2013年 08月 05日
捨ててこそ・・・その2 |
やっと熱が下がりましたが
さて
昨日に続いて
不毛な人間関係は捨てちゃえ・・・のその2として
かなり衝撃的なことをいえば、
人間は二人以上が集まると
どうしてもそこに
パワーバランスの関係がおきてしまいす。
つまり
人間関係とは”力学”なんですね。
力関係で
それぞれの位置が
決まるのです。
だから
仲良しグループなどというものも
表面は別として
その内実は
・迫害者のいちにいる者
・被害者のいちにいる者
・傍観者の位置にいる者などで
それぞれの役割分担で
構成され、
それは底辺にいつもフラストレーションが漂い
常に即発的な衝突を孕みながら
かろうじて
表面は
仲良しグループを維持しているというのが
おおかただと
思います。
そこの根底には、必ず共依存があり
お互いが心底信頼し合っているとは
到底思えません。
世の中に流布されている
”仲良し”っていったい
なんなんでしょうかね~・・・???
まあ
仲良くすることが
よほど難しいからこそ
”仲良し幻想”が、蔓延したのでしょうが・・・。
感情の起伏が激しく、
迫害者的な人間は常に
自分の支配下に置ける、
被害者的人間に近づき
また被害者的人間は、
自分が主体的に生き、その
責任を取ることから
免れるために
迫害者の傘下にはいることで
自己防衛しようとし
さらに傍観者は、
高みの見物をしながら
この二人の調整役として
の自分の役割を得ながら、
表面的な関係の中で徒党を組むのですね。
では
自立した人間関係とは・・・
自立した人間にとって
おそよ
グループで
つるむ・・・・ということは
有り得ません。
ベタベタとした関係も
ありません。
友人は
友人として自分と対等に対峙する
確立された人であり
時には合意、共感や
ささやかなる一体感がありますが
総体的には
たまに会って話をして楽しい・・・というくらいの
人間関係です。
常に
自分は自分で
満たされていますから
いつもひとりでも
どうってこともありませんし
まあ
ひとりでも
楽しいし
二人でも
楽し・・・ってな具合です。
私も親友というべき
長い付き合いの友人たちがいますが
もう
何年もあっていません。
しかし
その人たちなら
生涯、信頼し続けられる友人たちで
でも
それぞれが元気にしていりゃー、
ここ何年も
別に手紙もメールも
なーんも音沙汰ないけど
あったらたちまち
打ち解けられる相手だと思います。
人間関係の中で得られるのは
お互いの人間が持っている
その人独特の世界観です。
その世界観がとても新鮮です。
それは
自分とはまるで違う世界を持っている相手の話す
言葉や内容や
感情の動向が
どんどん自分に刺激を与えてくれ
さらに脳が未知へと誘われます。
それは
楽しいですねえ~!
ところが
人間関係が依存によって維持されている
自分の欠損した愛情の代替えを求めたり
支配欲や征服欲の充足のために相手を心理支配したり
エゴとエゴとが結びつくような
人間関係は
常に心理ゲームが行なわれ
親密そうに繋がりながらも
ベクトルは
破たんへと向いています。
そこには
お互いが違和であることや
自分の想定外にある相手の行動を
大いに楽しみ
刺激され、触発されるという
発展的な関係は存在しません。
なんて
つまらない関係か・・・と
思います。
夫婦も
親子も
友人も
そのほかの人間関係も
それぞれが自立してはじめて
善き関係になってゆきます。
そして
それを創りだすのは
自分自身です。
まさに
人間関係も
創造そのものなのですね。

それぞれが
それそれで
楽しいね!
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と「小さな学校」DVDをギフトいたします。
〇 映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
〇 奥友志津子さんの漫画が始まりましたので
ご紹介いたします。
奥友志津子・座標空間より
『怒りんぼモンスターが出現する!』
・怒りはどこからくるのでしょうか・・・???
・怒りをガマンしていると
どうなっていくのでしょうか・・???
・人間はなぜ怒るのでしょうか・・???
楽しみです。
さて
昨日に続いて
不毛な人間関係は捨てちゃえ・・・のその2として
かなり衝撃的なことをいえば、
人間は二人以上が集まると
どうしてもそこに
パワーバランスの関係がおきてしまいす。
つまり
人間関係とは”力学”なんですね。
力関係で
それぞれの位置が
決まるのです。
だから
仲良しグループなどというものも
表面は別として
その内実は
・迫害者のいちにいる者
・被害者のいちにいる者
・傍観者の位置にいる者などで
それぞれの役割分担で
構成され、
それは底辺にいつもフラストレーションが漂い
常に即発的な衝突を孕みながら
かろうじて
表面は
仲良しグループを維持しているというのが
おおかただと
思います。
そこの根底には、必ず共依存があり
お互いが心底信頼し合っているとは
到底思えません。
世の中に流布されている
”仲良し”っていったい
なんなんでしょうかね~・・・???
まあ
仲良くすることが
よほど難しいからこそ
”仲良し幻想”が、蔓延したのでしょうが・・・。
感情の起伏が激しく、
迫害者的な人間は常に
自分の支配下に置ける、
被害者的人間に近づき
また被害者的人間は、
自分が主体的に生き、その
責任を取ることから
免れるために
迫害者の傘下にはいることで
自己防衛しようとし
さらに傍観者は、
高みの見物をしながら
この二人の調整役として
の自分の役割を得ながら、
表面的な関係の中で徒党を組むのですね。
では
自立した人間関係とは・・・
自立した人間にとって
おそよ
グループで
つるむ・・・・ということは
有り得ません。
ベタベタとした関係も
ありません。
友人は
友人として自分と対等に対峙する
確立された人であり
時には合意、共感や
ささやかなる一体感がありますが
総体的には
たまに会って話をして楽しい・・・というくらいの
人間関係です。
常に
自分は自分で
満たされていますから
いつもひとりでも
どうってこともありませんし
まあ
ひとりでも
楽しいし
二人でも
楽し・・・ってな具合です。
私も親友というべき
長い付き合いの友人たちがいますが
もう
何年もあっていません。
しかし
その人たちなら
生涯、信頼し続けられる友人たちで
でも
それぞれが元気にしていりゃー、
ここ何年も
別に手紙もメールも
なーんも音沙汰ないけど
あったらたちまち
打ち解けられる相手だと思います。
人間関係の中で得られるのは
お互いの人間が持っている
その人独特の世界観です。
その世界観がとても新鮮です。
それは
自分とはまるで違う世界を持っている相手の話す
言葉や内容や
感情の動向が
どんどん自分に刺激を与えてくれ
さらに脳が未知へと誘われます。
それは
楽しいですねえ~!
ところが
人間関係が依存によって維持されている
自分の欠損した愛情の代替えを求めたり
支配欲や征服欲の充足のために相手を心理支配したり
エゴとエゴとが結びつくような
人間関係は
常に心理ゲームが行なわれ
親密そうに繋がりながらも
ベクトルは
破たんへと向いています。
そこには
お互いが違和であることや
自分の想定外にある相手の行動を
大いに楽しみ
刺激され、触発されるという
発展的な関係は存在しません。
なんて
つまらない関係か・・・と
思います。
夫婦も
親子も
友人も
そのほかの人間関係も
それぞれが自立してはじめて
善き関係になってゆきます。
そして
それを創りだすのは
自分自身です。
まさに
人間関係も
創造そのものなのですね。

それぞれが
それそれで
楽しいね!
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『怒りんぼモンスターが出現する!』
・怒りはどこからくるのでしょうか・・・???
・怒りをガマンしていると
どうなっていくのでしょうか・・???
・人間はなぜ怒るのでしょうか・・???
楽しみです。
by denshinbashira
| 2013-08-05 14:29
| 伝心柱マガジン
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