「助けてください」 最終回。 |
一番最初に書いた「強迫観念」ついて
書きましょう。
人間は誰でも強迫観念をもっています。
それは幼児期や育成期の記憶の中に書き込まれた
危機意識であり、
自己防衛の意識でもあります。
不安や恐れや怯え等の危機意識が
何かをきっかけにして
自分の中で様々に再編集されて
意識の中に出てくるのです。
この再編集されてというのが
いわゆる
シュミレーションですね。
取り越し苦労とも
言います。
私の場合も
母親が強烈な強迫観念をもっていました。
彼女は歳をとるにつれ
それがひどくなり
まあ、
ありとあらゆることを
マイナスに想定し
過剰に防衛し
その不安意識のマイナスシュミレーションに中の
過剰な警戒心の中に
家族を引き込もうとしましたので
私は
ほんとうに
神経をやられました。
すべてを悪い方へと
想像し
警戒するのです。
たとえば
食べ物についても
これを食べると下痢をするかもしれない・・・と
少しでも
そういうことが
彼女の頭をかすめてしまうと
もう
するかもしれないが
するに違いない
する
という風に
だんだんと
マイナスの<確信>と
強化されていきます。
だから晩年は
あれもダメ、これもダメと
恐ろしく限定したものしか
口にしませんでした。
つまり
彼女のなかはもう
すべてのことに
逐一
疑心が渦巻いていたと
思います。
そして其の中でも
最も困ったことは
人間に対する
深い
疑心です。
他人は信頼できない…という疑心です。
世の中や
他者に対する
絶望とまでは
大げさではないにしても
嘆きが渦巻く。
この親からバトンされた
強迫観念から
いかに
脱出するかが
私の人生の大きな課題です。
すべてを疑い
マイナスシュミレーションするが
ほんとうに
そうだろうか?
ほんとうに
そういうことが
起きているのか?
自分の中の疑心と警戒心の
正体は
なにか・・・???
絶望すほどのことで
あるのか・・?
はっきり言うと
そういうことは
起きていませんし
そういうめに
あったことも
ありませんし
母の人生は
たくさんの苦労もしましたが
しかし
それなりに
幸せであったと
思います。
問題は
私の中に書き込まれてしまった
強迫観念が
何かのはずみで
私の心が弱り
自信を無くした時に
亡霊のように
私の心の中に
蘇ることです。
そういう時はもう
私の中は
何もかもが
マイナスに
短絡し
負のサイクルの中で
ドンドンエネルギーが
落ちていきます。
そして心の中には
悲しみという
鬱の水分が
湧いてくる。
こまりましたね~。
つまり
もう
神経の回路が
そういう風な化学物質を
分泌する体へと
陥ってしまっている。
さて、
ここからどのように
自分を回復していくか・・・・。
その
ひとつは
時間が解決してくれます。
時間のなかで
恐怖や不安や怯えが
自然に
風化していきます。
時間の流れの中に身を任して
それを待つのです。
そして
もう一つは
出遭いです。
色々な出遭いの中で
不安や怯えが
薄らいでいきます。
出遭いとは
弱さを共有できる
出遭いです。
散歩したり
町を歩いたりして
空や木々や畑や田圃に出遭い
動物や虫にも出遭い
ひとびとの
暮らしの風景に出遭い
凡庸な風景のなかにある
穏やかな
日常性に
出遭うことです。
荒々しくない
静かな静かな出遭いの中に
包まれる自分を
取り戻すことですね。
そして最後は
人との出遭いです。
他者の中にある
優しさとの
出遭いですね。
今、私は
とても弱っていますが
でも
そのおかげで
再度
人の優しさが
身に沁みました。
また
随分自分を見直すことができました。
あと少し
時間を掛けて
ゆっくりと回復していくと
思います。
さあ、
これで
「助けてください」のシリーズは
終わりです。
皆さま
ありがとう
ございました。

真っ直ぐ上へと昇る蔓薔薇です。
逞しいですね
※ またコメント欄を開きますが、
このコメント欄は、
自分の愚痴や嘆きや甘えのウンコを
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いつも、ブログを見て涙する時もありながら、励まされています。ありがとうございます。

私も母と、その姉達に色々な感情をバトンされてきました。
そして母達と同様に自分とも他人とも向き合わずに、私がそれらの感情を小さな娘にバトンしてしまいました。
伝心柱さんのブログを読むと逃げないことの大切さを痛感します。
まだ間に合うと信じて、自分の弱さに向き合っていきたいです。
逃げて怒りを爆発させるだけの自分から卒業したいです。
きっかけをくださった伝心柱さんに感謝します。