伝心柱日記 |
今朝は4時半に起きて
メールを読み
二通メールを
送信した。
昨夜眠りながら考え事をしていたらしく
今朝は朝から肩がコリコリ凝っている。
でも
メールを書いているときは
もう頭がフル回転し
そういう集中がとても
楽しいです。
一つも無駄な言葉はなく
いや
メールもいつも
真剣でたいせつな言葉を書いているので
体と頭とが一体となり
それが充実観となっていると
思います。
ことに最近は
季節のあいさつも
省き、
一気に核心的な事柄へと
突っ込んで書く場合が多く、
自分がどんどんソリッドになってゆくのが
楽しいです。
今、賢治のことを書いたブログを
推敲しているのですが、
その中の二つの謎、
1、自分を現象としながら、なぜ、
「『銀河鉄道の夜」で
死者の霊的世界を書いたのか・・・という謎。
なぜなら現象とするなら、死と伴に精神も消失するはずだからね。
2、しかし「銀河鉄道の夜」の登場者たちは皆
途中で下車しながら、消えて行っている・・・・というのは
やはり、現象の終了として
扱ったのだろうか・・・という疑問・・・?
「銀河鉄道の夜」全体がジョバンニの幻想であり
その幻想、夢から醒めようとした
賢治もいるね~!
まあ
その謎をとくためにも
やはり「法華経」を
初めから読み込むことにしました。
それもシンドイなあーと
思うけど
やらなきゃーね・・・。
今回、岩手の花巻にゆき
久しぶりに高村光太郎の山荘へ、行ってきました。
実は
私の若き頃
光太郎の妻智恵子のことを
本に書きました。
「原色の女」 彩流社
今のわたしからすると
もー
未熟そのもので
お恥ずかしい限りですが、
でも
良かったらお読みください。
男の幻想の中に
閉じ込められた智恵子
つまり、
光太郎の詩、智恵子抄から
はみ出した智恵子が
そこにいると思います。
明治の女性たちも素敵ですし
知恵子さんも
ほんとに
けなげに生きました。
実をいうと
私は、この本を書くとき
光太郎にこれほどまでに愛された
智恵子さんに嫉妬しながら
書きました・・・・笑!
でもねえー
ほんとに
愛されたのでしょうか・・・???
光太郎は数十編の戦争賛美の詩をかいています。
しかし
そのことは、この山荘の説明文にも
一行も書かれてはおらず
世の中の人も
そのことを知る人は本当に少数でしょう。
私はそのことを
責める気は毛頭ありません。
しかし
光太郎とて
ひとりの
弱い人間であったなあ~と
思います。
そして
智恵子さんの書いた詩が
もう凄味のある詩で
そでも本の中で
ご紹介していますが、
智恵子さんのほうが
狂気すれすれで
自分を生きたと
思います。
また
彼女が精神のバランスを崩し
入院していたころに
創った「紙絵」の世界が
素晴らしいです。
まあ
ひたすらに
若気の至りの私の文章で
穴があったら入りたいなあ・・と思う
稚拙な文ですが、
38歳の
愛情に飢えていた私も
そこにいます。
しかし今
66歳の私から見ると
有名人も
無名の人々も
皆
愛情を求め
苦しみ
格闘し
やがて
その幻想から
醒めていく過程にこそ
大いなる恵があるように
思います。
幻想から醒めていく。
それは
漱石の「ガラス戸」一枚隔てて見える世界であり
また
見田宗介氏の言葉
「『夢から醒める、ということが
感動の解体であるばかりでなく、
いっそう深い感動の獲得でもある。』
でも
あると思いますよ・・・・。
今日は日曜日で
まだ家人たちは夢の中です。
さてと
朝ごはんのそうめん支度でも
しましょう
では
また!

なんてはつらつと、
そして
すべての自分を開け放ち
この花たちは
咲いているのでしょう!
素敵ですね~!

今回の記事を読んで、オシドリ夫婦であった私の両親について書かれているようで、驚きました。
一昨年母が鬼籍に入ったのち、寂しさに耐えかねた父はすぐに若い恋人を作りました。それ自体は老けこまれるよりは良いのですが、様子をみていると、愛情をかける相手をただ欲しているようで 、夫に愛されていると羨ましがられていた母は、実は父の相手を見据えていない愛情に絶望しつつも応え、愛される妻を演じていたのかもしれないと思うに至りました。また生前の母について、そう思えば合点の行くことも多いのです。それでも幸せだったとは思いますが、世間が考えていた程の、愛に満たされた生活ではなかったのかも。
光太郎は本当に智恵子を愛していたのか?智恵子抄を読んだ時にも思いましたが、智恵子に理想を投影して愛し続ける光太郎を、智恵子は包み込んで演者のように「智恵子」であり続けてあげた気がしてなりません。穿った見方かもしれませんが(汗)
一言のつもりが、ツラツラと長文、駄文を書いてしまいまして、失礼しました。今後もブログを楽しみにしております。