吠えたからには書かんといけんね・その2 |
物事を、
相手の立場から見れず
自分側からしか見えない人は
どうしても、こういう失敗をしてしまいます。
他人との距離が取れないのですね。
どうしてそうなるかというと
自分の・脳の初期設定が
そうだからです。
つまり、自分の脳の初期設定に
・客観性が抜けているからです。
これが、私が書き続けている
・自他の分離ができていないということです。
どうしてそうなるか・・・というと
子供のころの自分は、
親と一体化していないと
生きれないからです。
・脳の初期設定はどうしても親と一体化した自我で
書かれてしまいます。
つまり
親の感覚、親の考え方
親の癖、親の偏りなどに
自分を一体化させて子供は生きてしまいます。
しかし子供にもちゃんと自分の感覚や意志がありますから
だんだん親離れをしていきますが、
親は子供の
・”生命ライン”を握っていますし、
パワーから言うと大人の方が
圧倒的に強いですから
子供は、そうそう、親に対抗できませんし
親から離れられません。
そして子供は自分で感じ、考えて生きようとするとき
それを踏み潰してしまうのが
親から受けた叱責やネガティブな感情や体罰という
親への恐怖と脅威と
彼らが発した
さまざまな
禁止令の言葉です。
しかし、
その親から離れようとするのが
反抗期ですね。
反抗期になってはじめて
親に対抗できる体力がつき
親と心身で対峙するのです。
この反抗期に、
・いっきに親を退治し
親を乗り越えてしまえば
そこに初めて、その子供の客観性が生まれてきます。
つまり
その子供の、
・初期設定が、
今までの
・授動的なものから
・能動的なものへと
書き換えられたいくのです。
この時、親の支配や親のエゴを
叩き潰してしまえると
もう、その子供はどんどん自力を発揮して
能動的になり
自立していきますが、
問題なのは
親とパワー対決できず
親の感情を否定できず
親の権威や権力を蹴っ飛ばせず
親の心理支配から抜け出られず
さらに精神的にも
親の庇護から抜け出られず、
中途半端にしか、大人になれない子供です。
つまり、
自分の脳の初期設定を
手直し程度にしかできない。
或いは
ほとんど初期設定のまま大人になってしまう子供たちは、
いくら歳をとっても
ずーっとその初期設定の脳まま
生きてしまうということですね。
親のカプセルから抜け出してはじめて
おー!
親とは違うこういう世界もあるのかあ~と
いう感覚や、
感情や、
認識がでてくるのです。
逆に
抜け出ない限り
見えませんからね。
それには、
親への甘えや依存を
捨てる・・・という勇気と厳しさが
必要なんですぞ!
※ そういうものを捨てていない限り
中途半端にしか生きれませんからね!
そういう自立するリスクを負うことなく
甘ったれたまま、
親の袖をつかんだまま、
神経症だとか鬱だとか
苦しい苦しいといってもねえ~!
そこから出ない限り
解決なんかしませんよ。
大切なのは
重要なのは
親のカプセルから抜け出す・・・・という
もう具体的で
リアルな◎体験を
することです。
体験しないと
脳はそれを
・ピンと実感しませんから
(実感しない限りそれを体に伝えられません。)
脳の初期設定の文脈の”全とっかえ”が
できないのです。
脳の文脈の”全とっかえ”ができてはじめて
それが体の中に
ストンと落ちて
あゝそうか、と納得して
新しい認識へと、
脳も体も
書き換えていくのです。
つまり
親にたいする恐怖や不安が消えてはじめて
ストンと実感が体に落ちるのですね。
親と対決し
叩き潰して初めて
あゝ、人間とはこんなに小さいものか
人間とはこんなに弱いものか・・・ということが
分ります。
そして逆に
あゝ自分はこんなに強いのか!
ということも
実感できます。
あゝ、私でも、できるじゃん!・・・という自己認識も
生まれます。
つまり
親のカプセルを抜け出し
さらに、親から受ける脅威を
叩き潰して始めて
その人間の・”ポテンシャル”が
芽生えてくるのですね~!
その人間らしい独自のポテンシャルです。
まあ、親のほうは
自分が叩きつぶされ、乗り越えられるのを
覚悟していればよろしい!
いつか子供と四つ相撲を組んで
互角に戦う日が来ると
楽しみにしていたらどうですか!
無自覚に子供にバトンしてしまった自分の毒や闇を
子供が蹴っ飛ばして
叩き潰してくれるのですから
もう
親としては本望でしょう!
そうやって
脳の初期設定を
書き換えながら
また
何かに直面しては悩みながら
或るいは
想定外に起きることを
体験しながら
常に自分を書き換えて
常に新しい自分を生きる!
その初期設定を書き換える・・・、
それまでの脳の文脈を
”全とっかえ”する…ということを
体験しない限り
親のカプセル内で
ちょろっと、文脈を手直しするくらいがせいぜいで
客観性をなかなか手にいれることは
できません!
なぜなら
授動的な自分から
能動的な自分へと脳の設定を書き換えて
初めて
客観的な自分が生まれるのですから
当然でしょ!
そして、
こういう、自他の分離ができていない人がもう
ごまんといます!
現代は、そういうひとだらけのように
思います…私は!
また、
ちょっと
小賢しく頭が働いて
体験ではなく、
客観性ということを
観念的に
理解できるようになっていても
それを体験し、実感していないかぎり
その人間は、
行為、行動において
瞬間的、自動的に無意識に
客観的なことが出来ない自分を
さらけ出してしまいます。
つまりねえ~
やっぱり
体で体験することが
とても重要なのですよ。
いくら頭でわかっていても
ダメなんだよ!
親を叩き潰して
親のカプセルから抜け出して
自分でさまざまなことに直面していけばいくほどに
いかに世界は大きく広く
そして
自分が知りえていることなんか
ほんの少しで
ちっぽけな自分が
分ります。
でもね~、大丈夫ですよ、
なぜなら
ちっぽけでも
親と戦った体験が
効いてきます。
自分が全身でたちむかえば
困難なことを乗り越えられる・・・という
自信と自分へ信頼が
ちゃーんと、脳の中に記述されていますから
すこしビビッても
最終的には乗り越えていきます。
この
・”全身全霊”で戦う・・・ということが
もう
宝物ですよ!!!
よーく考えてみれば
人間は、誰もが五十歩百歩の
どんぐりの背比べで
生きています。
誰もが弱く
そして
誰もが
強くなれるのですよ!
よーく考えてみてください。
自分の中にあるほとんどの恐れは
対人的なものでしょ。
その対人的な恐怖の原因を作ったのは
親ですね。
(親或いはそれに類する人間です。)
親は強いと思い込んでいた時は
親も他人も
強かったのです。
しかし
その親を乗り越えて
自分の思い込みを書き換えて見れば
親といえども、弱く脆弱な人間です。
そして他人も同様です。
怖くなんかないですよ!
むしろ
弱いが故に
子どもにしがみつき
こどもを感情のはけ口にしてしまうのです。
弱いが故に
強そうにふるまうのですよ。
その証拠に
人間は弱い者には強く振る舞い
強い者には、
逆らいませんからね~!
※どうぞ自分の中でおきる心理や
周囲の人間の行動心理を
よーく観察して御覧なさい!
きっと、あゝ、そうだと納得すると思いますよ!
自分の親を突きはなし
徹底的に
客観的に
検証してみれば
そこで初めて
◎ 弱さも強さもふくめた
人間というものの全貌が
みえてきます。
自分も弱いけど
他者もよわい!
しかし
自分が強いように
他者も
強いんだ!
とね。
そこにあるのは
人間の(自分の)”生命力”です。
さあて、
今日は脳の初期設定のことをかきましたが
次回は
脳の設定を、
どのような、”内容”をもって
書き直していくか・・について
書こうと思います!
美味しそうでしょ!
美味しいかったです…・自画自賛!・・
では、その3も
書くけんね!