人生を解決する・・・その12 人生の積み残し! |
”人生の積み残し”のことを話しました。
人生の積み残しとは
その人が、ほんとうはやりたかったこと、
或いは
その人が本当はそういう自分で
在りたかったことなどで
何らかの理由で
それを抑圧してしまった、
或いは抑圧された自分で、
自分の人生のなかで
積み残してしまった自分です。
例えば、
子供の時、
本当は遊びたくて仕方がなかったのに
親の期待にこたえるために
勉強ばかりして
遊ぶことを抑圧してしまった人は
遊ぶ・・と言うことを積み残してしまったがゆえに
大人になって
遊びたい欲求が募る・・・ということ。
或いは
思春期に、
本当は、奔放に恋愛したい欲求があったのに
それを封じて、ストイックな自分を生きてしまった人は
そういう自分のフラストレーションを
もう,いい年なのに、まだ恋愛願望からぬけれられない・・とか。
子供時代にとてもいい子を演じ
自分の攻撃性を封じてしまった人が
あるときから、
勝負で興奮する
競馬や競艇などの
ギャンブルにはまってしまう・・とか
まあ
人間は、常に自分の喪失したもの
或いは、封印してしまった自分の欲求を
無意識に取り戻そうとする。
それを
私は人生で積み残してきた自分を
取り戻そうとする…という風に考えています。
つまり人間は、
インナーチャイルドを含めて
常に
自分の全体に回帰しようとするものなのです。
無意識にね!
その格好の例を
最近見ました。
それはアニメ「風立ちぬ」を作った
宮崎駿監督です。
私は最初、ゼロ戦おたくというか
ゼロ戦に取りつかれた男の話かと
大いに期待して見にいきましたが、
あの”バイキング”の小峠君ではありませんが
なんていうことだ~!
これは、ズブズブのメロドラマではないかああ・・・。
おかしいと思いましたよ
だって
「風立ちぬ」は
私が子供の頃はやった数々のメロドラマ
「君にの名は」とか「野菊の墓」とか
「また会う日まで」とか
岸恵子や、佐田啓二やらが演じた
あのメロドラマの類ですから・・・。
まあ
当時は甘く切ないメロドラマ全盛で
きっと宮崎さんもそれを見て育ったはずです。
その宮崎さんが
このいい年をしたおっさんが
メロメロのメロドラマを
作るとはね~!
しかも
まあ~、男の勝手な、或いは
甘ったれた願望幻想を生きる女を
描いて
恥ずかしくないのかい・・・???
60を過ぎて
70に近い大人なら
もう
人間の実相が見えてくるでしょうに・・・。
そういう、甘ったれた男性願望が
幻想であることくらい・・・
それなりに知的な男性なら
わかりそうなものでしょうに・・・ねえ~!
そして
女性が持つ願望、幻想も
同様です。
まあ
60,70を過ぎても
いくら歳を重ねても
醒めることができない男女は
持ち続けるかもしれませんが・・・(苦笑)
つまり
これは、おそらく宮崎監督の
積み残したものなのだと
思います。
彼はそういう甘い恋愛をすることを
積み残したのでは
ないでしょうかねえ~・・・・。
でもね、
私はカウンセリングで
そういう人生の積み残しと思われることを
やろうとする人には
どうぞ
おやんなさい…と言います。
存分におやんなさい・・・と
いいます。
あなたの人生でやり残したことを
あなたの人生で取り戻してください・・と
言います。
でもね、
それがあなたや家族や、他の人間の
”滅び”にならないように
やってください・・・と釘を刺します。
つまり、その人が積み重ねてきた
その人の現実は
その人の大切な宝物です。
それは幻想ではありません。
それはその人の実体です。
でも
そのやり残してきたことは
常に
その人の内部から
募る欲求として、衝動として、願望として
その現実を脅かします。
だから、光の中にだしてあげる必要があるのです。
光の中に出すとは
そのことをちゃんと受け入れて
自覚することです。
ああ~自分は
そういう願望をもっていたのに
我慢していたんだなあ~と
受け入れることです。
そういう自分にも市民権を与えることです。
抑え込めば抑え込むほど
その欲求や衝動は募り
あるときその人間の理性を越えて
その人間の感情を乗っ取ってしまいます。
そうなったときは
”滅び”がはじまります。
しかし
”光の中”にだして
自分はずーっと
その欲求を、その願望を
見ないふりや
なかったことにしてきたんだなあ~・・・という自己認知をし
そういう自分にもOKを出す。
そういう自分をも
肯定する・・・ということが
とても大事なんですね。
人間は禁じれば禁じるほど
その思いが募ります。
また
それが内向すればするほど、
それが無意識領域から
その人を乗っ取っていきます。
その無意識的に
衝動的にやってしまう・・ほうが
実はおそろしいのです。
そこには
理性の分別にブロックがかかってしまいます。
しかし
自分の中の積み残した自分を
ちゃんと自分が受けとめ
受け入れ
さらにその自分の願いや欲求をかなえてやろう・・と言う自分には
そこに理性の客観性がうまれます。
だからきっとその人間は
迷い、逡巡し、考えるでしょう。
その迷い、逡巡し、考える・・・という
プロセスこそが
宝物です。
例えば、積み残した恋愛願望が募って
恋をしたくなった自分と
それまでの自分の積み上げてきた
自分の伴侶や家族や
もしかしたら相手の家族や
そんなものを犠牲にしてまで
失うことも覚悟で
その恋愛願望を行動に移すか
うつさないか・・・・・を
考えるでしょう。
迷うでしょう。
逡巡し、
そういう自分と葛藤するでしょう。
その時
見えてくるのは
その人が積み重ねてきた
自分の人生です。
自分の人生で
大切にし
守らなければならないのは
何か・・・・?
宮崎監督も
自分の積み残しが幻想であることを
知っているいるのでしょう。
だから
アニメにすることで
自分の願望を消化したのだと
思います。
でもね~、
私は不服ですね。
なぜなら
最後の作品ぐらい
「夢は
夢から醒めたところからこそ
別の感動の世界を生きるのだ」・・・という
事を描いたもらいたかったです。
人生積み残しを
きちんと消化と消火を果たし
それを
昇華させたとき
そこには
その人の全体世界
大きな〇として完成していく自分の人生が
あらわれてくるとおもいますよ。
その全体を見終えてから
自分の人生が終演するとき
ずべてが
叶っての
終演です。
そうなるといいね!
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