machoman 様の質問にお答えします。 |
いつもブログを読んでくださり
ありがとうございます。
アドラーのことについてのご質問ですが
正直にいうと
若き日にカウンセリングを学んでいた時
わたしがいちばんピンときたのは
ユング世界ですので
アドラーのことは
およその概要だけしか知りません。
※でもそれは私にとってユングが一番
必要だったということですね。
貴方がアドラーにピンと来たようにね・・・。
人間はその時の自分にとって一番ピンとくるものに
反応して生きるのですからね。
そして
貴方は
自分が良いと思われるのなら
私になどに尋ねずに
まず、貴方が自信をもって
アドラーを追及されたらいいと思います。
そして
どうぞ貴方の言葉で
お話ください。
さて
アドラーがどうのこうのという前に
今の私は
人間が生き生きと自分を生きるために
獲得しなければならないのは
最終的には
不安と恐れを解決した
自己イメージではないか・・と
思っていますので
アドラーの理論も
すごいなあと思います。
つまり
人間が傷ついたり
つまずくのは
その人間の自己イメージが
傷つくのではあり
その自己イメージを
どのように
健康に構築していくかが
とても大切なように思っています。
対人、対社会のなかでの
どのような自己イメージを築いてゆくか。
築くといっても
常に人間は変化していますから
”今”の自分の自己イメージを
どのように築くか・・・ということです。
しかしその時
とても
難しい問題、あるいは
課題として
その人間の脳と体の中に沁みこみ
その生き方に沁みこみ
常にその存在の反応として
常態化してしまった
マイナスの感情の反応を
どうするか…です
つまり
自己イメージを脅かす
自分の中に湧いてくる
恐れや不安の感情を
解決する必要があります。
私のところにも
認知行動療法を受けている方が
何人か来られましたが
それなりに効果があるのですが
この恐れや不安までが
解決されていないので
どうしても
出口までゆくことが出来ないようです。
つまり
いちばんの根幹の問題が
明らかにされていないのです。
だからやはりそこを開いてゆくためには
交流分析やユング心理学の方法が
とても有効だと思います。
そこを賭場口に
自分の過去の問題性に気づいたとき
ああ~、そうかあ~と
ストンと
意識で原因が明白になったとき
人間は元気を取り戻します。
※でもね
精神分析も行動療法も
また他の治療法に関しても
ありとあらゆる可能性を
ためしてみたらいいと
思いますよ!
その人間が深く記憶に刷り込んでしまった
恐れや不安を
どのように
具体的に
その人が理解し
克服してゆくか・・・が
もう
ほんとうに難しい課題です。
それは、心理学だけでななく
脳の機能の問題でもあり
体の生理のことも
含めて
生物学的にも
考える必要があると
思います。
不安や恐れの感情は
考え方や
認識方法を変えることぐらいでは
すまない
一時的な回復はあっても
やがてまた
もとにもどってしまうくらい
とても深く根強いものです。
意識や理性で理解していても
それをこえて湧きおこってくる
自分の不安や恐れやおびえの感情と
それに反応してしまう”体”のことを
どのように解決していったらいいか。
克服していったらいいのka
ここが一番難しいのです。
そして
その恐れや不安を
少しずつ克服していく中で
自分らしい自己イメージを
創造していく。
さらに
これは私の独特の考えですが、
感情については男性と女性との間に
大きな違いがあるようにも思います。
おそらく生物、生理としての違いがあり
女性のほうが自分の感情に翻弄される苦しみが
多いように思っていますので、
男性および
男性の学者や研究者が
これをどのくらい理解できているのかなあ~と
思ったりしています。
人間は
対対人、対社会の中で意識が形成されてゆくことは
明白ですので、
その意識の中で、
自分が生きることの障害になるものを
取り除いてゆく。
しかし
漠然と或いは混沌とした意識の中から
自分の感情の元型になってしまっている
或いは
しこってしまっている
その障害を見つけ出す手がかりとして
そこをお掃除するには
フロイトやユングの考え出した方法は
とても有効だと思います。
フロイトやユングが生涯をかけて追及した
それらは、
まずは
心という現象の
賭場口に辿りつくということでもあり
だからその賭場口からさらにどのように
人間の心の問題、意識の問題、そして心と体の問題を
更に開いてゆくかが
私たちに課せられた課題だと思います。
フロイトらによって
近代、現代へとさらに
心理学が極められていきましたが
しかし
そこに立ちはだかっていたのが
学問の立て割であり
学問が
人間の心理、意識について
縦横に交流し始めたのは
つい最近の時代からです。
私はもう以前から
人間を解明するには
心理学だけではなく、
社会学、脳科学や、生物学や、や物理学
芸術などなど
ありとあらゆる学問、科学を
総動員して
縦横に学問が交流し考察されるなかで
人間とはなにかを検証していく必要を
感じていましたし
今もそう考えています。
特に記憶の問題に関しては
脳だけでなく
”生物としての人間の属性”について
明らかにしていくことが
とても重要な事だと思っています。
つまり究極的には
人間の想念のなかに生まれてくる想念
”人間幻想”を
厳しく、
はぎとってしまわないと
だめだとも思っています。
※ 人間はどこかで
人間といういきものが特別であるかのような
思い込み(想念)をもっていますが
そういう想念もとっぱらい
タダの生きもの、ただの人間という現象として
解析する必要があると
私は思っています。
そしてアドラーの言うとおり
人間は
”関係”のなかで創られるのであるのですが
フロイトもユングのその他
さまざまな学者たちの理論も
否定したり
対抗させたりしないで
すべてを
総動員して
自分のこと
人間のことを
考えていけばいいと
思います。
よってたかって
人間のことを考えればいいと思います。
そして具体的な治癒としてのカウンセリングにおいて
自分の体に起きてくる感情や衝動を
どのように自意識の外に
取り出し、
検証していくかの現場において
意識や感情を具体的なものとして”仮想”する
とても具体的な誘導のヒント
或いは賭場口のイメージとして
過去を再現するフロイトの方法や
ユングの
人間の様々な側面を表す元型が
とても有効なように思います。
つまり
形を現して、物事が
明瞭になったとき初めて
人間はああ、そうかあ~と
体と頭の緊張が解けます。
頭と体の緊張が解けていくと同時に
体と心の統制ができてきますので
だんだん
自分が分裂てきではなくなり
ひとつに統合されていきます。
しかし
フロイトもユングも
今ではもう古典的・・というフレーズがつくくらい
彼らのイメージを超えて
現代の人間は多様で複雑な貌をあらわしています。
もしかしたら
もっとたくさんの複雑な
元型イメージが必要かもしれませんし
過去を再現するするためには
カウンセラーがよほど
人間の多様性に精通していることが
必要かもしれません。
心理学と言えども、それも人間の為したものです。
色々な学説や学派があるでしょう。
しかしそれも
そのまま鵜呑みにせず
まずは
同じ人間としての地平から
まずは
それを解析してゆくための手がかりとして
アドラーを素晴らしいと思うあなた自身が
そこを賭場口に追及されていったらいいと思います。
私のカウンセリングは
もうとっくに
カウンセリングというフレームを逸脱しています。
つまり
カウンセリングなどという傲慢なフレームなんか
取っ払って
ただただ
ひとりの人間として
私のところまで辿りついた方と
正直に
向き合うのみです。
目の前にいる
痛んでもがいている方の苦しみに
寄り添いながら
私の全てを総動員して
向き合うのみです。
それしかありません。
そして、
その人自身が何らかのヒントを見つけ
そこから
かすかに指してくる光の道すじをみつけ
自分の中を開き始めだし
自分の足で立ち始める。
そして
自分で自分の心の治癒や
人生の修正をはじめだして
もう
私が必要なくなったら
私との出会いは
それで終わりです。
その人自身がさらに
自分に必要な人間を探し出してゆく
出遭ってゆくこと
それが一番です。
まあ私が書き続けているのは
私と
私の人生おいて
分りえたことを
書いていますのです
そこには限界があります。
だからこそ
それぞれの方が
自分で考え
さらに私を踏み越えて行ってくれれば
とても
嬉しいです!
追 ただ何事も経験や体験しないと
分りません。
本を読んで知識を得ることも大切ですが
まずは自分を追求し
経験し
体験し
実際にカウンセリングを受けたりして
その違いを体験することも
とても重要なファクターかと思います。
それと
先のブログ
「こういう質問はこまるなあ=」でも
書きましたが
この場は、
知識を論争する場ではありませんので
そこをご了承ください。
denshinbashira様、記事を読ませていただきました。
まず始めに、私のコメントに関して
コメントを送信した後にすぐに読み返して気付いたのですが、
知識をひけらかすような物言いでした、、
大変失礼しました。
そこを含め自分は未熟な人間で、
なんとかしたいと思って始めたのが心理学でした。
アドラー心理学については、
背中を押してもらったような気持ちで感謝します。
記事に関して、今回もとても勉強になりました。
人間を解明するためには学際的な研究が必要であることや、
人間幻想というキーワード、
(人間におけるすべての感情や現象は人間幻想の上に成り立っている?)
(ヒトという生物が進化の過程でいつ、他の動物とは違うという意識が生まれたのか?)
もしかしたら人間がヒトという生物である限り、
本当の意味で客観的に人間の本質を捉えることは
出来ないのかもしれないと思ったり、
(人間の思考を超えたところに答えがある?)
でも人間のことを考えるよりまずは
自分自身の問題を解決しなければいけないのですが(苦笑)
記事を読み返して、勉強して、実際に肌で感じて、考えようと思います。
ありがとうございました。
(ヒトという生物が進化の過程でいつ、他の動物とは違うという意識が生まれたのか?)」・・・そのとおりだと思います。そこの幻想を剥ぎ取って、誰もが同じ人間という種類のいきものであり、その人間という生きものの属性においては、まったく平等で、同じように楽しみ、同じように苦しんでいることを理解できるようになれば、きっともっともっと共生的になり、いきることを喜びにできるようになると思います。どんな人間も
自分の生きることに懸命にむきあっているのですね。自分を心から肯定することだと思います。