岩手の空! |
賢治が愛した
岩手の空はもう
真っ青の空に
ぴかぴかの
真珠のような雲が
浮かんでいました。
自分の意識、感情、思考の
構造、を解き明かして行くうちに
だんだん、いかに自分が
つまらないものや
必要のないことに
捉われ、
縛られ、
正体のない影に怯え
依存の中に
自分を見失っているかが
はっきり見えてきます。
ホントウに
とてもたいせつな人生を
そんなことで
使い果たしては
いけない!
自分のてのひらにもどってっきた
自分の人生は
岩手の空のように
青く澄んで
力強く、
そして
真っ白のぴかぴかの雲のように
純粋の輝きですよ。
そしてそれは
ほんとうは
そのひとのはじめからあった
輝きと光です。
※、参考『土神と狐』
空の下には
青々とした水田や畑があり
それを囲むように
山々が
守り
聳えていました。
そこにいると
ああ、なんという
広がり、
そして
気分はせいせいしてきて
賢治さんのあのことば
どおりでした。
自分が捉われ
思いこんでいる
狭くて息苦しい世界から
脱却するのも
自分しだいです。
それは簡単にはできませんし
自分の自我や思い込みや
恐れとの戦いをやりぬかなければ
なりません。
そして
今までの殻を脱ぎ捨てて
新しく生きる・・・という
決意が必要です。
しかし
長かったトンネルの
その穴をでて
見上げる空は
きっとこの
岩手の空のように
新鮮で
ピカピカでしょう!
たった一度しかない
”わたしの人生”です。
大切に
たいせつに
生きてほしいと
ほんとうに
そう思います。
大きな仕事をひとつやり終えて
私もほっと
安堵しながら
帰ってきました。
よかったね!

みんな塀の外を
覗いている・・?

最近、自分の思い込みの枠がひとつ取れかかってきたと思います。ずっと、全人類に好かれ、全人類に受け入れられなければいけないと思ってきたせいで、自分が自分を妖怪七変化(笑)のように他人に合わせて変えなければならなくて、自分の芯というのが見えない状態がずいぶん続いていました。
私は賢治が好きですが、賢治が童話や詩を通して伝えようとしていたことを別のメッセージに解釈していたのかもしれません。外面だけ、清々しく他人のために生きる自分を求めてきたのかもしれません。今、やっと一つの大きな重荷を下ろせそうです。

これを一つずつ解いていき、私も真から清々しく軽やかになっていきたいです。
土神も狐も切なく、いとおしく感じます。