夢から醒めるということ・人生はなんでもアリ! |
時に克服しなけれならない事が
次々にその人間を襲ってきます。
それは神秘でも
偶然でもなく
何でもなく
命の摂理として
生まれ、育ち、やがて死ぬ・・という
プロセスこそが
その人間の
完成への道であるからです。
命の属性として
命の自立性としてあるからです。
はじまりは
完璧に
自己完結して生まれた
赤ん坊が
生まれ瞬間から
育てられながら
他者の介入をうけます。
育てられる・・・ということは
すなわちそこに
他者が介在しなければならず
その他者を
受け入れて
自分も生きる・・・という
その人間のおおいなる
道が
始まるわけですね。
つまり
他者をどのように
受け入れ
自分の外にある
外在する世界を
格闘しながら
人生をかけて
他者と外在世界を
受け入れ
止揚して
自分の中に
統合していく道の
始まりです。
その人生の年月の日々は
自己完結した
ちいさな赤ん坊の自分から
やがて
他者をも統合した
大いなる自分へといたる道として
あります。
完成し
死へと向かう自分へと
向かうために
様々な世界や他者と出遭いのなかで
人生はいつも
私達に
問いかけてきます。
お前は
自分の人生を
生きているか・・・と。
人はすべてが
違う
個としての
人間です。
生れ落ちた瞬間から
その人の
”その人だけ”の
人生がはじまります。
生まれ落ちた瞬間から
その人間の
生きるためのデーター収集が
はじまり
生れ落ちた瞬間
その赤ん坊を受け止めた手が
その体温や皮膚の感触や
その部屋の空気や
温度や湿度や
聞こえてくる音
匂い
などなど
ずべてが
その瞬間の
一回性で
その赤ん坊の中に
入っていきます。
命、
つまり
脳も体も
いつも
その一回性を
生きているのです。
つまり
ホントウに
その人間だけの
”個”の世界を
生き始めるのです。
だからこそ
すべての基本は
自分の中の核にあり、
その核に起因して
様々な事が起きてくるのです。
育てられている時に
獲得した
ベースデーターというか
マザーデーターが
成人して
こんどは
家族や周辺の人間以外の
未知の人間
未知の世界に
出会いながら
又そこで
格闘し
もがきながら
”人間についての”データーを
集めていきます。
つまり
自立するために
人間は
いつも
未知への世界へ
そして
未知への人々の中に
飛び込んでいくのです。
それまで
自分が集めたデーターだけを
てがかりにね・・・・。
だから
わからないのが
当たり前で
不安や
恐れに駆られるのも
当たり前です。
そして
自分の中の欠損や
他人の介入で
傷つき
壊された自分を
修復し
とりもどそうとするのも
当たり前
当然のことでしょう・・・と
私は思います。
どうでしょう・・・???
恐れないで
怯えないで
そして
自分を取り返す
自分をとりもどすことに
なんの躊躇が
いるものか・・と
思います。
いいですか、
人生は、
何でも
ありですぞ!
失敗や
挫折は
財産です!
傷つくことは
扉を開け・・・という
サインです。
傷ついてばかりいるのは
甘えと感傷で
傷つくことで
自己防衛して
そこには
停滞しか
ありません。
サインや
メッセージを
しっかり
受け止めて
傷つか
ない!
(これも自分との戦いです。)
もっともっと
貪欲に
人生を
たった一度きりの
自分の人生の完成にむかって
踏み出しておきなさい・・・と
思います。
言っておきますが
命はいつも
前へ
前へと進んでいるのに
それにブレーキをかけるのは
その人の
依存と甘えですからね・・・・!!
さあー
いこー!