会は
便利で
清潔で
そして
情報にあふれています。
つまり
そういう社会まで
たどり着いてきたということです。
しかし
この社会は
残念なことに
常にその社会を起動させる
エネルギーが必要な社会です。
それはまた、
人工化が進み
自然からの収奪と破壊の上にしか
その未来が立てられない社会です。
さらに自然から遊離した
人間の意識の
その病理が進行している社会です。
そして
もっとも残念なのは
自然から疎外されるという
フレームのなかでしか
生きれないように
なってきている。
冒頭に書きましたように
人間の意識の根底には
無意識層の不安や
怯えや恐怖がありますが
まあ
雑駁に
極言すると
自分の内面を見ず
意識だけにしがみついている人間は
自分の欠損や
自己喪失を
意識社会へと投影させ
物質の所有と
富への幻想で
その不安や恐怖を
解消し
富こそが
安心であるかのような
錯覚の中で
文明を進化させてきました。
そして
結果として
もう
便利で快適さにかけては
これ以上ない
物質文化に囲まれ
今
私たちは生きています。
それなのに
なぜ
私たちはそれ以上を
望むのでしょうか・・・・・???
それは
人間は
無意識層にある
自分の不安や恐れを
解決しない限り
手に入れた
安定を
現状維持か
それ以上であることを
望み
手に入れたものを
失うことや
現状維持ができないこと
現状のレベルが下がることを
極端に
恐れ
不安に駆られるからです。
つまりねえ~
私たちは
自分の中の不安や恐怖を
解決しない限り
ハメルンの笛吹のように
その先には
溺死しかなくとも
ずーっと
欲望の中に
とりこまれ続けるということです。
人間は
意識によって
築き上げた
幻想社会への
その幻想を
立ちきらなければ、
欲望への歯止めが
できない…ということです。
そして
意識とは
幻想とは
自分の存在の外部へ向けた
依存
期待
憧れです。
もうお分かりかもしれませんね。
人間は
自分の外部世界=意識世界=社会や国家への
幻想を
常に膨らませ
自分以外の人間や集団や組織や国家に
依存して
生きてきました。
特にネーション時代と(国家の時代)いわれる
近代はからは
それが強くなっています。
そしてそれは
国内がだめなら
外国へと進出することが
あたかも
自分たちの欲望を見たし
経済の現状維持か
さらなる
繁栄をもたらすような”幻想”を
抱き
今も抱き続けています。
なぜ
そうなるか・・・・???
それはね、
意識世界は
ほんとうのリアリティーが
ないからです。
みんな
意識世界こそ
リアリティーのある世界だと
思い込んでいますが
そこには
人々が自分の無意識を
自分の欲求と願望にあわせて加工した
幻想=人々の欲と期待の膨らんだ仮想の世界ですから
リアリティーがありません。
そうではなく
無意識世界こそ
ほんとうの
リアリティーが
あるのです。
(しつこいね・・・苦笑!)
つまり
自分の無意識の中にこそ
リアリティーがあり
真実があり
そして
その内面を掘ることこそが
解決の道であり
ほんとうの価値のあることを
見つける道です。
答えは
すべて
自分の中にあるのです。
と
同様に
この国を一人の人間に
たとえみてください。
この国の指導者たちは
さらに外国へと
インドやアフリカへと
幻想を膨らませていますが
まあそれもいいと思います。
やってみる価値も
あるかもしれません。
が
もしかしたら
そこには
今までと同じような失敗しか
ないかもしれません。
よほど
その国の文化や意識レベルを
熟知していない限り
想定外のことばかりが
起きるでしょう。
そして、そこに
期待し依存することがあれば
必ず
そのしっぺ返しを
喰らうと思います。
もうすでに
日本の未来は
外国資本や
株式の
マネーゲームの手の内のなかで
翻弄されているように
私には
見えます。
そして
リアリティーとは
日本は
日本人にしか通用しない
リアリティーの中で
生きているのですよ。
外国のことなど
わかるはずがないんですよ。
自分たちのリアリティーを
そこに重ねているだけで
ほんとうのことは
わかりえないはずなんです。
それは世界中においても
リアリティーとは
その国のリアリティーしか
ないんです。
ということは
日本が日本のことを
解決するには
日本の
この国を
掘り下げることしかないのですヨ・・・・ホントはね。
だって
外国のほんとうのことは
わかりえないだから。
私たちが気づかなければ
ならないことは
この国を
どのように
自力でもって
立て直しをするかだと
私は思います。
その立て直しは
欲望の充足でもなく
現状維持でも
なく、
この国
この日本の国におおいて
日本人が
自然と共存していくために
何をしたらいいか・・ということです。
日本人が
幸福を手に入れるには
国民一人一人が
自分が何を
どのようにしなければならないかを
突きつけられ
考える必要があります。
3,11の地震も津波も
原発事故も
みんな、
私たちに問いかけてきている。
物質によっての
充足ではない
幸福を
考える必要があります。
放縦に
のさばり続ける
物質への依存と執着を
断つことが
必要かもしれませんね。
国民の幸福は
国が代行するのでもなく
また国に
依存するものでも
ない・・・・。
まあ
私が考えていることなど
今のこの国では
狂気の沙汰かもしれませんね。
しかし
その安逸さこそ
狂気の沙汰だと
私は思うのですが・・・。
今朝の新聞で
サーベージという
外国資本に
西武が乗っ取られ
その経済効果だけで
判断されて
電車が廃止されるという記事を
読みました。
幸いなことに
敵対的TOBは
できなかったらしいですけど。
もしかしたら
この国が
外国に乗っ取られる寸前までの
危機が来てはじめて
この国人々はやっと
その幻想から
目が覚めるかも
しれません。
日本の国を
立てなおすためには
まず
日本というこの国の
今の姿に対する
厳しい検証が
必要でしょう。
日本人の過剰なる
依存心に対する
厳しい突き離しも
必要でしょう。
自立するということに対しての
大人の在り方
そして
自立を目指した
教育とはなにかを
制度ごと
検証して
やり直す。
受験などという
ばかなことは
やめることです。
子供たちを
受験から解放したら
自殺やいじめも
格段に減るでしょう。
一人の人間が
自分の内面を掘り
無意識領域にある
自分のリアリティに基づいて
ポテンシャルを
見つけ出すように
国も
日本の国とは
何か…ということを
掘りさげて
この国の中にある
眠っている
ポテンシャルを
掘り直してみる。
人間は自然から
疎外すればするほど
心理的なストレスを
負います。
まずはたくさんの壊された自然を
回復し
経済的な裕福さより
いかに
自然と共存するかのほうが
優先順位だと
私は思います。
放射能に汚染された
海を
いかに回復するか、
放り出されている
休耕田を
もう一度回復させることや
里山や
林や森を
とりもどすことや
まあそのほか
私たちが
富や繁栄と交換に
失ったものを
取り戻すことを
考えだしたら
尽きません・・・・・。
もしかしたら
便利さを
手放す必要があるかも
しれませんね。
皆さんもそれぞれ
お考えが
いっぱいあるでしょ!
映画「流・ながれ」のなかにあった
絶滅寸前の花や
水生昆虫が
再び私たち人間と
一緒に生きれるようには
どうしたらいいかを
考えていくうちに
きっと
この国が世界の中で
自立し
生き残ってゆく道が
みえてくるでしょう。
それぞれの人々が
それぞれの
無意識の中の不安や恐怖を
克服して
安心して一緒に生きれる社会を
どうしたら
創りだすことができるか
考える。
まずは
その一歩として
何があっても
自分を信頼し
自分がいきるこには
意味と価値がある…ということを
しっかりと
肝に刻んで
人間への信頼や
他者への信頼とつながりを
創造的に
具体的に
創りだしていくことだと
思います。

長い文を
お疲れ様でした。
このブログへのアクセス数が
おそろしいことになっている。
以前書いた中村うさぎ著の
「狂人日記についての感想」が
中村氏が裁判で負けたために
関心が高まって
アクセスしてくるらしい!
まあ私のブログはこむずかしいので
そのうち
いつもどおりに収まると
思います。
しかしせっかく
大勢のひとびとに読んでももらえるのだから
今日は
私がお伝えしたい
”この国の未来”について
書こうと思います。
ただすごく難解な話なので
うまくかけるかなあ・・・?
でも
無意識の領域から見た
”この国の可能性”について
このブログを読んでくださる方に
ギフトしたいと
思います。
今朝もアベノミクスとかいって
安部総理が
アフリカの国々にむけての
経済アピールをしているニュースを
見ました。
確かに民主党時代のあの
閉塞感と絶望感は
すこし緩和されてきて
私も正直
ほっと一息つきました。
しかし
日本の国の在り方も
経済もふくめ
この国の未来を考えるとき
もう
根底から
ありとあらゆる
この国が
今纏っている
既成条件をすべて
検証する必要が
あります。
その時
安部さんのように・・・というか
ほとんど日本人は
安部さんのように
景気回復を
外国相手に
ことを為そう・・・というのが
主流の考えでしょうが、
私はそこにちょっと
首をかしげてしまうのです。
でもその首をかしげる…というのが
私の独特の世界観でもあり
到底、人々には
ピンとこないものだとは
思いますが
書いてみます。
本当の富とはなにか・・・・。
本当に国民が
人々が
充足と
幸福を手に入れるには
何をしたらいいかを
それは
当面の手当とは別に
ながーい時間のスパンで
射程して
考える必要があります。
これまでの
富を追い求め続けてきた
人間史を
洗い直し
次を生きるための
新しい構想が
必要です。
それには
今までの人間が
思ってもみなかったような
新しい
人間観と世界観が
必要です。
そして
そのカギは
無意識領域にある・・・と
私は考えています。
人間は自分が意識して生きているように
思い込んでいますが
そのほとんどは
無意識での行動であり
また
意識そのものも
無意識の中にあるものが
反動としてひっくり返って意識の中に
あらわれてきます。
まあ
簡単な例が
自分のことをバカだと無意識で
認識している人間は
意識では
自分はバカではない・・・という
強烈な自意識がとんがり
自分のことをバカにされないように
偉そうにしたり
しったかぶりや
また他人を
自分より以下に扱おうとします。
つまり
無意識にある自己イメージが働いて
その人間の存在の仕方を
決定してしまうのです。
まあ
その辺のことは今まで
さんざん書きましたので
自分で検証してみてください。
この無意識層にあるものが
ひっくり返って
意識となり
その人間の外部世界を
形作っていきます。
そしてその総体が
人間関係に投影され
社会・・・という
意識された世界となって
人間たちの外部世界を
フレーム化して
創ってい行きます。
なぜ、無意識が反動として
意識になってしまうかは
そこに
無意識領域で集めたデーターの認識に
危機感や不安感や恐れなどがあり
その危機や不安や恐れを
克服するために
意識の上にたてた自我で
自分を防衛しようとするからです。
さらに無意識領域での
飢餓感や自己抑圧が激しいほど
自己喪失の危機感が募り
自分の欠落や渇望を埋めるために
さまざまに
欲望を果そうとしたり
それを叶えるために
他者へ期待したり憧れとして
自分以外の人間や集団に依存し
幻想化していきます。
社会とは
そういう無意識層の中にあって
無意識を脅かすものが
その反動として自分の外側に向けての
自分を構築する
自分のディスプレー意識(自我)となり
その意識によってたてられた
それぞれの、無数の人間の
自我の牙城が
さまざまに蠢き
交錯し
そして時に
交戦しながら
欲望と依存と期待などが
まるで叶える事ができる幻想として
その幻想が
交差して生まれる
共同の意識空間です。
しかし
それは、
あくまでも
幻想と思い込みで築かれていく
虚偽の
共同の世界で
あります。
このことを理解できる人間は
ほんとにごく少数で
社会とは
幻想である・・・と
見極めるのがもう
至難の業のことです。
人間の多くは
意識世界こそが
真実で
リアリティーのある世界だと
思っていきていますからね。
しかし
じつは
本当の真実も
リアリティーも
自分の無意識層に
あります。
だからこそ
その不安や恐れを解消するために
或いは
その不安や恐れのリアリティーを感じて
生命活動が阻害されるのを
防ぐために
無意識を偽装して
それが反転して
意識層での
ふるまい・・・に
なっていくのです。
遡れば、
原始的社会から
人間が社会というフレームを
作り出してから
もう長い時間が経ちすぎました。
現代は情報社会となり
フレームを超えて
データーが世界を駆け巡り
フレーム内の幻想が
たち崩れはじめているのに
人々はまだ
幻想を追いかけようとしています。
個人のフレーム、
家庭のフレーム
地域のフレーム
国のフレーム
民族のフレームなどなど
宗教のフレーム
文化のフレーム
このフレームを規定しているのは
それぞれの固有の
無意識領域であり
個人以外は
無意識の共同性が
幻想化してあります。
そして
これは
私だけがそう思うのかもしれませんが、
有史以来の
富と安定を求める
人間の意識界のフレームとしての
社会の共同幻想が
もう限界まできているのに
まだ
人々は
その幻想の眠りから
覚めることができません。
限界にきているというのは
個人も
家庭も地域も
国家も
民族も
宗教も文化も
本当は
それぞれがその
固有の無意識の領域から
発祥して
意識世界=目に見える世界・・・・を
蜃気楼とのように
成立させているのですから
個人間も
それぞれの家庭間も
地域間も
国家間も民族間も
宗教どうしも
文化の成立と内容も
それぞれが
まったく
ことなる(べつもの)であり
断絶しているのに
なにか
共同性や
共通性があるような
なにか
利害が一致できるような
さらにそこに
お互いがコミットできるような
期待や幻想を
持って
これまで来ました。
ただ同じ”人間”であるというくくりを
根拠に・・・。
しかしこれは
カウンセリング的に言うと
それぞれの自他の分離が
されていない…ということです
だから
安易に
安直に
くっついてしまうが
しかし
実態は
相違や違和や格差、段差などの
数々の
想定外のことが起きてしまい
紛争や
トラブル
ひいていは
核戦争の前兆までが
起きてしまい
収拾がつかなくなってきている・・・と
いうことです。
EUヨーロッパも、アメリカも
アメリカ圏も
アジアもイスラム圏も中国も韓国も
日本もアフリカも
それぞれが
違いをはっきり認識し
その違いを
どのように超えていくか…ということにおいては
まだ目覚めていないように
私は思います。
相手を自分と同じように
考えてしまい
だから安易に合体したのでしょうし
また
まったくの違和社会なのに
それぞれが自立して
生きるべきなのに
いまだに綱引きをして
戦争をしている。
もう
極端に言えば
世界中が
グローバル・・・化などいう
幻想の中で
つまり
幻想意識圏内での
妥協や協調
利害関係においての
一致などの
幻想圏の中で
その違いが露わになるにつれ
世界は
破たんしていっている・・・
その中に日本もいる・・・ということです。
それは
意識がどのように
創られていくか・・・・という
人間の意識問題を
掘り上げていかない限り
解決がつきません。
さらにこれまでの
有史以来追及されていた
富と
物質欲を
目指す社会からの
大きな転換をしない限り
もう限界にきていると
私は思います。
もう安易な経済幻想に
身を委ねることも
今のエネルギー社会を維持するために
原発エネルギーに依存することも
それ以外の代替エネルギーに
期待することも
そういう風に
人間の欲望を満たし
果してゆくことの限界が
突きつけられれいるということだと
思います。
そして
そこには
実のところ
どうしていいか
”わからない人間”たちが
どうしていいか
わからない・・・のに・・、
社会の上層部で
蠢きながら
主導権を握っている。
以前にも書きましたが
人間は
他者の作った世界(社会)に
生まれ落ちます。
その他者の世界で生きてゆくとき
さまざまに自分の本音、
ほんとうのことを
無意識層に封印して
その逆の自分を意識化して
生きようとします。
だから
自分がほんとに感じたこと
ほんうに思ったことが
その社会では受け入れられないと
察した瞬間に
それらは無意識層へとやられ
封印されたり
なかったことに
されてしまいます。
もう
お分かりですね。
無意識層というのは
ほんとうは
自分が
本能的に察知、獲得した
リアルデーターが
蓄積されているところです。
その人間の脳と体の
全神経を
駆使して
得られたデーターバンクです。
そしてわたしたちが
意識しているものは
その無意識領域のリアルデーターを
自分の都合の良いように
”加工したデーターです。
私がインナーチャイルドというのは
意識世界では抑圧されるしかない
自分のリアルデーターのうちの
幼児期、育成に集められたものです。
無意識世界で封印されてしまったそれは
まさしく自分の本音であり
自分の感性と感覚とが
感じたリアルデーターですから
その人間は
ほんとうは
そのデーターに従って
生きたいのです。
しかし
それができないために
さまざまに
ゆがんだ形で
意識層にでようとするものです。
ひがんだり
嫉妬したり
他人を否定したり
いじめたくなったりする
もう一人の自分・・・!!
物欲や
支配欲や
自己顕示欲や
征服欲の下地には
封印されて
苦しいとサインを出している
インナーチャイルドが
います。
これはおとなになって
インナーチャイルドを
救い出さない限り
ずーっと
そういう風に
無意識から
その人間を
心理コントロールしていきます。
インナーチャイルドを救い出して
初めて
自分の無意識層の姿と内容が
見えてきます。
つまり
インナーチャイルドを救い出して
はじめて
自分の真実
自分のリアリティーが
見えてきます。
インナーチャイルドを
救い出して
やっと
他人の世界(社会)
他人の生き方のフレームから
脱出することが
できるのです。
そして
その人間が
自分のインナーチャイルドを
受け入れ
肯定し始めたとき
これらのインナーチャイルドの集めた
リアルデーターが
むくわれ、
自分が
自分で
獲得した
リアルデーターとして
働きだします。
それはとても有効な
直感やひらめきとして
その人間の中で
生き始め
その人が
集めた
自分の存在に基づいた
山のような
データーバンクになります。
私は今こそ
人間社会を
作り直すために
一人一人が
自分の内面を掘り
そのリアルデーターを
探し当てて
分析し
そこから
新しい社会像を
創りだしていく必要な時代が
始まったと
おもいます。
ずいぶん長く書きましたが
実は
本題は
これからです。
自分のなかこそ
この世および
自分に関する
リアルデーターが
あると
書きましたが
問題は
個のインナーチャイルドを
救い出すためには
自分の自我を
突き崩す必要があるのです。
自分の自我が支配している
意識世界を
一度突破してしまう必要が
あるのです。
それが
もう大変なことなんですね。
覚悟がいります。
まあ
そのことは
別の機会にかくとして
この自我の牙城は
ほんとうは
不安と恐れの集積の牙城です。
つまり自我意識の強い人ほど
不安や恐れやコンプレックスが
つよいため
その反動で
自分の意識にしがみつきます。
まあそうでなくとも
意識の世界そのものが
不安と恐れとコンプレックスで
成立しているようなものですから
まあ
常に自分の安定を求めていきてしまいます。
意識で生きていると思っている人
まあ
ほとんどの人間がそうですが
その人間たちが
一番怖がるのが
自分に変化がおきることや
自分が変わらなければならないことです。
つまり
自我はいつも
現状を維持しようとします。
この現状維持というのが
大きなポイントです。
人間は有史以来といっても過言ではないくらい
常に富と幸福を
求めて生きてきました。
そして富の象徴は
物質をいかに所有し
独占するか
その物質を独占するためには
情報を独占するという中での
大変な争いや競争社会を
築いてきました。
そういう追求の中で
現代の社会は
便利で
清潔で
そして
情報にあふれています。
つまり
そういう社会まで
たどり着いてきたということです。
しかし
この社会は
残念なことに
常にその社会を起動させる
エネルギーが必要な社会です。
それはまた、
人工化が進み
自然からの収奪と破壊の上にしか
その未来が立てられない社会です。
さらに自然から遊離した
人間の意識の
その病理が進行している社会です。
そして
もっとも残念なのは
自然から疎外されるという
フレームのなかでしか
生きれないように
なってきている。
冒頭に書きましたように
人間の意識の根底には
無意識層の不安や
怯えや恐怖がありますが
まあ
雑駁に
極言すると
自分の内面を見ず
意識だけにしがみついている人間は
自分の欠損や
自己喪失を
意識社会へと投影させ
物質の所有と
富への幻想で
その不安や恐怖を
解消し
富こそが
安心であるかのような
錯覚の中で
文明を進化させてきました。
そして
結果として
もう
便利で快適さにかけては
これ以上ない
物質文化に囲まれ
今
私たちは生きています。
それなのに
なぜ
私たちはそれ以上を
望むのでしょうか・・・・・???
それは
人間は
無意識層にある
自分の不安や恐れを
解決しない限り
手に入れた
安定を
現状維持か
それ以上であることを
望み
手に入れたものを
失うことや
現状維持ができないこと
現状のレベルが下がることを
極端に
恐れ
不安に駆られるからです。
つまりねえ~
私たちは
自分の中の不安や恐怖を
解決しない限り
ハメルンの笛吹のように
その先には
溺死しかなくとも
ずーっと
欲望の中に
とりこまれ続けるということです。
人間は
意識によって
築き上げた
幻想社会への
その幻想を
立ちきらなければ、
欲望への歯止めが
できない…ということです。
そして
意識とは
幻想とは
自分の存在の外部へ向けた
依存
期待
憧れです。
もうお分かりかもしれませんね。
人間は
自分の外部世界=意識世界=社会や国家への
幻想を
常に膨らませ
自分以外の人間や集団や組織や国家に
依存して
生きてきました。
特にネーション時代と(国家の時代)いわれる
近代はからは
それが強くなっています。
そしてそれは
国内がだめなら
外国へと進出することが
あたかも
自分たちの欲望を見たし
経済の現状維持か
さらなる
繁栄をもたらすような”幻想”を
抱き
今も抱き続けています。
なぜ
そうなるか・・・・???
それはね、
意識世界は
ほんとうのリアリティーが
ないからです。
みんな
意識世界こそ
リアリティーのある世界だと
思い込んでいますが
そこには
人々が自分の無意識を
自分の欲求と願望にあわせて加工した
幻想=人々の欲と期待の膨らんだ仮想の世界ですから
リアリティーがありません。
そうではなく
無意識世界こそ
ほんとうの
リアリティーが
あるのです。
(しつこいね・・・苦笑!)
つまり
自分の無意識の中にこそ
リアリティーがあり
真実があり
そして
その内面を掘ることこそが
解決の道であり
ほんとうの価値のあることを
見つける道です。
答えは
すべて
自分の中にあるのです。
と
同様に
この国を一人の人間に
たとえみてください。
この国の指導者たちは
さらに外国へと
インドやアフリカへと
幻想を膨らませていますが
まあそれもいいと思います。
やってみる価値も
あるかもしれません。
が
もしかしたら
そこには
今までと同じような失敗しか
ないかもしれません。
よほど
その国の文化や意識レベルを
熟知していない限り
想定外のことばかりが
起きるでしょう。
そして、そこに
期待し依存することがあれば
必ず
そのしっぺ返しを
喰らうと思います。
もうすでに
日本の未来は
外国資本や
株式の
マネーゲームの手の内のなかで
翻弄されているように
私には
見えます。
そして
リアリティーとは
日本は
日本人にしか通用しない
リアリティーの中で
生きているのですよ。
外国のことなど
わかるはずがないんですよ。
自分たちのリアリティーを
そこに重ねているだけで
ほんとうのことは
わかりえないはずなんです。
それは世界中においても
リアリティーとは
その国のリアリティーしか
ないんです。
ということは
日本が日本のことを
解決するには
日本の
この国を
掘り下げることしかないのですヨ・・・・ホントはね。
だって
外国のほんとうのことは
わかりえないだから。
私たちが気づかなければ
ならないことは
この国を
どのように
自力でもって
立て直しをするかだと
私は思います。
その立て直しは
欲望の充足でもなく
現状維持でも
なく、
この国
この日本の国におおいて
日本人が
自然と共存していくために
何をしたらいいか・・ということです。
日本人が
幸福を手に入れるには
国民一人一人が
自分が何を
どのようにしなければならないかを
突きつけられ
考える必要があります。
3,11の地震も津波も
原発事故も
みんな、
私たちに問いかけてきている。
物質によっての
充足ではない
幸福を
考える必要があります。
放縦に
のさばり続ける
物質への依存と執着を
断つことが
必要かもしれませんね。
国民の幸福は
国が代行するのでもなく
また国に
依存するものでも
ない・・・・。
まあ
私が考えていることなど
今のこの国では
狂気の沙汰かもしれませんね。
しかし
その安逸さこそ
狂気の沙汰だと
私は思うのですが・・・。
今朝の新聞で
サーベージという
外国資本に
西武が乗っ取られ
その経済効果だけで
判断されて
電車が廃止されるという記事を
読みました。
幸いなことに
敵対的TOBは
できなかったらしいですけど。
もしかしたら
この国が
外国に乗っ取られる寸前までの
危機が来てはじめて
この国人々はやっと
その幻想から
目が覚めるかも
しれません。
日本の国を
立てなおすためには
まず
日本というこの国の
今の姿に対する
厳しい検証が
必要でしょう。
日本人の過剰なる
依存心に対する
厳しい突き離しも
必要でしょう。
自立するということに対しての
大人の在り方
そして
自立を目指した
教育とはなにかを
制度ごと
検証して
やり直す。
受験などという
ばかなことは
やめることです。
子供たちを
受験から解放したら
自殺やいじめも
格段に減るでしょう。
一人の人間が
自分の内面を掘り
無意識領域にある
自分のリアリティに基づいて
ポテンシャルを
見つけ出すように
国も
日本の国とは
何か…ということを
掘りさげて
この国の中にある
眠っている
ポテンシャルを
掘り直してみる。
人間は自然から
疎外すればするほど
心理的なストレスを
負います。
まずはたくさんの壊された自然を
回復し
経済的な裕福さより
いかに
自然と共存するかのほうが
優先順位だと
私は思います。
放射能に汚染された
海を
いかに回復するか、
放り出されている
休耕田を
もう一度回復させることや
里山や
林や森を
とりもどすことや
まあそのほか
私たちが
富や繁栄と交換に
失ったものを
取り戻すことを
考えだしたら
尽きません・・・・・。
もしかしたら
便利さを
手放す必要があるかも
しれませんね。
皆さんもそれぞれ
お考えが
いっぱいあるでしょ!
映画「流・ながれ」のなかにあった
絶滅寸前の花や
水生昆虫が
再び私たち人間と
一緒に生きれるようには
どうしたらいいかを
考えていくうちに
きっと
この国が世界の中で
自立し
生き残ってゆく道が
みえてくるでしょう。
それぞれの人々が
それぞれの
無意識の中の不安や恐怖を
克服して
安心して一緒に生きれる社会を
どうしたら
創りだすことができるか
考える。
まずは
その一歩として
何があっても
自分を信頼し
自分がいきるこには
意味と価値がある…ということを
しっかりと
肝に刻んで
人間への信頼や
他者への信頼とつながりを
創造的に
具体的に
創りだしていくことだと
思います。

長い文を
お疲れ様でした。
by denshinbashira
| 2013-06-02 17:10
| 夢から醒めるということ。
|
Comments(1)
私は中村うさぎさんの本を調べていてこのブログにたどり着きました。気がつけば3、4年経っているのでしょうか。調べている訳は中村うさぎという人の心理に興味があったからです。ようは依存に関してでしょうか。このブログには自分が知りたいことばかりが載せられていてとても学ぶことが多く、励みになります。
私は最近、自我へのこだわりを捨てたいと思っています。自己顕示欲が強すぎて被害妄想や自意識過剰になるからです。粘着質で狭い視界が常に自分を守ります。また自我を突き崩すにはどうしたらよいか知りたいです。
いつもこのブログを読むとほっとして助かります。難しい内容をわかりやすく丁寧に書いてくださり本当にありがとうございます。
私は最近、自我へのこだわりを捨てたいと思っています。自己顕示欲が強すぎて被害妄想や自意識過剰になるからです。粘着質で狭い視界が常に自分を守ります。また自我を突き崩すにはどうしたらよいか知りたいです。
いつもこのブログを読むとほっとして助かります。難しい内容をわかりやすく丁寧に書いてくださり本当にありがとうございます。
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