2013年 09月 24日
人生を解決する・・・その9 |
人生を解決するには
最終的には自分のエゴと向き合うしかない。
向き合うしかないというのは
誰もが自分のエゴには気づきたくないからです。
でも、そのエゴに気づき
向き合わない限り、
一歩も前へはすすめません。
トラブルとは
自分のエゴと相手のエゴが
戦いや綱引きをしている状態で、
自分が正しいと思っている限り
そこには不毛な結果しか
のこらない。
苦々しい結果しか
のこらない。
本当は、幸福や自分が受け入れられ、
愛されることを願っているのに
自分のエゴに捉われて、
自己防衛の感情にばかり捉われて
相手をやっつけることばかりしている。
そこには、
自分が願っていることがますます遠のいてゆく結果しか
得られないのに
まだ
そのことにきづかない。
最後は相手からシャッターのように心を閉ざされるか
或いは
あいそをつかされて
切り捨てられるか。
今私は、そういう人をまえに
どうしたら
その人に気づいてもらえるかを
思案している。
目からうろこが落ちうるための
できうる限りの言葉を投げかけているが
しかし難しい。
それでも
気づかず、
つまりその人間は気づきたくないから
抵抗しているのであり、
もしかしたら
すべてを失って
はじめて
気づくかもしないね。
仕方がないが
それもいいかもしれないね。
エゴそのものは
その裏に自己喪失に対する
不安や恐れが張り付いており
それが裏返って
あいてを疑い、警戒し
そして
自分が間違っているにも関わらず
激しい自己主張をし
そういう自分を突き通そうとするものです。
しかしそれは
それは極めて動物的な感情であり、
人間が人間たる所以である
理性や理知に
ブロックがかかっている状態です。
そして
残念なことに
そういうエゴから脱出しない限り
人生を解決することは
できない。
またたった一つの争いを解決できない人間は
人生のすべてをも
解決できない。
それは
解決とは”和解”であるからです。
解決とは
自分と他者との和解に他ならないからです。
そして和解は
相手に頭を下げさすことからは
はじまらない。
自分の頭を下げて謝ることからしか
はじまらない。
たとえ自分が正しいと思っていても
言いたいことや
山ほどあっても
自分を弁護したいことは
百も千もあっても
まずは
相手を傷つけた自分があたまを
下げる。
自分が相手に言ったことは
自分にとって正当性があっても
それが
いくら正しいと自分が思っても
相手がそれを理解しえないなら
それは相手の心の傷になります。
和解とは
相手を自分の懐に
包み込むことです。
それはつまらない執着の感情を捨て
その感情の呪縛から
自分を解放することでも
あります。
人生を解決することは
自分の解放でもあります。
自分が解放されるということは
自分の中に
対立や争いがなくなり
こころが空っぽになり、そこを
さわやかなる風が吹き抜けていくことです。
自分のエゴに拘泥する限り
自分の自我に執着する限り
風が吹きぬけることは
ありえない!
ざんねんですが
いつも重苦しく、
いつも苦々しいこころの染みが
とれることはない。
自分を守るということは
自我のエゴに駆られて
自己弁護することではない。
自分を守るということは
そういうものを
ぜんぶ捨てて
相手が正しいかろうが
自分が正しいかろうが
そういうことも
全部捨てて、
ただただ
傷だらけの自分を
傷だらけの相手を
そのまま受け入れることです。
そして不思議なことに
受け入れたらそれは
時間とともに消えていきます。
自分が受けた傷により
すこし時間がかかり
時に相手への怒りがフラッシュバックしてくるかもしれませんが
それもだんだん消えていきます。
自分の弱さを
あいての弱さを
そのまま受け入れる。
争いとはエゴどうしの綱引きで
エゴとエゴの争いは
弱さと弱さの戦いだからね、
ほんとうは
戦いそのものが
無意味なものなのですよ。
勝っても
負けても
有益なものは何も残らない。
愚かな綱引きです。
エゴどうしの争いが解決せず
和解を得られない場合は
それが
どんなに小さなものでも
ずーっとその人間のなかで
しこり続ける。
そしてその人間は
和解・・という解決のチャンスを逃し
さらに和解ということを
体験しない限り
和解がもつ解放感も
風が吹きぬける爽快感も
体験できない。
それは体験したものだけが
和解ということの素晴らしさを
知る。
自分の中の弱さを知る者が
相手の中の弱さに眼差しをむけることができる。
弱い人間と争う必要は
ない。
和解したら
解放されて
もう振り返らずに
スタスタと
前へ歩いていくのみです。
アッケラカンと心も軽く
スタスタです。

アッケラカン・・・とネ!
最終的には自分のエゴと向き合うしかない。
向き合うしかないというのは
誰もが自分のエゴには気づきたくないからです。
でも、そのエゴに気づき
向き合わない限り、
一歩も前へはすすめません。
トラブルとは
自分のエゴと相手のエゴが
戦いや綱引きをしている状態で、
自分が正しいと思っている限り
そこには不毛な結果しか
のこらない。
苦々しい結果しか
のこらない。
本当は、幸福や自分が受け入れられ、
愛されることを願っているのに
自分のエゴに捉われて、
自己防衛の感情にばかり捉われて
相手をやっつけることばかりしている。
そこには、
自分が願っていることがますます遠のいてゆく結果しか
得られないのに
まだ
そのことにきづかない。
最後は相手からシャッターのように心を閉ざされるか
或いは
あいそをつかされて
切り捨てられるか。
今私は、そういう人をまえに
どうしたら
その人に気づいてもらえるかを
思案している。
目からうろこが落ちうるための
できうる限りの言葉を投げかけているが
しかし難しい。
それでも
気づかず、
つまりその人間は気づきたくないから
抵抗しているのであり、
もしかしたら
すべてを失って
はじめて
気づくかもしないね。
仕方がないが
それもいいかもしれないね。
エゴそのものは
その裏に自己喪失に対する
不安や恐れが張り付いており
それが裏返って
あいてを疑い、警戒し
そして
自分が間違っているにも関わらず
激しい自己主張をし
そういう自分を突き通そうとするものです。
しかしそれは
それは極めて動物的な感情であり、
人間が人間たる所以である
理性や理知に
ブロックがかかっている状態です。
そして
残念なことに
そういうエゴから脱出しない限り
人生を解決することは
できない。
またたった一つの争いを解決できない人間は
人生のすべてをも
解決できない。
それは
解決とは”和解”であるからです。
解決とは
自分と他者との和解に他ならないからです。
そして和解は
相手に頭を下げさすことからは
はじまらない。
自分の頭を下げて謝ることからしか
はじまらない。
たとえ自分が正しいと思っていても
言いたいことや
山ほどあっても
自分を弁護したいことは
百も千もあっても
まずは
相手を傷つけた自分があたまを
下げる。
自分が相手に言ったことは
自分にとって正当性があっても
それが
いくら正しいと自分が思っても
相手がそれを理解しえないなら
それは相手の心の傷になります。
和解とは
相手を自分の懐に
包み込むことです。
それはつまらない執着の感情を捨て
その感情の呪縛から
自分を解放することでも
あります。
人生を解決することは
自分の解放でもあります。
自分が解放されるということは
自分の中に
対立や争いがなくなり
こころが空っぽになり、そこを
さわやかなる風が吹き抜けていくことです。
自分のエゴに拘泥する限り
自分の自我に執着する限り
風が吹きぬけることは
ありえない!
ざんねんですが
いつも重苦しく、
いつも苦々しいこころの染みが
とれることはない。
自分を守るということは
自我のエゴに駆られて
自己弁護することではない。
自分を守るということは
そういうものを
ぜんぶ捨てて
相手が正しいかろうが
自分が正しいかろうが
そういうことも
全部捨てて、
ただただ
傷だらけの自分を
傷だらけの相手を
そのまま受け入れることです。
そして不思議なことに
受け入れたらそれは
時間とともに消えていきます。
自分が受けた傷により
すこし時間がかかり
時に相手への怒りがフラッシュバックしてくるかもしれませんが
それもだんだん消えていきます。
自分の弱さを
あいての弱さを
そのまま受け入れる。
争いとはエゴどうしの綱引きで
エゴとエゴの争いは
弱さと弱さの戦いだからね、
ほんとうは
戦いそのものが
無意味なものなのですよ。
勝っても
負けても
有益なものは何も残らない。
愚かな綱引きです。
エゴどうしの争いが解決せず
和解を得られない場合は
それが
どんなに小さなものでも
ずーっとその人間のなかで
しこり続ける。
そしてその人間は
和解・・という解決のチャンスを逃し
さらに和解ということを
体験しない限り
和解がもつ解放感も
風が吹きぬける爽快感も
体験できない。
それは体験したものだけが
和解ということの素晴らしさを
知る。
自分の中の弱さを知る者が
相手の中の弱さに眼差しをむけることができる。
弱い人間と争う必要は
ない。
和解したら
解放されて
もう振り返らずに
スタスタと
前へ歩いていくのみです。
アッケラカンと心も軽く
スタスタです。

アッケラカン・・・とネ!
by denshinbashira
| 2013-09-24 05:09
| 人生を解決する
|
Comments(7)
過去、頭を下げることができ、清々しい風が吹いたことがあります。
誤解からお互いを傷つけていたことを分かりあえたのは、頭を下げることができたから。その時のことは今でも忘れていません。
頭を下げてもわかりあうことのできない相手は切ってもよいですか?
下げた頭をその上から踏みつけるような真似をする相手は切ってもいいですか?
息子を含むトラブルで、息子はまだ立ち直れずに自分を否定し、だめな人間だと苦しんでいます。
私の中では、振り切れたつもりでいても、子供の苦しむ姿を見るとやりきれない苛立ちのようなものが出てきます。
けれど、相手に謝罪を求めても、理解をして欲しいと訴えても意味のないことだと思うのです。
じっと息子が立ち上がるのを待つしかないと思うのです…が、間違っておりますか?
誤解からお互いを傷つけていたことを分かりあえたのは、頭を下げることができたから。その時のことは今でも忘れていません。
頭を下げてもわかりあうことのできない相手は切ってもよいですか?
下げた頭をその上から踏みつけるような真似をする相手は切ってもいいですか?
息子を含むトラブルで、息子はまだ立ち直れずに自分を否定し、だめな人間だと苦しんでいます。
私の中では、振り切れたつもりでいても、子供の苦しむ姿を見るとやりきれない苛立ちのようなものが出てきます。
けれど、相手に謝罪を求めても、理解をして欲しいと訴えても意味のないことだと思うのです。
じっと息子が立ち上がるのを待つしかないと思うのです…が、間違っておりますか?
0
tenchanmama 様、頭を下げてもわかりあうことのできない相手は切ってもよいですか?というご質問ですが、その前にあなたはどう思うのですか?
tenchanmama様。あなたがそう思っているなら、それでいいのではないでしょうか。ただ、を私に「切てもよいですか・・」という質問をすることはあなたの自信のなさそのものですね。それと相手に謝罪を求めるというのは、相手に対する依存です。トラブルの相手に頭を下げるということは、相手に対する労わりとささやかなる包容力で包むことであり、
そうすることでこちらはきちんとけじめをつけたということです。だからその時点でこのトラブルは終わりにしますということです。だからそれ以上相手に応じることはありません。それは相手がどうであれ、自分の生き方の姿勢です。もし相手がそれに応じなけでばそれは、相手の問題です。またその相手があなたにとって重要で、必要でなければ、もうさっさとお別れすればいいと思います。相手には相手の心の事情があり、人間は自分のしたことが必ず自分に返って来ます。だからこそ、いつも”解決”するということがとても大切なのです。
そうすることでこちらはきちんとけじめをつけたということです。だからその時点でこのトラブルは終わりにしますということです。だからそれ以上相手に応じることはありません。それは相手がどうであれ、自分の生き方の姿勢です。もし相手がそれに応じなけでばそれは、相手の問題です。またその相手があなたにとって重要で、必要でなければ、もうさっさとお別れすればいいと思います。相手には相手の心の事情があり、人間は自分のしたことが必ず自分に返って来ます。だからこそ、いつも”解決”するということがとても大切なのです。
自信がないのです。自分がこれで良いと思ってきたことが、全く通じない相手とばかり接しています。この半年の間に、たくさんの疑問が生じ、裏切られ、自信を失うことばかりでした。denshinbashiraさんのことばに教えられ、確かめ、やり直してはまた傷ついて・・・繰り返してばかりで進歩が無いままでした。
誰かに認めてもらいたい、そんな自分の弱さを痛感します。私にも非があるのだと頭を下げた相手にすら期待をしている自分がいたのですね。甘えていました。
こうして、書かせていただくことで気持ちに整理がついてきました。器用ではありません。もっと良く自分を確かめ‘解決‘しながらすすんでいきます。ありがとうございました。
誰かに認めてもらいたい、そんな自分の弱さを痛感します。私にも非があるのだと頭を下げた相手にすら期待をしている自分がいたのですね。甘えていました。
こうして、書かせていただくことで気持ちに整理がついてきました。器用ではありません。もっと良く自分を確かめ‘解決‘しながらすすんでいきます。ありがとうございました。
伝心柱さん、ありがとう!
私、がんばります(●´ω`●)
強くなります。
そして、いつも気づくきっかけを、ありがとうございます。
毎日毎日、読んでは考える日々が私の大切な時間です。
返信は要りません(。・ω・。)
それではまた!
私、がんばります(●´ω`●)
強くなります。
そして、いつも気づくきっかけを、ありがとうございます。
毎日毎日、読んでは考える日々が私の大切な時間です。
返信は要りません(。・ω・。)
それではまた!
こんにちは
まず我が身から
自分が変われば 相手も変わる!
父の死から たくさんの学びを改めて知り
また今後私自身を振り返る時間にもなりました
いちばんは 家族です
子供達も それぞれの道に進みました
あとは結婚する しない そんな選択をしていくのでしょう
残る私たち夫婦は 向き合わざるをえません
今後どのように変わっていくのか
私は楽しみです
まずは我が身から…です
いつも素敵なお花達
ありがとうございます
まず我が身から
自分が変われば 相手も変わる!
父の死から たくさんの学びを改めて知り
また今後私自身を振り返る時間にもなりました
いちばんは 家族です
子供達も それぞれの道に進みました
あとは結婚する しない そんな選択をしていくのでしょう
残る私たち夫婦は 向き合わざるをえません
今後どのように変わっていくのか
私は楽しみです
まずは我が身から…です
いつも素敵なお花達
ありがとうございます

