質問にお答えします・インナーチャイルドとシャドーとの違いについて! |
フッとした時に
不安や恐れに襲われることもあるのです
でも
そういう時は
恐れも不安もない!・・・という風に
それらを
自分の中から追い払います。
たぶん寝ているときは
自分の脳と体の統制が
◎外れていますから
無意識のなかに潜んでいる
或いは
無意識に感じてしまった
不安や恐れが
糸の切れた風船のように
意識に上ってくるのだと
思います。
今朝の明け方に
ごそっと毛が抜ける夢をみましたが、
それは
私は自分の髪が薄くなっていることに対して
不安になっていることが
そのまま出たのだと思ます。
髪はエネルギーの暗示でもありますから
私の中のエネルギーがもう
衰えてきているのだとも
思いますよ・・・。
こういう時は
その夢に怯えないで
『あゝ、私は
髪の薄くなることを不安に思っているのだな~!』と
自分に寄り添ってあげればいいのです。
だから私は
『大丈夫だよ、
もう歳なんだから
老いが来ているに過ぎないんだよ!』
と自分に寄り添って
それでお終いにしました。
不安も恐れも
自分の無意識がちょっと不安を感じたことを
脳が大きくシュミレーションして
自分を煽っているにすぎないのです。
まあ、脳も余計なことをするもんですな~…苦笑!
でも、
大丈夫と
自分の理性(アダルト)で解決してあげれば
どうってこともありません。
まずは
煽られて不安にならないことです!
さていよいよ、ご質問頂いた
インナーチャイルドとシャドウとの違いに
取り掛かりますか!
もともとシャドウという概念は
ユング心理の中の
人間の心理の元型として
考えられたものです。
そして
インナーチャイルドは
フロイト系の心理学である
”交流分析”のチャイルドの概念を
更に進化させたものとして
考え出されました。
どちらともが自我の心理をつきとめようとするもので、
私はとても優れたものだと
思います。
ユング心理学の元型とされるものには
・グレートマザー
・老賢者
・アニマ
・アニムス
・英雄
・トリックスター
・ハイヤーセルフ[大いなる自己)
そして
・シャドー(影)
があります。
中でも
シャドーは
自我の外面に現れた性格は
かならず裏側に
その反対のもの(影)を作りだす
という理論です。
私たちは常に
自我意識において
そういう表裏の二重構造を創りだしながら生きている
というものです。
私たちが生きるためには
その必然として
他人や世の中に適応するのに邪魔な
自分の
・受け入れたくない性格や
・認めたくない
あるいは
・まったくなかったことにしてしまいたいという
ものを
抑圧してしまいます。
つまり意識は
自分の自我意識が抑圧してしまい
その結果
もう一人の自分を
不可避的に
創りだしながら
生きていると
いうことです。
そしてその抑圧された自分は
無意識のなかに潜みながら生きていきます。
そしてシャドーには
・個人的無意識と
・普遍的無意識の二種類があり、
・普遍的無意識というのは
人間であれば、どんな人間も共通してもっている影ということですが、
これは人種や民族や国家などなどに大きな影響を与える
人間という種類の”生きもの”の問題でもありますので
まあ今回はこれは、外して
もう一つの個人的無意識の中のシャドーについて
考えてみましょう。
自分が抑圧してしまった自分
そして
なかったことにしてしまった自分は
自分が創りだす外面的な仮面の裏側で
無念ながら
じっと息をひそめながらいきています。
たとえばいちばんいい例が
自分を優等生や
自分を良い人間だと
自己規定している人間(自分のイメージをそういう風に思い込んでいる人間)は
自分の中にある
そういう自分の自己イメージを汚すもの
たとえば
・劣等的な自分や
・マイナスの感情や行為の自分
・嫉妬深い自分や
・他者に対して攻撃的な自分
などなどを
抑圧してしまいます。
自己意識は
自分は良い人間、であり
優等的な行為をする人間である
と
思い込んでいますから
そういう外面の自分を脅かす自分など
自分にありうるはずがない!
と
意識の上に上らせることを
心理的にブロックしてしまいます。
さらに
自分には
外面の自分(自己イメージ)とは
真逆の自分がいる
ということさえ
気づこうとしないのですね。
これが意識のトリックです。
しかし
抑圧されて、
無意識領域で生きている
もう一人の自分=シャドウは
ほんとうは自分の素朴な本心ですから
否定されたままであることが
苦しくてたまりません。
だから
意識の隙間をぬって
その人間の行為を乗っ取ろうとします。
つまり
時に
・反優等生的な行為への衝動に駆られたり
善人のじぶんなのに
・嫉妬や意地悪な感情が上ってきて仕方がないとか
・本当は意固地になって
・自己防衛に走りたいとか
自分の自意識のドメインを乗り超えて
シャドウは顕われようとします。
そして
そういう自分の仮面の意識統制が弱い時や
外れているときの行為の中に
スルリとその人間の行為を
乗っ取ってしまいます。
たとえば面と向かって戦かわずに
相手を貶めるようなことを
他人にほのめかしたり
匂わせたり
他人の悪口をいうと
スッとしたり
話の中や
別れ際にちょろっと否定的な言葉を入れたりと
相手にけどられないような方法で
足を引っ張ったり
堂々と正面からは向き合わず
何もしないのですが・・・・。
まさしく影のごときに
仕掛けるのです。
そして
本人はそういう自分の行為の狡猾さに
気づいていません。
気づこうとしない…と言った方がいいかもしえれませんね。
客観的な他人から見れば
マイナス行動をしているにもかかわらず
自分ではそういう自己矛盾に
なかなか気づきません。
そして
一般的に
どんな人間も
自我の意識を二重構造化して
いきていますから
多かれ、少なかれ
誰もがこういうシャドーを
持って生きているということですね。
しかし問題なのは
自意識が
ほとんどシャドーに乗っ取られて生きている人、
つまり
自分の外面と内面との間が
極端に
二極分解している人です。
その人間は
常に自分の感情を押し殺して
◎内向させ
意識的に自分の姿を伏せてしまいます。
つまり
意識して
他人に自分の本心を気取られないようにと
心理工作するのです。
つまり
かならず
・自分の自我を伏せて
・自分の中に防衛の砦を作ってから
・他人と関わろうとします。
なぜなら、
その人間は
無意識のどこかに
ほんとうの自分でいきてはいけない・・という
強い縛りがあり
さらに
そういう自分を他人に気取られると
ヤバいことになる
と
思い込んでいるからです。
そういう風に思いこんでいるから
自分の本心や
自分の正直な感情を
いっさい外面に出さないように
・用心深く、用心深く他人の動向を観察しながら
他人と関わります。
つまり
◎シャドー的傾向の強い人間は
・外面はとても聞き分けの良い人間で
・他者に対して、歯向かうこともなく
・従順で
・ほとんど自己主張をせず
・一見他人に寄り添うように・・・他人に張り付き
常に
・自分を明白にせず
・他人と自己を同化させて生きているようなスタンスを
他人との間で持ちます。
が
しかし、本心は
絶対と言っていいほど
他者を信用せず、
相手を用心深く観察して
相手を巧妙にコントロールしようとします。
つまり
自分の正体を
・決して他者にけどられないように”影化”し
その一方では相手の心の中に入りこみ
相手の心をマインドコントロールし
或いは
乗っ取っていく。
つまりね~、
シャドー的傾向の強い人は
頭がいいんですよ!
アンデルセンが書いた”影”と言う作品を
読んでいただければよくわかるのですが、
シャドーの人間は表面は
従順なふりをしていますが
実はいつも自分を相手の上位に
無意識に置いています。
なぜなら、
操る・・・というのが
得意技だからです!
すごいねえ~!
しかし、そこには
大きな大きな落とし穴があるのですよ。
自分を明白にして
他人と関わらないために
◎他人の真実に触れらることがありません。
つまりそれは
自分の実体で
生きないからですぞ!
常に
自分の思いこみの中で
他人をシュミレーションしては
自分の感情や意志を
内向させて
受け身(授動)的にしか生きませんから、
どうしても
生々しい現実や
瑞々しい他人の感性に触れることもなく
観念的で
独りよがりの感覚で
現実や
他者を
判断してしまいます。
つまり全部を
シャドー的色眼鏡で見てしまうのですね。
また
常に
自分を伏せて
相手を優先させて
他人をコントロールしようとするのですが
まあ
基本的に
他人をコントロールすることなど
いかなる人間もできえませんから
何時も他人に裏切られたような
被害者意識の中で生きてしまい
さらに
人間不信を募らせるという
悪循環を生きるのですね・・・気の毒にね~!
では
シャドーおよび
シャドー的傾向の強い人間は
自分のシャドーを
どのように解決していくか!
まず、
・自分の中のシャドー的自我意識に気づき
・それを受け入れ、認知する・・・光の中に出すと私は言ってます。
※ 光の中に出すとは、
自分のマイナスな感情や、
攻撃的な意識や
自己中心的なエゴが
自分の中にあることを
しっかり
認識する(自覚する)ことです。
さらに
対外的には、不都合があっても
そういう自分がいてこそ
初めて人間としての立体的な存在になるのであり
シャドーの自分も
◎自分の分身であり
◎ 人間とは、そういう光と闇の二重構造をもつ
生きものであることに・・・それでいい!
とOK(肯定)をだすことです。
※ 自分の中のシャドーを発見し受け入れることが
できるようになればなるほど
”人間の全貌”が
理解できてきます。
それは人間の光の部分だけではなく
シャドーを含めて初めて
人間が
”全”として
完結するからです。
シャドーとは
自分が認めたくない
抑圧してしまったもう一人の自分であり
シャドーもやはりインナーチャイルドと同様に
その人間の生育期間に受けた
深い傷が
自分の中に影を作ってしまうということです。
しかし、インナーチャイルドとの違いは
シャドーは時にアダルト的であり
ペアレント的でもあり
また巧妙に生きて
策略をめぐらしたり
とても冷静で緻密な行動をしたりします。
決してチャイルドのように
スキだらけでは
ありません!!
歪んでいますが、
頭がいいんですよ!
そして
もう一つのインナーチャイルドですが
これは交流分析でいわれるところの
三つの自我状態(心の状態)
・ペアレント(親)の自我
・アダルト(大人)の自我
・チャイルド(子供)の自我
さらにペアレントの自我には
・慈悲深く保護的な親
・指示、命令をだし、批判的で支配的な親
の二種類があり
チャイルドにも
・天真爛漫で自然な心の子供と
・従順で我慢強い子供とに
分類されます。
つまり
人間の心の中には
・親的な自分
・バランスを保ち理性てきな自分
・自由であるが、従順に我慢してしまう子供の自分
が
相手や状況により
瞬間的に入れ替わりながら
外的世界と
対応してしまう・・・と
いうことです。
そしてこのチャイルドの概念から
さらに
問題を深めたのが
インナーチャイルドです。
つまり
チャイルドのなかでも
深く傷つき
自分をあきらめ
なんでも自分のせいにして
自分を責めたり
否定してしまう
チャイルドがいる・・・ということを
つきとめ
過去の自分の中にいる
傷ついた子供を救い出そうとしたのが
アメリカ人のカウンセラーである
ジョン・ブラッドショー氏と
その理論インナーチャイルドです。
彼はインナーチャイルドに気づくことによる
大変効果的な心の治癒力を発見し
機能不全になった家族の問題の解決を
はかりました。
私も自分の中に深く傷つき
痛んでいる子供時代の
自分を
救い出すことにより
さらに
それを糸口にして
自分の子供時代を思いだしては
分析して
自分の問題性を解決し、
チャイルドを解放してきました。
インナーチャイルドも
シャドーも
ともに深く傷ついているのですが
シャドーは子供だけではなく
自我全般について張り付いているものです。
まあ、張り付いているというより
自分の本心や自然性を
抑圧することにより
不可避的にできてしまうのが
シャドー(影)の心といったほうがいいでしょう。
もう人間は
影を抱えていきるしかない・・とも
言えますし
人間社会は
不可避的に影社会を構築してしまいます。
では
人間が影社会を永遠に解決できないか・・・というと
私はそうは思いません。
人間が自分の内面に気づき
自分の生き方の矛盾に気づき
生きるということの中にある
苦しみを解決していく。
そのためには
さらに
人間の意識(心理)のメカニズムや
脳のメカニズム
そして
生物としての人間の属性を解明し
それぞれが自己変革に目覚めていくこと。
人間が共生・共存していくための
おおなる道をさがしだしていくことだと
思います。
※シャドーについては
・アンデルセンの「影」という本や
・河合隼雄著「影の現象学」を読まれるといいと思います。
シャドーはユングが
インナーチャイルドの大元には
フロイトがいます。
どちらも
自分の人生と命を
そこに注ぎ込んで
人間の心を解明しようとしました。
この大いなる先人の仕事の先に
現代の心理学がさらに進化しようとしています。
今も多くの人々が
なんとか
人間のこころや意識を解明しようとがんばってくれていると
思います。
いつか
きっと
人間の心の闇も
人間の中にある恐れや不安も
みーんな
人間の意識が創りだしたものである・・・ということが
世界中のどの人間にも
理解されるような時代がくれば
きっと
争い、奪い合うという人間の姿がいかに
愚かなことであるかを
全人類が
悟るでしょう!
いつかね!
まずは
自分の中のシャドーも
インナーチャイルドも
救い出し
受け入れ
それらを統合していくことこそが
私たちの課題だと
私は
思いますよ!
追
フロイトとユングは一時期、
親交を深めていたのですが
最終的には
ユングがフロイトから離れ
独自のユング心理学理論を
展開してゆきます。
まあ論理的な理知者であるフロイトに比べ
ユング理論は芸術的だなあ~と私は
思いますので、
できたらユングの元型たちについても
書こうかな~と
思い始めています。
まあ
うまく書けるかしら・・・ね~?
考えてみよ~っと!
「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。」ヘルマン・ヘッセ>デミアンより。
私は自分がエミール・シンクレールで、デミアンを求めて生きていました。でも、デミアンは自分のうちにこそ、在していてのですね。…若いころ、気づいたはずでした。でも歳を経て、また胸がざわざわしてインナーチャイルドが暴れ始めています。
なんとかアダルトな自分でいいこいいこしてあげようと思います。
ありがとうございました。