人間は「断絶を介してしか 繋がれない」 |
分かっていれば
私の人生の苦しみは
半減した、いや
もっともっと楽になったと
思います。
それは
人間と
人間関係についての
認識で、
人間と人間とは
岩田慶冶先生のことばを
お借りすれば、
「断絶を介してしか
繋がれない」
と
いうことです。
つまり、
人間はたとえ
親子でも
兄弟でも
夫婦でも
ひとりひとりが
全くの
別世界を生きており
言葉や
ボデーランゲージをもって
かろうじて
つながっている・・・・ということです。
しかし
一方人間は
自分の言葉や思いが
相手に通じている・・・という
錯覚や幻想を
持っており
ホントウは
自分の発した言葉も
もしかしたら、
その百分の一も
伝わるかどうか
わからないかもしれないのに、
それが
伝わっているという
思い込みや
錯覚でいきています。
さらに困ったことには
自分の顔色や様子で
自分を察してもらえる・・という
トンでもない勘違いまでを
している。
特に多くの日本人は
こういう傾向の中にいる。
ホントウはね、
夫婦の間も
親子間も
友人関係も
職場での関係も
すべての
人間関係は
このおおいなる
すれ違いの
錯覚のなかでの
かすかに交叉する
ほんの接点で
かろうじて
維持されているにすぎません。
さらに困ったことには
人間は
自分以外の人間に
依存し
期待し
そして
自分の思い通りにうごいてほしいという
欲望をもっている。
そして相手が自分の予想通り、
思い通りに動かないと
不安になり
怒りがきたりする。
そのとき
問題になるのは
自分の感情で
自分の感情と
他者との感情を
はっきりと
分断して
感じられることが
とても大切ですが、
しかし
多くの人間は
自分に感情で他者を測り
自分の感情と他者の感情を
混同してしまっています。
自分の感情で
他者の感情をはかろうとしても
それは
どだい無理なことなんですよ。
また自分の感情も
他人に勝手に図られるのも
不愉快です。
私の経験では
ホントウに
他人のことは
わかりえない・・・ということです。
人間はみんな
それぞれが
それぞれを生きているのに
過ぎないのに・・・ねー!!!
他者についても
外的世界についても
自分を介してしか
理解できない・・つまり
すべてが自分流でしか
理解していないのです。
だから人間は
失望したり
絶望したりを
繰り返します。
しかし
それを理解してはじめて
人間はその煩悩から
解き放たれます。
この事を
しっかり理解して
私はやっと
自分の苦しみから
解放されました。
苦しみから解放されるのは
ただひとつ
自分という個(弧)を
生きる・・という決心です。
つまり自立です。
他人に頼らず
寄りかからず
自分におきることはすべて
自分が引き受けてゆく・・・という決心です。
それぞれが
それぞれを
しっかり生きることが
自立であり
他者は他者として
自分とは
まったく異なる
そのひとの人生を生きている・・ということを
しっかりと銘じし
他者に介入しない・・というのが
自他の分離です。
そして
自分が理解されることは
ほんのすこしだけです。
理解されなくともいい
しかし
少しでも理解されるように
努力する・・という心得が
必要です。
さらに
他者を理解することは
とても難しいが
しかし
少しずつでも理解しようとする。
そのためには
自分の中の知性を磨き
客観性を
育てることが
とても
大事です。
感情ではなく
考察と知力で
生きるのですね。
人間は個と個の断絶の中を
いきている
だからこそ
人間は
自分の主体性をもって
自分の人間関係を
どのように
創りあげていくかが
問われます。
受身では
何も得られません。
受身で受け取るのはすべて
自分の都合のいいように
解釈した
霞みたいな
モンですよ。
すべての関係は
自分が
創りだすのですね。
人生は
クリエイティブです。
暑いので
我が家の木陰で
どうぞ!