人生を解決する・・・その6 |
自分をこころから愛しはじめたら
世の中のおおよそのことが
解決していきます。
自分を好きではない人間が
自分をおろそかにし
その反動で
他人に依存し
しかし
依存することの裏には
常に
その人間が自分の思いどおりに行動するかの
猜疑心で疑いながら・・・・
依存しています。
だから
相手が自分の思い通りならなかったり
想定外のことをしてしまうと
当然そこに
トラブルがおきてしまうのです。
そもそも自分のしたことは
すべて自分にかえってくるもので、
それはごく当たり前のことなのですが
人間や社会を幻想化している人間は
そうは思わない・・・のですね。
自分の行為を厳密に考査する・・ということが
幻想で緩和されて(ぼかされ、ごまかされて)
自分が依存していることや
甘えていることが
すっぽりと抜け落ちて
問題をすり替えていきます。
依存や甘えがない人間は
すべての原因が自分にある・・ということを
自覚していますから、
他人などに問題をすり替えることなく、
自分を基本に考察し
原因をつきとめていきます。
まあ
そういうことができる人間は
そもそもが
人間と人間の
”関係”によって
事象が生じている・・といことも
理解できているでしょうから
相手や社会を
猜疑心でこねくり回す不毛を
知っているということですね。
さて
いかに
自分を好きになるということが
いかに自分を愛し
自分の全体でいきるということが
難しいかということ。
中でも前回お約束したように
自分の顔や容姿を
愛し、好きになる・・ということの
大切さを
今日は書きたいと思います。
特に女性のためにね・・・・書きましょう。
依然私は明治の女性たちのことを
書いたことがあります。
女性の人権が今のように認められていない時代に
女性たちの戦いがありました。
その戦いの中で、
平塚らいてうは、
初めての女性専門誌『青鞜』の巻頭に
『女性は太陽である・・』と言う詩を書き
与謝野晶子は『そぞろごと』いう詩の中で
”山が動く”という言葉から始まる詩を
書きました。
らいてうは
女性という存在は
自ら光とエネルギーを放つ
”太陽”のような存在であった・・・と言い放っています。
そして
同じく『青鞜』の発刊に向けて
与謝野晶子は
今こそ、女性の力が放たれるときがきたことを祝い
「山が動く」という
力強い女性讃歌の詩をよせました。
そこにあるのは
顔や容姿などというものを
超越してある
女性の美しさであり
女性の生命力のたくましさです。
しかしどうでしょうか、
現代の女性たちは
明治の女性たちのように
女性の本質の中を
生きようとしていますか・・・?
顔や容姿に捉われるという
極めて身勝手な
・男性の美意識の願望にもとづいた
・男性の女性幻想の文化の圧力のなかに
いませんか・・?
顔や容姿にコンプレックスを抱いている
たくさんの女性
むしろ現代は
そういう女性ばかりになってしまった・・と
私は嘆くのですがねえ・・・・!?
最近の美白化粧品をつけて
皮膚がまだらになった・・なんていうのも
どうしてそんなものつけるのさ・・・って
思いますよ。
まあそれが女心というものなら
そういう美白で自分が美しくなる・・と勘違いしたほうにも
問題がありますね。
実をいうと
私はほとんど
化粧をしません。
まあ
一本の口紅と
基礎化粧品だけは持っていますが
その口紅も
よほど気の向いた時につけておしゃれをするか、
基礎化粧品の乳液や化粧水も
また
顔を石鹸で洗って皮膚が
パンパンに張ってしまった時と
夜お風呂に入って
めったに石鹸で顔を洗わないのですが
それでも、週一くらい
石鹸で顔を洗った後につけるナイトクリームの
三つです。
でも
あまりつかわないので
ずいぶん長持ちしてますけど・・・。
なぜ化粧をしないのか・・というと
ひとつはめんどくさいからで
それに顔になにかを塗る・・ということが
気持ちわるいのです。
そして
最も
大きなことは
人間の
◎ 素顔の美しさを
知っているからです。
若いころ8年間、
中学、高校の教師をやりました。
その時の
生徒たちの顔の美しさに
何度も
こころを打たれたからです。
13~18歳の人間の
思春期であるその時期が
人間がいちばん美しい
透明感に満ちた時であることは確かですが
それでも
人間の顔の
皮膚の美しさや
唇の肉の紅さが
美しいのはともかく
人間が集中した顔
真剣な顔
そして
内部からあふれる感情のみちた時の
表情の美しさ。
それは
喜びの笑顔も
怒りのひきつった顔も
落胆した悲しい顔も
こころが歪んで苦しそうな顔も
すべてが
美しかったです。
そしてそれは
若者だけでなく
成人した人間も
老いた人間も
そのままが、ほんとうに
美しいです。
おそらく、
人間を写し続けているカメラマンさんなんかは
私の言っていることが
よーくわかると思いますよ・・・。
ああ
人間とは
こんなに美しいものかと
もう
思い知らされました。
さらにカウンセリングをしているとき
どんな年齢の人であっても
その人の顔が
だんだん自分を取り戻してゆくとき
そして、
自分を肯定しだしたときの顔は
もう
とても素敵に輝いていきます。
教室の教壇から見わたす生徒の顔の輝きも
カウンセリングで
相対する一人の顔も
その内部から
さまざまな感情が
表情を放ち
くるくると目が輝きだしたとき
人間はなんて
美しいのでしょう。
そして今
わたしの顔もドンドン皺だらけに
なっていっていますが
その皺だらけの顔こそ
私の人生の証であり
勲章であり
老いること充実の中に
私は喜びをもっています。
※老いることは、さまざまな
人間の確執や桎梏から解き放たれて
穏やかなる日々の獲得です。
人間の内面はすべて
顔に現れます。
そして
からだ=姿には
その人間のすぎ越してきた日々の苦労が
にじみ出てきます。
顔も
姿も
すべてが
その人間が生きている証を
表出するのですよ。
いくら化粧をしても
なかには
整形までして
男性文化に媚ようとする女性たちもいますね・・・しかし
まあ
いくらそういうこともをしても
その人間の内面は
隠せません。
すべてが
あらわれるのですよ。
生命はすべて
自分が生きるために
適応しながら生きてゆきますから
その適応する・・ということで
その生命の姿が決まってくるのです。
適応の中身が
その人間の顔や姿を決定してゆくのであり
だからこそ
人間の顔や体は
さまざまに
複雑な様相になってゆくのです。
歪んだり、屈折したりとしながら
その人の内面秩序が
顔とからだに現れてきます。
ひとりひとりが 違う
顔と体の表情を創っていきます。
だからね、
逆に
整っている・・と言う顔や
からだは
もしかしたら
中身があまりないかもしれませんよ・・・・たぶんね!
そんな中で
今日の本題・・・である顔と容姿が
男性文化に適応しようとしたら
男性のもっている
女性幻想の中をいきるしかありませんね。
しかし
愚かな女性は
男性のそういう女性幻想が
男性の表面的な欲情を刺激するかもしれないが
しかし
男性の本質は
女性の生命力や内面の美しさを
求めている・・ということに
思いいたりません。
まあ
言い切ってしまえば
女性も男性も
表面的なことしか理解できない人間が
そうなるのですね。
私は女性に化粧をするな・・・とか
おしゃれをするな・・とか・・・と
言っているのでは
ありませんよ。
どうぞ化粧もおしゃれも
楽しんでください。
しかし
人間はそういう外面的なことを
見抜く力を持っているということを
お伝えしたいのです。
人間は特に
自分にとって重要だと思える人間に対して
脳と体のセンサーをフル活動させて
相手の内容を
相手の中にある情報を
見抜こうとします。
だから
会った時
瞬間的に
漠然としてはいても
自分が好きな人や
嫌いな人を
感じてしまうでしょ。
さらに
関係が深くなると
自分が安心するために
或いは
納得するために
その人間の内部を掴もうと
するでしょ・・・。
その時
顔とか容姿とかで
そういうことを
決める人は
いない・・とは言えませんが、
確かにそういう
どうしようもない人間も
(つまり頭脳がつかえていない人間も)
いるでしょう・・けど
おそらく多くの人は
自分の脳とからだのセンサーを駆使して
相手の中をみきわめようとするでしょう。
はっきりとしなくても
なんとなくでも・・・ね。
人間と人間が相対した時
自分のありのままを愛し
自分を好きな人間は、
感情のストレートさが、
その爽快さが、
顔に現れ
相手にまっすぐ向く目が
とても透明です。
威圧感がない。
しかし
依存や幻想に捉われている人間は、
自分を取り繕うとするその
感情のこだわりや
コンプレックスの張り付いた自我の
汚れや毒・・・(わーすごいきつい言葉だねえ~・・・笑)が
どうしても
顔に露われてきます。
そしてねえ~
もっと本質的なことをいいますと
男性の幻想や
社会の”通俗的”幻想に
捉われて
自分の顔や容姿にとらわれている人間が
そういう自分をアピールし続けている他者や社会こそ
実は
実体のない
幻想である・・ということです。
それはいわば
蜃気楼のようなもので
その時の社会の都合や歪みを
写しだしている幻想であり
人間のフラストレーションの消費としての
世相文化、の価値であり
いわば消費されていく
幻想です。
日本のように
ガリガリに痩せた女性がスタイルがいいというのと
中国やヨーロッパのように
体格がよく
ボリュームのある女性がのほうがいいとされる国もあり
アフリカのような国では
”ハリセンボン”の
春菜ちゃんのような顔や容姿が
好まれる・・・・というような
いわば、
その国の
その時代の
その時々の
世相や文化が生み出す幻想に
踊らされているということですね。
自分の顔や容姿にコンプレックスを持つ・・ということが
それは
愚かなことですよ・・・といっても
そこからなかなか抜け出ることが
できない人も
たくさんいるでしょう。
でもね
そんな人も
自分のことを好きになる
自分の顔や容姿を
そのまま愛する・・という方向へと
自分を向ける努力をしてほしいと
私は思います。
そしてね、
そういうくだらないものから
解放されて
本質どうしが
向き合っている男女および
友人どうしこそが
大切なんですよ。
自分を好きな女性、
自分を全部受け入れて
全身でいきようとする女性を
愛する男性こそが
自分が向き合うべき
最もすてきな異性であり
どうぞそういう
かけがえのない
出遭いこそを
見つけてほしいと
思います。
最後に
自分のコンプレックスから
抜けてゆくその道こそが
自分が磨かれてゆく道であり
そして
自分が自分に満たされて
更に
その優しいまなざしが
自分にも
他者にも
向けられてゆく時
その人の命が
本当に大切にされ
人生が成就してゆくと
思います。
そうなると
いいね!
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