若いころ、私も赤面症でした。 |
私も自分が赤面症であったことを
思いだしました。
若いころといっても
もう
物心ついた中学生の頃からです。
人と話すときにはいつも
心がドキドキしてしまうのです。
でもね~
それは
今でも
そうですよ!
今でもドキドキしている私がいます・・・!
赤面症の私は、
相手に自分の本心を
けどられないか・・・と一瞬
そういうことが
頭に浮かんだとたん
自分の顔が赤くなっていくのが
もう
とても恥ずかしかったです。
赤面症だけではなく
私は
自分の心の中に起きてくる
厄介で
恥ずかしくて
ダメな自分を抱えて
途方に暮れたもんです。
それはとてもみじめで
劣等な
自分の姿です。
でもね~
だからこそ
今のわたしがあります。
人間は
誰もが
他人には
分りえない、そういうものを
抱えているもんですよ。
かっこいい人間なんていませんよ
誰もが、
数えきれないほどの失敗や後悔や
そして
他人には知られたくない
ブザマな自分を
抱えているものです。
そして
だからこそ
表面は、他人に対して
そういう自分をけどられないように
強く
明るくふるまうのであり、
中には
自分のそういう弱さや愚かさを
はぐらかしてばかりいるために
その仮面の自分をそのまま信じこんでしまい
ほんとうは
自分の心の奥の奥に潜んでいる
弱い
ダメな自分に気づくことすら
できないひともいます。
つまり
弱いダメな自分に
寄り添えないのですよ。
しかし、ほんとうに強くなるということは、
そういう自分の弱さを
ちゃーんと知っているということです。
むしろ
自分のことを
ダメダとか
どうしょうもない・・・とか
気づいているだけでも
救いでしょう!
しかし
気づいているなら
なぜ
そこに寄り添い
助けないのですか・・・?
そういう自分をつついてばかりいる自分こそが
もっとも愚かな自分じゃ~ないですか・・。
つつくことばかりに
エネルギーを注いでいるあなたは
なんですか?
気が弱く
いつもびくびくして生きている。
他人と爽やかに、屈託なくはなせたらいいな~と
いつも願っているのに
できない!
でも
それでいい!
そういう風に
他人を恐れながらも
よく頑張っているなあ~…私は!と
寄り添い
そして
決して
自分をつつかない!
まずは
そういう自分をそのまま
受け入れ
それでいいと
自分にエールを送ることです。
いいですか、
もうしつこく、しつこく
毎日
自分にエールを送るのですよ!
コツコツとそういう努力を重ねないから
直ぐまたもとに戻るのですよ!・・・喝!
自分をつついている自分に気づいたら
はっと、それを即座にやめて
いや、こういうドギマギする自分でいいんだ・・・と
エネルギーを自分に送る!
そして
毎朝の祈りのノートに
「今日もまた、自分を否定しないように、導いてください」とか
「今日一日も、弱気にならないように勇気がでますように!」とか
自分の心を整えられる言葉を
書いてから
その日を始める。
つまりね~、
自分の心の中に書き込まれてしまった
自分を否定的にあつかうことを
自分の意志とことばを持って
心を
書き直していくのです。
つまり
脳の中のデーターを
書き直していくのですよ。
そして
どうしても
自分の中が委縮し
怖気づいてしまうのなら
段ボールを叩いて
自分の中の
弱気を
追い払ってください。
※ 参考のために
「共存からの脱出」でかいた
段ボールワークをはりつけておきます。
自分の中から弱い自分よ出ていけ~と
段ボールを叩いて追い払うだけでも
気持ちが違ってきます。
人間は
中に溜めこむと
どんどん自分が浸食されていきます。
だから
内面に向かうエネルギーを
行動することによって
外に叩きだし
自分の中を
空っぽにしてゆきます。
自分の中に
溜めこめば溜めこむほどに
その人間の生命力は
委縮していきます。
そうではなく
なにがあっても
それでいいよ!
と
自分に寄り添い肯定し
そして
できるだけ
楽天的に
アッカラカンとして
毎日を生きることですね~!
まあ、その人が悩んでいることもほとんどが
自分の思い込みで
おそらく
他人にとっては、そんなことなど
どうでもいいことを
自分が深刻化しているにすぎないと
思いますよ!
基本的に
人間は
他人には、それほど関心をもたないものです。
人間は
いつも
自分のことばかりを考え
自分をいじくっている生きものだと
思いますよ!
このたび""YouTube"で
いろいろなお話をすることになりました。
まずは
・物語の中から奔放に読み取ってみよう!というシリーズで
今回は
「竹取物語」と
「シンデレラ」を取り上げ
女優の本田絵美さんと対談しています。
どうぞよかったら、みてださい!