マグノリアの花がいちめんに咲く日まで、ワークショップ総括その2 |
その直面したことに対して
答えが出てくるまでのプロセスにこそ
大きな意味があると
私は思っています。
直面したことと
どのように向き合い
そしてどのように解決してゆくか・・・という
プロセスが大事だと
私は思うのです。
例えば夫婦が離婚するという時
それは離婚、或いは結婚を継続するか・・という
その結論を出すことではなく
結論に至るまでの
そのプロセスの中で
それまで
自分が幻想化してきたことが
次々にはがれてゆき
その実相が顔をだしてくる。
その実相に大きな意味や価値があると
私は思っています。
それまではみえなかった相手の
リアルな姿、その本音と本性、
それに反応する
自分でもわからなかった
自分の本音と本性という実相が
衝突し、抗争し
時に自分がぼろぼろになる中
そのぼろぼろになり
みじめな自分の姿こそが
勇気を持って受け入れなければならない
自分の
”ほんとうの姿”でしょう。
実はその自分のみじめな姿を見たくないばかりに
人間の脳はいろいろと
自分を装飾し
偽装するのです。
しかし
みじめな見たくないその姿こそは
自分の実体(実態)で
はじめからあった自分の実体(実態)で
その実体(実態)が立ち現われてきたに過ぎなのです。
それは相手も同様で
相手も初めからその実体(実態)をもって
目の前に立っていたに過ぎない。
ただただ自分の目に”うろこ”がはりついて
”見えなかった”か
或いは
”見ていなかった”に
すぎない。
双方が自分を
相手を
自分の都合のいいように
幻想化し
理想化していたに過ぎないことが
お互いの人格が葛藤、抗争することによって
その本質的が
あらわれ
見えてきたということです。
生きるというフィールドは
そういうことが
ありとあらゆる場面や場所で
表面に現れては消える
水の泡のように
私たちは
”現象”しているのですね。
しかしそれを水の泡にするか
自分の鏡にするかは
その人間次第であり
それを鏡にするには
自分の内面の抵抗
および内面を支配する感情を
いかに克服するか・・という
知力と知性の力がいる。
自分が傷つくというのは
その自分の実体、実相が
相手との間で
自分にとって
明らかになったとき
その人間は、傷ついてしまうのです。
たちの悪い相手に
意図的に傷つけられた時以外、
自分が傷つくということは
受け入れたくない、或いは
みとめたくない自分の姿が
◎ 自分にとって
明らかになったということで
自分の自意識が作り上げた自己イメージに
傷がついてしまうのですね。
その自己イメージというのは
自分以外の人間たちを対象にして
◎ アピールしている
◎ 受け入れてもらいたい
自分の姿です。
そしてその自己イメージは
幼児期にトレースした
人生脚本にのっとて
その原像があり
原像=ポジ・・・が
現像されて”ネガ”になったものを
私たちは意識のフィールドで
自己イメージとして
他者にアピールしながら
いきている。
インナーチャイルドとは
そのポジの自分であり
ポジの自分のなかでも
傷ついたインナーチャイルドは
親、或いはそれに類する人間からの禁止令で
足かせをされてもがいている
自分です。
だからこそ
自分が傷ついた時に
表れてきたその自分を
どのように受け入れ
手当をするかが
とても大切なんです。
ただ傷つき悲しんでばかりでは
いられない!
癒しているだけでは
ちっとも
それは
ほんとうは
癒されないのですね。
そこに必要なことは
理性と理知をもって
論理的に(感情的にはでないですよ)
自分を検証し
分析し
そのポジである自分の原像を
どのように描きかえるか(書き換える)
までを
やり抜かなければならない。
それをやり抜かない限りは
いつまでも
そこに
傷ついて、嘆き
自分を憐れむ
”感傷”的なインナーチャイルドが
永遠に居座ってしまうのみです。
実はね
私はいつも
こうして書きながら
自分の勇気を奮い立たせて
自分を見ているのです…笑!
私は自分の自己イメージを
良寛さんのようになりたいという風に
結んでいます。
それは決して
善良で人の良い
好々爺のような人間ではありません。
時に厳しく、冷たく、意地悪にも
思われても
人間の実相を見極めようとしている人間としての
良寛です。
出雲崎にある良寛の坐像は
決して柔和な良寛の顔でないです。
夢から醒めること
幻想がはがれおちる事
自分が着込んだものがぼろぼろにおちて
自分を取り繕うものがないままに
裸で震えている自分こそが
自分である
と、
自分のてのひらに掬い上げたとき
そこにこそ
普遍的な人間がいます。
普遍的な自分です。
普遍的な人間(自分)とは
誰もが内蔵している
弱くてみじめな自分像です。
しかし
その
弱くてみじめな自分像を
抱きしめ
自分の懐にいれたとき
人間は強くなるのです。
着飾って、強いふりをしている人間なんて
ちっとも強くありません。
強い人間とは
生きることがいかに大変で厳しいかを
知っている人間です。
そして
常に
自分の装飾が剥がれおち、
自分の素、そのままの自分が表れてくることを
良しとする人間です。
自分の実相を
しっかりと
受け止めることができる
人間です。
そのままの自分で生きる・・・と
言葉でいうのは
なんて簡単なんでしょう!
しかし
そのままの自分、すなわち
素の自分をいきるには
まず、自分を装飾する自意識を
取り払わなければなりません。
自分を装飾する自意識は
常に抵抗し
ほんとうの自分を見ることを
すなわち装飾が壊れることを
恐怖し
ごまかそうとします。
でも逆に、
その、
はだかの自分を理解したとき
人間というのものが
よーく理解できるのですね。
自分の実像を受け入れたとき
他者の実像も見えてきます。
そこには
生きることに、怯え、震えながらも
頑張っている人間が
見えてくるでしょう。
あなたも
わたしも
同じように弱い人間として
しかしだからこそ
そこから
強い人間として逆転していく
その普遍的な世界を
共有できてくるのですね。
インナーチャイルドワークで
描いてもらった絵には
見事に
その人間のインナーチャイドが
表れています。
その人が無意識に
描いてしまうのですね。
そこに描かれている自分を
抱きしめたら
次に
そのチャイルドが
どうしたら
幸せになれるかを考えながら
その絵にさらに完成させいく。
自分をしっかり
描き直して
さらに
周囲の人間も
そして
背景もていねいに描きこんで
そこに
自分ポジを
自分で創りだすのです。
そのポジがネガになったとき
自分の全体が
美しくあらわれてくるようにね。
自分の
愛おしい世界です。
愛おしんで
愛する
大切な、大切な自分ですね。
私の開くインナーチャイルドワークショップは
一年に一度だけ
6人の方々とのみ
出遭います。
その貴重な出遭いを
大切に
大切に
自分の懐のなかで
温めていこうと思います。
セレンディピティー
思いがけない出遭いによって
思いがけない宝物を
手に入れる!
これからも
出遭いを恐れず
人間を
恐れず
出遭っていきたいと
思います。
秋の花、
ホトトギスが
咲きました。