2013年 06月 08日
岩田慶治著『道元との対話』より・生は全機現なり!その2 |
私達は
自分という断片の意識でしか
生きていないのに、
どういうわけか、
いつのまにか
この世は、
この世界は
自分のコントロールできる中にある・・・と
思い込んでいる。
或いは
思いこんでしまって
いる。
自分でも
きづかないうちにね。
しかし
じぶんでコントロールできないことに
直面すると
不安になり
悩んだり苦しんだりする。
全機現、
すなわち
大きな大きな
全体の世界からみれば
ほんの断片にすぎないのに
人間の意識は
その全体がみえないために
自分の視野の中の世界が
すべてだと
思い込んでしまう。
しかし全体世界は
山が動くように
ゆったりと
少しずつしか
動かない!
しかし
動いている。
人間のこの世だけでばなく
空も海も大地も
いきとしいいけるもの
すべてが
同時に動いているが
愚かな人間は
自分だけが動いていると
思いこんでいる。
自分の今は
自分だけの今ではない
総体の今である。
総体の今とは
自分も
他者も
自然も
宇宙も
すべてのフィールドが
同時に
同じ
”今”を
動いていることである。
その中に
ポツンと
自分がいて
この総体が
見えないために
自分は
自分のことしか理解できず
すべてを
自分がコントロールできる・・・はず・・・という
自分の断片で
総体を
いきてしまうから
当然そこには
大きな
たくさんの
想定外のことばかりが
おきるわけだ!
自分がコントロールできることなど
たかがしれているのにね・・・。
自分の不安や
自分の悲しみや
自分の苦しみの正体を
よーく見てみると
それは
自分の想定外のことが
おきてしまい
じぶんでは
コントロールできない
絶望感や
敗北感や
無力感が
そこに
走るからです。
自分の思い通りにことが
運ばなかったり
自分の予想通りに
人が動かなかったり
自分の外側の世界が
思い通りならないとき
人間は
イライラする。
よーくよーく
見て御覧なさい、
そこには
自分の意識で
グルグル巻きにされている
自分がいるはずです。
それが極端になり
自殺する人は
自分に絶望するのではなく
”自分の周囲”に
絶望するからです。
なぜなら
自分に絶望したら
もう
あきらめがついて
周囲に身をまかすでしょうし
逆に
周囲に期待しなくなったら
自分が
立っていくからね。
(依存から自立していくってことです。)
人間とは
おもしろいものです。
ああ、ここまで書いたら
朝が輝いてきた!
自分にできることは
ほんとうに
ささやかな
自分に
できることで
でもそれは
大きな
全体のなかで
自分の息吹や
(いきることそのもの)
動きが
自分の意識をはるかにこえて
全体をうごかしていることでも
ある。
すごいね!
だから
自分の意識のなかだけで
あれこれ
もがかないで
わからないこと
できないことは
ポーンと放り投げて
運を天にまかし
のほほん、のほほんで
いいです。
そして
自分にできることは
できる限り
解決してゆく・・・ということですね。
まあ
たいがいのことは
自分の中の自我が
抵抗していて
それに甘んじている自分が
いるだけ・・・ってことだろう
と
私は思いますけど・・・。
”自我の抵抗”を
勇気をもってとりのぞけば
自分の中の
能力も
解放されていきますからね。
つまり
感情のブレーキが
取り除かれると
気が爽やかになり
脳と体が生き生きと
しだすからです。
そして
この解決してゆくということを
追究してゆくと
その道の遥かに向こうに
空が見えてくるもんです。
そう
全体・・・の空です。
自分の
他者の
取り巻く自然の
地球の
宇宙の
私の大好きな
夏目漱石が見上げた・・・天
”則天去私”・・・の
あの
天です。
でも
解決を怠り
逃げてしまうと
自分の意識が
堂々巡りする
世界から
なかなか脱出できないと
思います。
朝の光が
曇りってきました。
もしかしたら
雨がふるのかしら・・・・・?
そうしたら
庭の木々や
花達が
きっと
喜ぶね!

今年の梅雨は
どこへ行ったのかしら?
自分という断片の意識でしか
生きていないのに、
どういうわけか、
いつのまにか
この世は、
この世界は
自分のコントロールできる中にある・・・と
思い込んでいる。
或いは
思いこんでしまって
いる。
自分でも
きづかないうちにね。
しかし
じぶんでコントロールできないことに
直面すると
不安になり
悩んだり苦しんだりする。
全機現、
すなわち
大きな大きな
全体の世界からみれば
ほんの断片にすぎないのに
人間の意識は
その全体がみえないために
自分の視野の中の世界が
すべてだと
思い込んでしまう。
しかし全体世界は
山が動くように
ゆったりと
少しずつしか
動かない!
しかし
動いている。
人間のこの世だけでばなく
空も海も大地も
いきとしいいけるもの
すべてが
同時に動いているが
愚かな人間は
自分だけが動いていると
思いこんでいる。
自分の今は
自分だけの今ではない
総体の今である。
総体の今とは
自分も
他者も
自然も
宇宙も
すべてのフィールドが
同時に
同じ
”今”を
動いていることである。
その中に
ポツンと
自分がいて
この総体が
見えないために
自分は
自分のことしか理解できず
すべてを
自分がコントロールできる・・・はず・・・という
自分の断片で
総体を
いきてしまうから
当然そこには
大きな
たくさんの
想定外のことばかりが
おきるわけだ!
自分がコントロールできることなど
たかがしれているのにね・・・。
自分の不安や
自分の悲しみや
自分の苦しみの正体を
よーく見てみると
それは
自分の想定外のことが
おきてしまい
じぶんでは
コントロールできない
絶望感や
敗北感や
無力感が
そこに
走るからです。
自分の思い通りにことが
運ばなかったり
自分の予想通りに
人が動かなかったり
自分の外側の世界が
思い通りならないとき
人間は
イライラする。
よーくよーく
見て御覧なさい、
そこには
自分の意識で
グルグル巻きにされている
自分がいるはずです。
それが極端になり
自殺する人は
自分に絶望するのではなく
”自分の周囲”に
絶望するからです。
なぜなら
自分に絶望したら
もう
あきらめがついて
周囲に身をまかすでしょうし
逆に
周囲に期待しなくなったら
自分が
立っていくからね。
(依存から自立していくってことです。)
人間とは
おもしろいものです。
ああ、ここまで書いたら
朝が輝いてきた!
自分にできることは
ほんとうに
ささやかな
自分に
できることで
でもそれは
大きな
全体のなかで
自分の息吹や
(いきることそのもの)
動きが
自分の意識をはるかにこえて
全体をうごかしていることでも
ある。
すごいね!
だから
自分の意識のなかだけで
あれこれ
もがかないで
わからないこと
できないことは
ポーンと放り投げて
運を天にまかし
のほほん、のほほんで
いいです。
そして
自分にできることは
できる限り
解決してゆく・・・ということですね。
まあ
たいがいのことは
自分の中の自我が
抵抗していて
それに甘んじている自分が
いるだけ・・・ってことだろう
と
私は思いますけど・・・。
”自我の抵抗”を
勇気をもってとりのぞけば
自分の中の
能力も
解放されていきますからね。
つまり
感情のブレーキが
取り除かれると
気が爽やかになり
脳と体が生き生きと
しだすからです。
そして
この解決してゆくということを
追究してゆくと
その道の遥かに向こうに
空が見えてくるもんです。
そう
全体・・・の空です。
自分の
他者の
取り巻く自然の
地球の
宇宙の
私の大好きな
夏目漱石が見上げた・・・天
”則天去私”・・・の
あの
天です。
でも
解決を怠り
逃げてしまうと
自分の意識が
堂々巡りする
世界から
なかなか脱出できないと
思います。
朝の光が
曇りってきました。
もしかしたら
雨がふるのかしら・・・・・?
そうしたら
庭の木々や
花達が
きっと
喜ぶね!

今年の梅雨は
どこへ行ったのかしら?
by denshinbashira
| 2013-06-08 07:11
| 夢から醒めるということ。
|
Comments(2)
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
感情のブレーキ、外したいです!今、自我が最後の抵抗をしてるのかなって位、周囲の人の中にいて、自分らしさを見失って苦しいです。全体の中で悠々と生きて、頑張ってきた自我にお疲れさん!っていってあげられる日が近いことを願っています。
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