2013年 08月 01日
伝心柱日記 人間は苦しむために生まれてきたんじゃない その1! |
人間は、苦しむために生まれてきたんじゃない!・・・と
いう言葉が、しきりに頭に浮かぶ。
山口の小さな部落での事件は
その小さな狭い人間関係のなかで
何があったのかは
わからないが
私の頭にはしきりにそういう言葉が
うかぶ。
そんなに苦しみなさんな・・と
私は言いたいのですが・・・。
人間が苦しむということの裏には
必ずと言っていいほど
自我にカビのように張り付いて増幅する
自己憐憫や
被害者意識があるように
思います。
この被害者意識こそが
諸悪の根源というか
クセモノです。
人間は被害者意識に落ち込むと
どんどん被害妄想が増幅し
自我が理性のバランスを失っていく。
被害者意識とは
すべて相手が悪いという受け身の位置に
自分を置いて
自己を憐憫する甘えで
それを解決しようとする
自分の主体を没落させてしまい
自分の中に無力感ばかりを育て
自己放棄し
相手が変わることばかりを
求めてしまう。
すべてのトラブルは
両者の
”関係”の中でおきるのであるから
どんなことも
悪いことの半分は相手で
半分は自分であり
まず
自分が解決に乗り出さない限り
それはいつまでたっても
出口がみつからない。
すべての問題は
自分が
解決に向けて一歩踏み出さない限りは
何も
変わりえない。
逆に
どんなに稚拙でもいいから
何とかしようと
一歩踏み出し始めたら
それは
すぐにとは
一挙にとはいかないが
少しずつ出口の光が
見えてくる。
エエーイッと
被害者意識なんか
捨てちまって
自分から
状況を切り開いてゆくことです。
人間は
苦しむために生まれてくるのではないです。
善き関係を結ぶために、
善き関係を
創造するために
首の上の創造力のマシーンを
ちゃーんと使いこなすように
なっている。
しかし
断っておきますが、
それは
ふにゃふにゃした
仲良くしようとか・・・いうような
安易な言葉や
人間関係を甘く見るような
うすっぺらな
ヒューマニズムなんかではないですよ。
自分の感情の甘えを
厳しく洗い直し
自分の中にある
歪んだ人間観をちゃーんと
お洗濯し
自分は被害であるとともに
加害者でもある・・という
厳しい認識を
受け入れるて初めて見えてくる
その関係の”ゆがみ”を
自分から起動修正する・・・ということです。
それでもまだ相手との関係に
変化がおきないなら
そういう相手は
自分にはふさわしくないツ・・・・と
捨ててしまうことです。
その時
怒りや体の消耗は残りますが
それはいずれ時間が
解決してくれるでしょう。
※ 人間はともするとそういう不毛な感情の人間関係に
しがみつき、自分の被者意識と怨念とが、その人間の隠れた生き甲斐と
なり、人生のエネルギーを注ぎ込みます。
それは、なんと人生の浪費かと思います。

可愛い実がなり始めました!
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と「小さな学校」DVDをギフトいたします。
〇 映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
〇 奥友志津子さんの漫画が始まりましたので
ご紹介いたします。
奥友志津子・座標空間より
『怒りんぼモンスターが出現する!』
・怒りはどこからくるのでしょうか・・・???
・怒りをガマンしていると
どうなっていくのでしょうか・・???
・人間はなぜ怒るのでしょうか・・???
楽しみです。
〇 伝心柱ライブラリー開設

映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
奥友志津子画
私は物心ついた頃より
ずーっと
自分はどのように生きたらいいのかと
模索、追求してきました。
まあ、それは一種の神経症的な
私のライフワークになり…笑!
とうとうここまで来ることができました。
ここまでくるとは
もう老境にさしかかってやっと
私は、
若いころの立身であった
社会的認知を受けて
何らかの上昇を目指すということを
いっさい捨てて
ほんとうに
ささやかに
この身ひとつの自分を生きることに
非常に満足しているからです。
日々の日めくりのように
淡々と流れる時をそのまま生きることが
愛おしく
その自分に納得しながら今が
生きられていることです。
人間は誰でも
自分とはなにか
自分が存在するとは
なにか・・・・という
自分の存在の証をもとめて
生きています。
それは
自覚的なものではなくても
無意識のうちに
自分はいつも
自分に振り返られて
常に
そのゆく道筋を
模索しているからです。
人は誰でもが
無意識の中で
”明日こそは、ステキにいきよう”と思って
生きており
しかし
その自分の心の推移や働きは
自分しか知りえません。
そんな小さな
ささやかな
自分のワールドの中を
人間はまるで
みずすましのように
懸命に泳いでいる!
今再び自分が
鏡のように
自分を見返すとき
映画「流・ながれ」の中の
吉江翁の気持ちが手に取るように
わかります。
誰にも知られずに
ひそかに
カワラノギクに心を注ぎいれる
吉江翁の心が
沁みるのです。
そしてさらに
滅びの危うさのなかで
懸命に生き延びている水棲昆虫を
探しつづける斉藤先生の
そして
見つけてホッとする
斉藤先生のこころが
もうよーく
わかるのです。
この映画を
環境問題と
とらえる方もいると思いますが
私はこの二人の翁の中に
私が求め続けてきた
自分の”生きる”・・・とはが
映し出されているような
共感があります。
生きるとは
こういうことなんだなあ~と
思います。
自分が大切なもの
自分の心を注ぎこむものの中に
自分が生きている。
私のこのブログを読みに来てくださる方は
きっと
そういう自分を探し続けておられる方だと
思います。
人間の無為の行為の中にある
光のようなものですね。
この映画を見る機会を
私は窓口として
このブログで残したいと
考えました。
それで
この映画「流・ながれ」と
もう一つの映画
「小さな学校」のDVDを
ご覧になりたい方に
ギフトします。
条件は
・その感想をこのブログに書いてください。
・できましたら、ご自分のブログやツイッターでご紹介してください。
の2点です。
ご希望の方はコメント欄に
どちらの映画のDVDをご希望かを書き
非公開で住所、氏名を教えてください。
それに基づいて発送いたします。

この映画を大勢の方に見ていただきたいので
遠慮なくお申込みください。
〇 映画「流・ながれ」のホームページはこちらです。
いう言葉が、しきりに頭に浮かぶ。
山口の小さな部落での事件は
その小さな狭い人間関係のなかで
何があったのかは
わからないが
私の頭にはしきりにそういう言葉が
うかぶ。
そんなに苦しみなさんな・・と
私は言いたいのですが・・・。
人間が苦しむということの裏には
必ずと言っていいほど
自我にカビのように張り付いて増幅する
自己憐憫や
被害者意識があるように
思います。
この被害者意識こそが
諸悪の根源というか
クセモノです。
人間は被害者意識に落ち込むと
どんどん被害妄想が増幅し
自我が理性のバランスを失っていく。
被害者意識とは
すべて相手が悪いという受け身の位置に
自分を置いて
自己を憐憫する甘えで
それを解決しようとする
自分の主体を没落させてしまい
自分の中に無力感ばかりを育て
自己放棄し
相手が変わることばかりを
求めてしまう。
すべてのトラブルは
両者の
”関係”の中でおきるのであるから
どんなことも
悪いことの半分は相手で
半分は自分であり
まず
自分が解決に乗り出さない限り
それはいつまでたっても
出口がみつからない。
すべての問題は
自分が
解決に向けて一歩踏み出さない限りは
何も
変わりえない。
逆に
どんなに稚拙でもいいから
何とかしようと
一歩踏み出し始めたら
それは
すぐにとは
一挙にとはいかないが
少しずつ出口の光が
見えてくる。
エエーイッと
被害者意識なんか
捨てちまって
自分から
状況を切り開いてゆくことです。
人間は
苦しむために生まれてくるのではないです。
善き関係を結ぶために、
善き関係を
創造するために
首の上の創造力のマシーンを
ちゃーんと使いこなすように
なっている。
しかし
断っておきますが、
それは
ふにゃふにゃした
仲良くしようとか・・・いうような
安易な言葉や
人間関係を甘く見るような
うすっぺらな
ヒューマニズムなんかではないですよ。
自分の感情の甘えを
厳しく洗い直し
自分の中にある
歪んだ人間観をちゃーんと
お洗濯し
自分は被害であるとともに
加害者でもある・・という
厳しい認識を
受け入れるて初めて見えてくる
その関係の”ゆがみ”を
自分から起動修正する・・・ということです。
それでもまだ相手との関係に
変化がおきないなら
そういう相手は
自分にはふさわしくないツ・・・・と
捨ててしまうことです。
その時
怒りや体の消耗は残りますが
それはいずれ時間が
解決してくれるでしょう。
※ 人間はともするとそういう不毛な感情の人間関係に
しがみつき、自分の被者意識と怨念とが、その人間の隠れた生き甲斐と
なり、人生のエネルギーを注ぎ込みます。
それは、なんと人生の浪費かと思います。

可愛い実がなり始めました!
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と「小さな学校」DVDをギフトいたします。
〇 映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
〇 奥友志津子さんの漫画が始まりましたので
ご紹介いたします。
奥友志津子・座標空間より
『怒りんぼモンスターが出現する!』
・怒りはどこからくるのでしょうか・・・???
・怒りをガマンしていると
どうなっていくのでしょうか・・???
・人間はなぜ怒るのでしょうか・・???
楽しみです。
〇 伝心柱ライブラリー開設

映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
奥友志津子画
私は物心ついた頃より
ずーっと
自分はどのように生きたらいいのかと
模索、追求してきました。
まあ、それは一種の神経症的な
私のライフワークになり…笑!
とうとうここまで来ることができました。
ここまでくるとは
もう老境にさしかかってやっと
私は、
若いころの立身であった
社会的認知を受けて
何らかの上昇を目指すということを
いっさい捨てて
ほんとうに
ささやかに
この身ひとつの自分を生きることに
非常に満足しているからです。
日々の日めくりのように
淡々と流れる時をそのまま生きることが
愛おしく
その自分に納得しながら今が
生きられていることです。
人間は誰でも
自分とはなにか
自分が存在するとは
なにか・・・・という
自分の存在の証をもとめて
生きています。
それは
自覚的なものではなくても
無意識のうちに
自分はいつも
自分に振り返られて
常に
そのゆく道筋を
模索しているからです。
人は誰でもが
無意識の中で
”明日こそは、ステキにいきよう”と思って
生きており
しかし
その自分の心の推移や働きは
自分しか知りえません。
そんな小さな
ささやかな
自分のワールドの中を
人間はまるで
みずすましのように
懸命に泳いでいる!
今再び自分が
鏡のように
自分を見返すとき
映画「流・ながれ」の中の
吉江翁の気持ちが手に取るように
わかります。
誰にも知られずに
ひそかに
カワラノギクに心を注ぎいれる
吉江翁の心が
沁みるのです。
そしてさらに
滅びの危うさのなかで
懸命に生き延びている水棲昆虫を
探しつづける斉藤先生の
そして
見つけてホッとする
斉藤先生のこころが
もうよーく
わかるのです。
この映画を
環境問題と
とらえる方もいると思いますが
私はこの二人の翁の中に
私が求め続けてきた
自分の”生きる”・・・とはが
映し出されているような
共感があります。
生きるとは
こういうことなんだなあ~と
思います。
自分が大切なもの
自分の心を注ぎこむものの中に
自分が生きている。
私のこのブログを読みに来てくださる方は
きっと
そういう自分を探し続けておられる方だと
思います。
人間の無為の行為の中にある
光のようなものですね。
この映画を見る機会を
私は窓口として
このブログで残したいと
考えました。
それで
この映画「流・ながれ」と
もう一つの映画
「小さな学校」のDVDを
ご覧になりたい方に
ギフトします。
条件は
・その感想をこのブログに書いてください。
・できましたら、ご自分のブログやツイッターでご紹介してください。
の2点です。
ご希望の方はコメント欄に
どちらの映画のDVDをご希望かを書き
非公開で住所、氏名を教えてください。
それに基づいて発送いたします。

この映画を大勢の方に見ていただきたいので
遠慮なくお申込みください。
〇 映画「流・ながれ」のホームページはこちらです。
by denshinbashira
| 2013-08-01 06:48
| 伝心柱マガジン
|
Comments(4)
余りに怒りが膨らみすぎたからでしょうか。
心が疲弊して…結果「うつ」になりました。
仰せの通り、変わるはずのない相手を無理やり変えようとした結果です。
人は変えられない。
自分は変えられる。
心が疲弊して…結果「うつ」になりました。
仰せの通り、変わるはずのない相手を無理やり変えようとした結果です。
人は変えられない。
自分は変えられる。
1
自己憐憫からのマイナスへの道は、経験し、理解してきたつもりです。それでも、繋がらない人のなんと多いことかと、最近思います。もう、捨ててしまったほうがいい人が多い。まだ、自分に責任があるのかなあ。そんな人たちに消耗することなく、繋がりを持続して、大切にしていきたい人たちに己のエネルギィを使おうと思っているこの頃です。諦めというか、関心をあまり持たないことで、自分を生かす道を探っています。
ある組織の中で、上手くいかないご夫婦と接してきました。仲良く話したり、距離を置いたり、自分なりに試行錯誤をしてみましたが、やっぱり、だめでした。つい先日、捨ててしまった。よかったのだと思います。
自分だけでなく、組織の中の他の人々まで生き生きとした顔になったように思います。これは自分の心がそうさせているだけなのかもしれないけれど。
捨てることになんとなく罪悪感みたいなものを感じていたので、ここでの言葉と周りの人々の顔が、私の気持ちを楽にしてくれた気がします。
自分だけでなく、組織の中の他の人々まで生き生きとした顔になったように思います。これは自分の心がそうさせているだけなのかもしれないけれど。
捨てることになんとなく罪悪感みたいなものを感じていたので、ここでの言葉と周りの人々の顔が、私の気持ちを楽にしてくれた気がします。
今日、denshinbashiraさんのブログと出逢ったことを幸せに思います。大切なのは、何をして生きればいいか、ではなく、どういうふうに生きればいいかなのだとはっきり意識しました。これからも拝読させていただきます。

