自立してこそ、直観は発火資する・・・コメントにお答えします。 |
さらに直観について
書きましょう。。
質問です。
以前、初対面の人間を直感で判断してしまうことについて、
自信がないからそうなるのであり、
人間など少し話しただけでは、
余程専門的な訓練や経験を積まない限りわからないと教えて頂いたことがあります。
そういった場合の直感は、
往々にして『人間関係』に対する防御や、
自分の自信の無さの裏返しだと。
私はその説明にとても納得していたのですが、
同時に、今日の内容にあるような、
直感を信じるのはどういう時だろう?
自信の無さを補うための直感であるかどうかを、
自分はわかるのだろうか?という疑問が生まれました。
よろしければご教示ください。
初対面の相手に対し、
その人物の”内面”を
勿論
雑駁ではありますが
それなりに
直観的に把握するには、
かなり専門的な訓練や経験を積まないと
なかなかわかりません。
しかしそれも
その人間の内面の一部分的な
大まかな判断です。
つまり
人間の内面は奥が深く
そうそう掴めるものではありませんからね。
しかし一方では
そういうトレーニングをしていなくとも
簡単な好き嫌いとか苦手とかの
”浅い”は直観は働いていると
思います。
つまり脳は瞬間的に
相手が自分にとって
大切か
そうでないかを見ますからね。
自分に自信があり
その人間に対する怯えや自分の防衛を取り除いて
相手に対する先入観がなく
ゼロ視点からその人間を把握しようとしない限り
どうしても
自分の中の怯えや不安のフィルターが
優先して働いて
浅いところで相手を判断してしまうということです。
初対面の人間に向き合う時
専門的なトレーニングや経験知がないと
自分のスタンスというか
自分の中の腹が据わっていないと
どうしても自分の先入観で
相手を値踏みして
みてしまいます。
※ 値踏み・・・というのは
とても嫌な言葉ですが
でも、人間はそういうことを
瞬間的やってしまうので
あえてこの言葉を使いました。
その先入観に基づいて
この人は自分にとって安全かどうであろうか・・・というような
自己防衛が働き
それに基づいて
吟味したり値踏み・・・・という
ネガティヴな洞察になると
どうしても
簡単に他者をより分けてしまう・・・という
危さがあります。
それはインナーチャイルドが
救い出されていないと
どうしても
インナーチャイルドの
怯えや恐れがそこに
影を落としてしまうのです。
例えば初対面の相手が
自分が子供の頃
トテモ嫌な思いをした人間に
似ていると
そこで、瞬間的に拒否反応が起きてきたり
逆にその人間の心理支配を受けようとしたり
します。
※ 人間は自分が恐ろしいと思っている人間に
だからこそ、近寄ってしまう・・ということもあります。
また親から人間を序列的な目で見る事を
バトンされているとか
表面的な外見や服装で相手を
価値判断するような目を
バトンされていると
どうしても
表面的なことで
相手を決め付けてしまいます。
また
傷つきやすい人
傷つくことが好きな人・・・?は
相手のなにげない言葉を
否定的にとってしまうという
危険があります。
※ 傷つくことが好きな人は
傷つくことが習性化しており
本人は気づいていないのですが
傷つき嘆く自分に
依存や倒錯した快感があります。
また、相手に対する怒りが湧くことで、
自分の中の
停滞したエネルギーを放出しようとします。
つまりは、自分が傷つくことを必要とした人生を
生きよう(設定)しているのですね!
人間はほんとに不可思議で厄介です
つまり
◎自分が相手と
できうる限りの
ゼロ地点で対峙しようとしない限り
そういう自分のフィルター・・・の
制約を受けてしまうと
言うことです。
しかし
自分の内面の問題に気づき
怯えや恐れのインナーチャイルドを
救い出し
自分の中を掃除し
そして
自分を信頼して生きヨー・・と
決心し
その人の
自立がはじまったなら
そのときは
自分の中の基礎データー
つまり
インナーチャイルドを含めた
それまでの自分が集めたデーター
その
データーの山が
とても有効にはたらきうように
なります。
つまり自分の怯えや恐れの
先入観や
人間に対する偏った
観念がとれ
自分が他人から脅かされず、
人間をそのまま、見れるような
自分になったとき
自分の感情が浄化され
理性がきちんと
働くようになったとき
それまで自分が蓄積した自分のデーターも
浄化されてくるのです。
そうなると
その自分の
純粋データー、
リアルデーターに基づいて
直観がドンドン働くように
なるということです。
例えば初対面時も
その人間の人相が悪いなあ・・ということに
自分の怯えや不安が
煽られたり
連動せず
その人相の悪さは
この人の内面が
よほど苦しいのであろうなあー・・というような
見方や判断ができるようになると
そこにちゃんと客観性のゾーンが働いて
冷静にその人間を見て
判断できるようになると
いうことです。
まあ究極には
自分の直観を
どのように使うか・・・ということで
自己防衛に使っている限り
それは磨かれません。
逆に
その動機のところが
澄んでくると
汚れや濁りのとれた直観が
どんどん良いひらめきとなって
自分に降りてくるということです。
そのためには
まずは
自立(自律)し
自他の分離をし
自分に依拠して生きる・・ということが
必要です。
しながわ様も
もう迷わずに
ドンドン
自分の直観を信じてください!
あなたがドンドン自分のひらめきを
生かされ、磨かれ
良い仕事をなさると
嬉しいなあ~!!
自分が直面しては
自分の心が掃除されて
カラッポになり
あっけらかんと
なればなるほど
直観は
冴え渡ってきます。
たとえば雑念が消えてフロー状態の時
つまり自分が何かに没頭、没入しているとき
ある目的に向かい
自分が集中し
体と心が統一されているときは
ドンドン
脳が活性化て
ひらめきが突き進むでしょ!
まあ
そこまで集中しなくても
自立して
安定した日々なら
常に
善き直観が働きますよ・・・。
最後に
初対面で人間を判断し
それを決定づけてしまうと
どうしても
浅いところでの判断になってしまいます。
特に
自己防衛の強い人間は
その浅い直観で
早急にその人間を決め付けてしまうおそれが
あります。
しかし
人間は長く付き合う中で
やっとその人間の全貌がみえてきます。
ダンダンその人間の光も影も見えてきたとき
自分も成熟してゆきます。
その長く付き合いながらのなかにこそ
また
それまでの自分にはない
”人間のデーター”が
集められていきます。
それは
自分が豊かになることでもあり
また
自分が安易に他人に怯えなくなることにも
なります。
どうぞ
自立を果たしながら
自分の直観を
磨いていって下さい!
この葉鶏頭は
直観的に
生きているのかなあ~?
たぶん
いきているな・・・!!