伝心柱日記 他人とうまく付き合うには! |
夏風邪をひき、
保育園で預かってもらえず
働いている両親に代わって
この三日間、私が世話をしましたが
もう、その
幼児のすごいパワーと奔放さに
ヘトヘトになりました。
でも
赤ん坊はすごいねえ~!
嫌な事には、
全身で泣き叫びながら
アピールするし、
機嫌が直れば
ドンドン一人遊びで
自分を満たしているし
それに
私のことをよーく観察しようとしているし
人間の原点とは
恐るべき能力と表現力を
持っていると
改めて感心しました。
でも
もう
ヘトヘトです・・・・笑!
若いお嬢さんから
他人とうまくやっていくには
どうしたらいいかという
メールをいただきましたが、
それについては
このブログで何度も書きましたように、
・他人の心を深読みせず、
・いつも心を空っぽにして
・アッケラカンとして言葉を吐き
・後ろ向きにならず、前だけみて
・スタスタ歩いてゆく。
・常に、物事の優先順位を考えて判断し、行動する。
他人と自分はまったくのベツモノですからねえ、
他人の顔色なんか窺ってもナンセンスなんですよ。
特に深読みすることなど、
その深読みこそ、
自分のフィルターをとおして
相手を深く考え過ぎているだけのことで
なんともナンセンスな行為です。
そういうことがわからない人間は
すぐ相手と一体化しようとして
団子状態になって安心しますが
人間はそれぞれ、べつものですから
そういう団子というのは
もともと成立していないのです。
幻想です。
だから
すぐ
それが破たんして壊れて、感情的なトラブルになる。
感情的なトラブルとは
相手が自分の思い通りにならないときに起きる
自分の危機に対する不安が
感情として発火するのですね。
最初から
いかなる他人も
自分のおもいどおりなんかに動かない!と
心得ておく。
だって
それは
他人は
別ものだからね!・・しつこいけどサ!
ただ、
自分の思いどおり
想定どおりに相手が
動いてくれると
自分が安心する・・・という
極めて手前勝手な欲望を
人間が
持っている・・と言うだけです。
他人とうまくいくには
そういう
他人と自分との
大きな隔たりを
ちゃーんと自覚していて
他人がどうであれ
自分はビクともしない・・・という
自分を
創りあげていくことだと
おもいますよ。
人間は
すぐ動揺する人間をあまり好きではありません。
すぐ動揺する・・・とは
直ぐ傷つく人間です。
まあ
逆に
意地悪で他人をいじめることが好きな人間は
すぐ動揺する人間をカモにして
自分を成立させて生きてますから
そういう人間は
すぐ動揺する(直ぐ傷つく)人間が好きだとは
おもいますが・・ねえ~!・・・苦笑!
まあ
たいがいの人は
すぐ動揺する人間に対しては
やっかいだなあ~・・・という
拒否感しか
ありませんよ。
自分がその人に動揺に
連れこまれるのが
嫌なんですね。
反対に
自分がいつも自分であり
自分のなかに余計な他人像を
創りあげていない人間は
いたずらに
他人の顔色など窺いませんし
深読みもしませんから
いつも対等で安心で
安定した人間関係を結べます。
もう
誰とでも公平な距離感があり
つまり
誰ともでも距離が結べ
とても
つきあい易いです。
まあ
私は、そういう人以外とは
つきあいたくないですね。
自分の孤独を引き受け
※ 自分は自分の孤独を引き受ける・・と
覚悟した人は、その孤独がちっとも寂しいもので
なくなると同時に
その孤独こそが最上の贅沢ともなります!
我が人生を設計し
そうして
なにがあっても
あっそうか・・・と
あっけらかんと受け流し
わずらわしいことには
かかわらない!
※ 煩わしいことが好きな人間は
いつも煩わしいことが好きな人間どうしで
団子にになり嘆きます・・・・!
アホクサ
知らんがな!
そういうアホは相手に
せず、
スタスタと前を向いて歩いていく。
ひとりでも生きてゆけるし
ふたりでも
三人でも・・・・・
生きてゆける。
そういう自分を
時間をかけて
創りあげていくことだと
思います。
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
詳しくはMOREをご覧ください!
〇 伝心柱ライブラリー開設
映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
奥友志津子画
私は物心ついた頃より
ずーっと
自分はどのように生きたらいいのかと
模索、追求してきました。
まあ、それは一種の神経症的な
私のライフワークになり…笑!
とうとうここまで来ることができました。
ここまでくるとは
もう老境にさしかかってやっと
私は、
若いころの立身であった
社会的認知を受けて
何らかの上昇を目指すということを
いっさい捨てて
ほんとうに
ささやかに
この身ひとつの自分を生きることに
非常に満足しているからです。
日々の日めくりのように
淡々と流れる時をそのまま生きることが
愛おしく
その自分に納得しながら今が
生きられていることです。
人間は誰でも
自分とはなにか
自分が存在するとは
なにか・・・・という
自分の存在の証をもとめて
生きています。
それは
自覚的なものではなくても
無意識のうちに
自分はいつも
自分に振り返られて
常に
そのゆく道筋を
模索しているからです。
人は誰でもが
無意識の中で
”明日こそは、ステキにいきよう”と思って
生きており
しかし
その自分の心の推移や働きは
自分しか知りえません。
そんな小さな
ささやかな
自分のワールドの中を
人間はまるで
みずすましのように
懸命に泳いでいる!
今再び自分が
鏡のように
自分を見返すとき
映画「流・ながれ」の中の
吉江翁の気持ちが手に取るように
わかります。
誰にも知られずに
ひそかに
カワラノギクに心を注ぎいれる
吉江翁の心が
沁みるのです。
そしてさらに
滅びの危うさのなかで
懸命に生き延びている水棲昆虫を
探しつづける斉藤先生の
そして
見つけてホッとする
斉藤先生のこころが
もうよーく
わかるのです。
この映画を
環境問題と
とらえる方もいると思いますが
私はこの二人の翁の中に
私が求め続けてきた
自分の”生きる”・・・とはが
映し出されているような
共感があります。
生きるとは
こういうことなんだなあ~と
思います。
自分が大切なもの
自分の心を注ぎこむものの中に
自分が生きている。
私のこのブログを読みに来てくださる方は
きっと
そういう自分を探し続けておられる方だと
思います。
人間の無為の行為の中にある
光のようなものですね。
この映画を見る機会を
私は窓口として
このブログで残したいと
考えました。
それで
この映画「流・ながれ」と
もう一つの映画
「小さな学校」のDVDを
ご覧になりたい方に
ギフトします。
条件は
・その感想をこのブログに書いてください。
・できましたら、ご自分のブログやツイッターでご紹介してください。
の2点です。
ご希望の方はコメント欄に
どちらの映画のDVDをご希望かを書き
非公開で住所、氏名を教えてください。
それに基づいて発送いたします。
この映画を大勢の方に見ていただきたいので
遠慮なくお申込みください。
〇 映画「流・ながれ」のホームページはこちらです。
今、名前の書いた掛け軸を発見しました。
父の友人の名字が書いてあります。
父は昨年2月にガンで亡くなりました。
母は施設にお世話になっております。
親類は父なのことだからと、何か残している!
と言っていましたが何もなく。
生前、私におまえしかいないんだから。
こんな風にしか言えないが、感謝してんだぞ!
と外泊のときに言われました。
そんなことを思い出して、もしかして形見分け?かなとふと思ったのです。
たまたま、遺言で検索してこちらに訪問させていただきました。
あとから、ブログ拝読させていただきます。
今の私の求めていることがギフトという形で いただいたという感じです。
感謝しています。
そうなんです。。私の目指しているもの。denshinbashiraさんが書いてくださった、そのもの。執着しない。
自分の足で、大地を踏みしめて立つ!生きてることを実感する。
孤独、OK!一人でも幸せ、二人でも幸せ。
「がはは~」と心の底から自然に笑ってしまう。
着実に、一歩ずつ少しずつではありますが
生きていることが楽になってきました。
自分が選んだこと、人が選んだこと、受け入れられるようになってきました。「もういいよ~、もういいや~」って手放すこと、できるようになってきました。清々しいってこういうことだったんだ・・。って思います。
これもdenshinbashira さんのおかげです!!!
ありがとうございます!ブログ、楽しみにしてます!