人生はいつでもやり直しができる。本当のことを言われると怒り出す! |
ほんとうのことを言われたら
自我が抵抗したり
怒りだすのかについては、
もうー格好のいい例がありましたね~!
それは吉本の芸人”品川庄司”の品川君です。
彼は自我がイメージした
自分がなりたい自己イメージの
芸人像を
次々と創りあげていきました。
しかし
それは彼のコンプレックスや自信のなさが裏返った優越感を
満たそうとするもので
彼が願っていた、
芸人として成功し
さらに
文化人としての確かな地位を獲得し、
大衆に受け入れられ
好かれて行く…ということを
見事に裏切るものでした。
それを痛烈に指摘したのが
有吉君の
”オシャベリ、クソ野郎”というもので
この一言は、
大衆も、また仲間の芸人も
おおいに納得し、
日ごろの品川君にたいする溜飲を
下げるものでした。
それは
品川君自身の本意とは
まったく違う反応の表れであり、
しかし
品川君の”本質”を言い当てているものでしたからね~。
品川君はこのことに頭にきて
つまり、
ほんとうのことを言われ
”有吉被害者の会”というもので
反撃しようとしましたが、
まあ
それも、負け犬の遠吠えのようなもので
以来品川君はみごとに撃沈していきました。
その撃沈した品川君をさらにネタにして
暴いたのが
東野幸治兄さんの
”どうした品川”で
東野君は
偉そうにふるまう品川君の本質が
いかに
自己ディスカウントと劣等感にまみれているかを
すべて
暴いてしまいました。
本を出したり
映画を撮ったり
料理がはやりだすと
そういう料理本を出したり
時流の傾向をいち早く読み取っては
薄っぺらに
上澄だけを纏ってカッコつけ
さも
そのように自己を偽装シテしまう品川君の軽薄さの
本質を
鋭く突いてみせました。
決定的だったのが
ガンダム通として登場したのに
それが付け焼刃だったことが
バレてしまいました。
お前、世の中も、芸人道の本質も
なにも見えていないじゃないか・・・と
愛の鞭で叩きましたね~!
でもそのおかげで
撃沈していた品川君に
すこし光がさしました。
つまり
品川君がいくら自己偽装し
自己装飾しても
他人の目には、
或いは
大衆の目には
ちゃーんとその人の本質が見える・・と言うことです。
だから
大勢の人間が有吉君の言葉に共感し
東野さんの指摘に
大いに納得したのです。
品川君はほんとうに完膚なきまでに
暴かれましたが
しかし
彼が
賢いいひとなら、
ここからがまさに
彼が彼たる本番の始まりです。
でもね~、
私たちは品川君を笑ってばかりはいられません。
なぜなら
人間は、誰もが品川君のように
自分を偽装したり
装飾したりして生きているからです。
たとえば
人間が生まれ落ちたとき、
その人間は
大きな丸、それも
一点の曇りもない〇としましょう。
その丸のまま
この世にデビューします。
しかし
人間が人間社会の中で生きてゆくことは
その丸が
次第にゆがんだり
汚れがついてきたりします。
自我というのは
自分以外の外部世界との関係で
発生、成立してくる
”自分とは〇〇だ”・・・という意識および無意識です。
その生命体が生き延びてゆくための
対外的なコントロールタワーとでも言いましょうか。
私は自我とは
その生命体の自己管理セキュリティーシステムではないかと
思っています。
だから
自我は、
自分が存在するその生育環境で
自分をどう有らしめたら
生き延びていけるかを
無意識に
本能的に
脳と体のセンサーで
学び取り
それに合わせて
自分をそのように”仕立てて”いきます。
そういう風に自分を偽装し
装飾していくのですね。
それを言語で意識化したものが
自覚される自分です。
品川君の場合は
作家の自分や
映画監督や
料理人の自分こそが
自分の理想のイメージで
自分をそういう姿にしたい・・・と
自我が思い込んでいるのですね。
そういう風に自分をしたてて
それが成功すると
自我が安心するとでもいいましょうかね~。
また
言語化されずに
そのまま漠然とした塊で
未分化に無意識層で蓄積されたものが
自覚されない
自意識です。
これは対人関係の中で
起きてくる
他人に対立する
或いは
他人に対抗する
自分の意識とそれに基づく感情です。
この自意識は
自分が危機と感じたときに
執拗に自分を立て直そうとします。
つまり、相手や外部と対立して
自分を防衛しようとするもので、
私は・・・わたしは・・・と
反論し、言い訳をし
我を張りたくなる意識です。
この我を張る…ということの裏には
自分がつぶされそうになる・・・という
危機感があるから
そうなるのです。
そして危機に対しては
ワニとネズミの脳が反射的に反応してしまいますから
逆に前頭葉の理性がストップしてしまい
本人は感情だらけの意固地になってしまいます。…困ったね~!
さらに自意識のように
表面にしゃしゃり出てこれない自分、
しかし無意識の底に
息をひそめて生きているもう一人の自分がいます。
つまり
自分が危険と感じた自分の行為、行動、思い、で
決して表舞台に出してはいけないと
思い込んでしまった自分の本心です。
それは禁止令がかかり
無意識の底のほうへと抑圧され
ふたをしてしまい
自分のなかで、
なかったことにされてしまいます。
そしてこの封印された欲求の意識というか
生きるエネルギーは
ほとんど意識には上らず
人によっては
そういう自分の欲求が
あることすらも
知らない・・・という
潜在的な意識です。
たとえば自分が怒りを発すると
もっとヤバいことになる・・と思って
自分の怒りの感情を抑圧してしまうと、
それは何か大きな挫折や、危機によって
内面を掘り下げない限り
自分ではもう、まったく気づくことすら
できません。
…ちょうど今掲載中の
奥友さんの漫画がそうですね。
そのほか
自分の本心を言ったら
怒られたとか
自分は親のためにしたのに逆ギレされたとか
或いは、自分の無邪気な行為が
親の怒りをかったとか・・・・まあ
いろいろ
子供の自分が深く傷ついてしまったのですね。
それらはそのことに執心したら
自分が生きてゆけないので
深層深く処理されていますが
それがインナーチャイルドです。
インナーチャイルドは
心の奥に封印されたがゆえに
或いは正当なる市民権を持たず
認知もされていないために
屈折した感情となって
深層心理から
その人間を操作してしますます。
たとえば品川君の場合
劣等感が裏返って
偉そうにいきんだり・・・まさか
品川君は自分が劣等感まみれだなんて
思いもしなかったでしょうに・・・でも
そこには
確実に何らかでディスカウントされた子供時代の
彼がいます。
さらにさまざまな
コンプレックスが裏返って
さも
才能があるように自分をしたてたり
常に時流にのり、
自分をその上位に位置づけたり、を
なんの疑問も持たずに
やってしまいましたね。
更に彼は自分が抑圧しふたをしたのと同じような
性格や傾向を持つ人間と
トラぶったり
侮蔑したりしたと
思います。
その点では
庄司君が
彼のシャドーとして
彼のインナーチャイルドの代役を
はたしていると思います。
品川君は気づいていないけれど
実は庄司君という
彼のま反対のパーソナリティを持っている人間こそ
品川君が自己抑圧して見ないふりをしている
彼のインナーチャイルドの代役です。
庄司君がいてはじめて
彼は心理的バランスが取れているのですね。
話をインナーチャイルドに戻すと、
心の深層に押し込められ
ふたをされたインナーチャイルドは
苦しくて、苦しくて
でも、そのままでは
絶対に受け入れられないので
屈折した形の感情となって
その人間を深層からコントロールしてしまいます。
嫉妬の感情や
相手をどうしても否定したくなる気持ちや
攻撃的な衝動
そしてどうしても他者の上位にたちたい自分などなど
自分でもどうにもならないネガティヴな感情として
市民権を得ようとするのですね。
つまり
その人間の行為や行動の方向を決定していくのは
それらのベースイメージといいますか、
幼児期や生育期のローカルな環境で
(私はそれを前半の人生と呼んでいますが。)
その人間が経験しながら
学び取ったそのローカルな人間たちの模範的な人間像や
そこで優先される知識や思い込みであり、
それは残念なことに
さまざまに
自我が汚れたり偏ったものを
模範としてしまい、
それがそのまま後半の人生でも通用すると思い込んで
そう生きてしまうのです。
だから品川君の場合は
東野君が指摘した、数々の
ちんけなな品川君の姿
ローカルな環境で
彼が獲得してしまった
彼にとっての
模範的な、或いは理想的な自分像を
自分のあるべき姿だとして
自我が思い込んでしまい、
彼はそのままを
後半の人生で
実現しようとして
墜落したのですね。
ここでいう
後半の人生とは
親から独立し
広い世間、社会で生きる人生です。
つまり幼児期および育成期の
品川君という生命体は、
最も自然な姿である自分を否定され
或いはディスカウントされ
頭がいい人間でなければ受けいれられない
さらに
機転がきく人間であれ
才能のある人間であれ
カッコいい人間であれ
世の中で成功していく人間であれ・・・という
親ないしそれに類する人間たちから
バトンされ、期待されてしまったのだと
思います。
そしてそこには
階級性や
世間的序列があり、
つまり
そういう人間像なら受けいられるが
そうでない人間は
受けいられらない・・・という辛辣なものを
彼自身が味わい
それが彼の劣等感となり
自分の偽装や装飾が功を為すと
かれの優越感が満たされる・・という
心理構造を
創っていったのだと
思います。
そして
彼の無意識の深層に
本来の自分を封印したのだと
思います。
だから
品川君の自我は
常に
そのままの自分であることを
否定し
世の中や
他人に受けいれらそうな自分を偽装し、
装飾して、とうとう
あの
おしゃべりクソ野郎まで行ってしまったのでしょうね。
しかし
あくまでもそれは
品川君の幼児期や生育期という
ローカルな環境でのみ通用するものであるのに
それがそのまま
後半の広い世間や社会でも通用すると
品川君が
思い込んでしまったものであります。
しかし、そういう自己偽装や装飾が
広い世間、社会でも
通用するかというと
世の中はそうは甘くありませんし、
むしろその逆で
広い社会では、
最後には本質的なことが問われます。
つまり
”ほんもの”でなければ
通用しないんです。
偽物はいずれ駆逐されていきます。
では
本物とは、
本質的な事とはなにかというと
それが無理がなく
ねじれやゆがみがなく
ストレスが少なく
エネルギーがスムーズに流れる
自然な状態であるものです。
ごく安定した自分です。
もちろん
人間の欲望が蠢く社会ですから
表面的に、一時的には
その欲望を満たす
汚れやねじれやストレスだらけもものも
闊歩します・・・が
所詮それは
消費されて
滅んでいきます。
一見すると
世間の表面では
そういうものばかりが
次から次からと
あふれ出てきますが
長い時間の中では
淘汰されていきます。
つまり
人間の生命体は常に、前へ進むための
善きことへと
向いているのです。
このブログを読んでくださる皆様も
そういう
自然でスムーズな自分を
求めているでしょ、
無意識のうちに・・・。
だからこそ
品川君に対して
多くの人間が、
不快感を持ったり
忌避感をもったりして
それを見事に
有吉君が言い当てて
品川君は撃沈しました。
つまり
品川君の自我の偽装した世界は
見事に
見破られ、撃沈したのですが、
その裏には
生まれたときの
最初の丸のように
何事も欠けていない自分が
世の中に適応するために
ドンドン自分を限定し
偏らせて
自分を囲い込んでしまったことがあります。
その”限定した自分”を
自分としたのが
自我の意識でです。
だから
自我の意識が受け入れていない自分を
他者から
指摘されたり言われたりすると
自分がそれを受け入れられないから
傷つき
怒りが湧くのです。
自我の危機意識では
そういう自分でいけない・・・と
思い込んでいるからです。
でもね~。
この
自分が受け入れられない自分の中にこそ
本当の自分があります。
自分の自我が気づいていない
自分らしい自分です。
それはそういう自分だと
そのローカルな環境では
受け入れてもらえないと
自分が抑圧し
封印した自分です。
つまり
インナーチャイルドというわけです。
インナーチャイルドは
ローカルな環境で深傷つき
そうあってはならない・・という烙印を押された
もうひとり自分です。
品川君の場合は
頭が悪い自分
機転がきかない自分
才能のない自分
カッコ悪い自分
世の中で成功しない自分
などなどでしょう。
しかしね~
人間は
遺伝子は別として
もともと
この世に対しては
なにも持たずに
生まれてくるのです。
だから
誰もが初めは
頭も悪くて
機転もきかず
才能なんかなく
カッコ悪く
成功などなーんも知らない…自分からの
出発なんですよ。
それがそのままの自分です。
愛すべき自分です。
なのに
親によっては
最初から
子供の頭がいいことを願い
機転や才気のあることを望み
容姿がかっこいいとか
可愛いとか
成功してほしいとか
も
何とも自分たちの
都合のいいように
子供に
望みます。
言っておきますが
脳の機能的な偏りがあるとか
ある種、異相の
脳システムを持って生まれたとかで
時に
すごい才能を発揮するひとも
いることはいますが
多くの人間は
その人生をコツコツと努力しながら
頭がよくなり
機転や才気が活発になり
内面の働きがその人間をカッコよくし
そして
その人らしい幸福(成功)を手に入れてゆくのです。
最初から
備わっている人間なんて
いません。
天才とか呼ばれる人たちだって
そこには
他人にははかり知れない苦労があると
思います。
そしてもっとも大切なことは
有吉君と東野君が暴いてくれた
品川君の問題点を
品川君自身が受け入れ
さらに
彼が抑圧している
傷を負い
ディスカウントとコンプレックスの塊である
自分を(インナーチャイルド)を
それこそ
愛情をもって受け入れた時
品川君の
総体が作動し始めます。
いうなれば
品川君が
自分は劣等感まみれのクソ野郎であると気づき
さらに
庄司君という人間の価値に
気がついたときです。
つまり
もともとあった品川君の自然な自分と
そのディスカウントとコンプレックスを偽装するために
いろいろ努力した自分とが
合体してゆき
どちらともが
品川君の能力として
彼の中で起動し始めます。
自然な自分=もともと初めからあった自分の能力と
ディスカウントとコンプレックスを克服するために
彼が前半の人生で努力し、後天的に身に着けた能力が
彼の能力の総体として
人生を牽引してゆくのです。
品川君が彼のインナーチャイルドを救い出し
認知したら、もう
彼のチャイルドが活躍しだし
彼がほしい才能も直感も
ドンドン手に入ってくるでしょう。
自分の自我が囲い込んだ
がちがちの自意識の世界から
もっとしなやかで
自然でおおらかな
”ぜんぶの自分”で生きるためには
もし
他人の発する言葉に
或いは指摘されたことばに
怒りが湧いたり
抵抗感があるときは
そのまま
傷ついたり
怒ったりしないで
なぜ自分がそのように反応するのかと
冷静になり
あれ、もしかしたら
何かあるぞ…と
自分の内面を
よーく覗いてみると
きっと生きるために必要な
大きなヒントや
宝物が
あると
思いますよ!
※追、品川君の場合もそうですが、
人生のつまづきや失敗にはいつも何らかの形で
インナーチャイルドが関係していると思われます。

ああ~たくさん書いたので
つかれたあ~!!!
〇 伝心柱ライブラリー
映画「流・ながれ」と「小さな学校」DVDをギフトいたします。
〇 映画「流・ながれ」と
映画「小さな学校」のDVDを
このブログを読んでくださっている方で
ご覧になりたい方にギフトいたします。
〇 奥友志津子さんの漫画が始まりましたので
ご紹介いたします。
奥友志津子・座標空間より
『怒りんぼモンスターが出現する!』
・怒りはどこからくるのでしょうか・・・???
・怒りをガマンしていると
どうなっていくのでしょうか・・???
・人間はなぜ怒るのでしょうか・・???
楽しみです。
きれいだなぁと思い拝見しております。
もっと自分の感情に向き合って
落ち着いて笑いながら話せる自分をイメージして
生きていきます。
同じ一日になるならば、家庭も仕事も明るく楽しくな方がずっといい!
一歩一歩歩まなきゃもったいない!
笑ってしまうのは、子供たちにいろいろ言えないよな~ 自分は反対のことやっていたし。
とにかく、最近は嫌いな相手にいかにやんわり言えるか?を実践中です。
確かに、嫌いな相手の中に自分の姿もあるならば
そういう人にならない!ように気をつけて生きていこうとも思います。
これからでもやっていきます。
少しずつ。
18歳で親元を離れ、何もできない自分に気付き猛烈に凹みました。
そこからは失敗と苦悩の連続です。何十年もたった今でも失敗はたくさんで勉強することがいっぱいですが、自分の足で充実した今を生きているように思います。
息子たちにも、どんな姿の自分でも認め、自分の人生を生きてほしいと常々話しますが、理解できているか・・・不安になります。
けれど、自分が経験しながら自身でつかみ取っていくものなのかな~と、呑気に思うところもあります。
人生、どこからでもやり直しできますしね。
いつも、ここで心のゆとりや励ましをいただいて
ホッと一息ついています。
途中で、この気持ちは自分の中にいる「品川くん」に対するものだと感じました。そっと頭を撫でて安心させてあげたいです。また、誰かの中に見つけた時に、そうしてあげられるようになりたいです。

