人生を解決する・・・ その2 |
最もいけなかったことは
当時者どうしの話し合いが
徹底されなかったことです。
まあ、若い二人が
あまりにも未熟で幼いために
どうしたらいいのかわからなかったこともあるでしょう。
しかし
自分たちの人生を左右することに対して
あまりにも
安易でしたね。
さらに困ったことは
双方の関係者たちまでが
その問題へと介入し
それがあなたへの強力な圧力を
かけました。
だって彼らにとって
いちばんいいのは
あなたが責任をとることでしょう・・・・。
そこには
若い二人の”こころ”に対する
深い配慮が欠け
ひたすら事態を
丸く収めることばかりに
もっていかれました。
その結果
あなたは、自分をあきらめ
自分の本心にふたをして
自分が責任を取るというかたちで
妥協してしまいましたね。
その結果
あなたが得たのは
深い絶望感と
人間不信と
人生への希望を失うということでした。
当然の事
それは
自分に対する怒りや絶望とともに
その原因となった相手への怒りや憎しみへと
増幅していきます。
なんて
不毛なことなんでしょうか。
でも
もう
その過去を清算する時が
来ています。
さて、約束通り
解決するためには
何が必要か・・・?を書きます。
昨日も書きましたが
苦しみの原因となる
問題やトラブルというのは
相手と自分の
”人間関係”の中で
起きているのです。
だから、
自分だけが救われる…というのでは
解決はしないのです。
自分も
相手も
救われることを
考えなければ
だめなのです。
自分も相手も救われるには
何を
どのようにしたらいいか・・・ということに
向き合わないと
だめなのですね。
そのためには
感情を整理し
理性の目
そして
論理の目を
そこに向ける必要があります。
こういう場合は
多くの人は、
自分だけが救われることを
考えます。
その対極には、
自分をこのような窮地に追い込んだ相手に対する
怒りや
憎しみや
恨み、そして
人間に対する
恐怖や不安が
募り
ひたすら相手より
自分を救うことにばかり
こころがいってしまいます。
自分の心の傷ばかりに
目がいってしまうのです。
そういう風に心が行ってしまっている限り
ネガティヴな
感情はおさまりません。
収まるばかりが
むしろ
増幅されて
怒りや憎しみをさらに
恨みを
育ててしまいます。
しかし
問題は
自分と相手との”関係”の中で
起きているのです。
だから
その関係を
解決すればいいのです。
人によっては
相手を切り捨てて
忘れようとしますが
それは一番ダメな方法で
なにひとつ解決しないどころか
その人間の人間観が
人間不信と疑心暗鬼に
汚れてしまい
そのことは
その人間のすべての人間関係をゆがませ
やがては
自分へとかえってきます。
そうではなく
解決し、
すべてと平地に戻す
或いは
リセットしなおして
まえへ進む。
そのためには
極めて
冷徹に
客観的に分析し
問題の種
・何がいちばん問題なのか・・・?
・どこで相手との違和や、すれ違いがおきたか、・・・?
・それに対して、自分は本来どうしたかったのか・・・?
・また同じように相手はどうしたかったのでしょう・・?
・相手の中のいちばんの問題点はなにか・・・?
・同時に自分の中のいちばんの問題点はなにか・・・?
など
相手と自分を
冷静に
冷徹に
厳しい目で
まる裸にして
分析する必要が
あります。
自分と相手を
自分の感情の中から取り出して
よーくよーく冷静に
見てみる必要があるのです。
その時とても重要なポイントは
◎ 自分を守ろうとしない。
このことは、
理解するのがとても難しいのですが、
自分を守ろうとすると、
そこには必然的に
ゆがみや偏りが生じてしまいます。
そして
感情というのは
どうしても
その歪みや偏りにのっかろうとします。
人間は
誰でも自分が一番可愛いのです。
そして
自分は悪くない・・・と
思いたいのです。
だから
なおさら自分を守ろうとしてしまいます。
多くの人々は
そういう心理にしがみついてしまいます。
しかし
そこには、
ひとつの心理トリックがあるのですよ。
つまり
日ごろから、
自分を信頼せず、
またいつも
自分を責めている人ほど、
瞬間的に、
反射的に
こころの中に
自分を守ろうと
砦を築くのですよ。
なかでも
深層心理での自分が
いつも自分を信頼せず
またいつも
自分を責めている人は
そういう自分にすら
気が付いていませんから
常に
自分は悪くない・・・という強烈な
自意識をもっています。
そういう人は
自分の内面すら見つめませんから、
頑固に意固地に
自分の正当性に
しがみつきます。
なぜそうなるかというとね、
それらの人は
これいじょう、
自分が責められないようにと
いつも他人に対しての警戒心がはたらき、
こころが瞬間的に
臨戦態勢になるのです。
だから、そういう人は
なかなか物事を客観的にみることができません。
また
相手の心を理解することもできず
ひたすら問題を
感情のレベルでのみ扱おうとします。
つまり残念なことに
自分の感情の枠のなかでしか
事態を理解できないため、
心理的な消耗と怒りや憎しみや不安の
出口のない迷路の中を
堂々巡りばかりしてしまいます。
立場によっては
表面的に
自分を我慢させていながら
内面には憤懣が立ち込めては
その人間の感情を襲い
とても苦しい葛藤を
抱えてしまいます。
だから
ほんとに
腹を据えて
自分の感情に言い聞かせるように説得して
自分をまもろうという感情を
ひとまず横に置いて
ことをよーく見てみるのです。
事態の推移をよーく分析するのです。
問題とはおそらくすべての問題は
双方に非があるから
起きるのです。
いや自分はちがう
相手が悪いんだ・・・と思いたい衝動が
おきるでしょう
しかし
それを
シッとはねのけて
自分と相手を
公平に
見てみましょう。
それには精神力がいります。
そして
良くこんな人がいます。
私は苦しいけど
相手は
くるしくないんじゃない・・・。
だって相手は苦しそうには見えないもの・・。
言っておきますが
自分が苦しいのとおなじ分量
相手も苦しいのです。
なぜなら
問題が解決しない限り
自分も相手も
その苦しさからは
解放されるはずがないのです。
自分をどうごまかしても
解決しない限りは
脳の中にしこってしまっているはずなんですよ。
だからこそ
自分も
相手も救い出せるように
考える必要があるのです。
もしそれが解決されないで
放置された場合
自分のなかにも
相手のなかにも
人間不信と
自己不信が
残ってしまいます。
その不信感は
のちのちずーっとその人の人間観を曇らせ
自分への信頼をうしなったまま
人生へ影をさしつづけると
おもいますよ。
自分も相手も
両方を
救い出すには
どうしたら
いいか
そのために
自分の自我を
制し
感情をなだめ
どうぞ
自分と相手との和解の接点を
捜してください。
まずは
捜すだけでいいです。
ああ、自分もこんなに傷ついているけれど
もしかしたら
相手も深く傷を負ったかもしれないなあ~…ということが
受け入れれらたら
もう
半分は
解決したと同じです。
あとの半分は
それを
どういう風に
行動に移すか・・・ですね。
そのことはまた
次回に書きましょう。

夏の終わりに咲く
上品な花?
がくかしら
すてきね~。

