シャドウからの脱出 その3、他者への要求が大きすぎるとは。 |
※カウンセリング時には
全神経を動員集中させているので
カウンセリングの後の疲労が
とうとう限界にきてしまい
首への負担が危険水域になってしまいましたのでね。
それである来談者によると
カウンセリングを受けたあと
私に対する怒りが起き
三日間くらいは
自分が全否定された・・と
怒り狂ったそうです。
でもその人は
だんだん冷静になるにつれ
自分のシャドウをやはりなんとかしたいと
思い
もう
ほんとうに嫌で逃げたくなる中で
二回めのカウンセリングに
来てくれました。
よく来てくれましたね、
ここで、初めて
その人が
自分のシャドウを乗り越える
第一歩がはじまります。
そして
その人は私から全否定されたように
思い込んでいますが
全否定されたのは
その人のシャドウのみです。
なぜなら
その人のシャドウ以外の良きところが
私には
見えているから
問題点である
シャドウを否定する言葉を
私が吐き指摘するのですからね。
その人が、全然見込みのない人間なら
初めから、私は拒否(NO)ですね。
おそらく
相手にもしないし
言葉も
適当にしか言わないと思います。
シャドウ性の強い人は
自分のシャドウを主役にし
理性の自分
素直で素敵な自分を
脇役にして
これまでいきてきたので
誰に対しても
シャドウの自分がまず一番に
反応してしまうのです。
もう
◎脳の回路が
そういう風になってしまっている。
シャドウの自分とは
感情に乗っ取られている自分です。
誰に対しても
直ぐ
感情的に反応してしまい
何もかにをも
感情のレベルで受け取ってしまうのですね。
感情が治まり
理性が登場してくるのに
何日か、何週間かの
時間がかかるのです。
時に何か月も
何年もかかる人もいますし
10年くらい経って
あの時伝心柱さんが指摘されたのは
このことか・・・と。
まあ、シンドイでことですね。
そして
私もしんどいです・・・苦笑!

また、どうしても
そこが越えられず、
最後まで
理性は後退したまま
シャドウ人生で終わる人も
気の毒ですが
山ほどいます。
人間の脳は
何回も同じような回路ばかりを
使っていると
そこが強化されて
どんどん偏っていきます。
たとえば
何時も心配ばかりする人は
心配することが
常態化してしまうとか
愚痴ばかり言う人は
いつも愚痴ばかり言うと言い風に。
自分を卑下する回路
自己ディスカウントの回路
ねたむ回路
嫉妬する回路
卑屈になる回路
被害者意識の回路
憎しみの回路
などなど
そういう感情の通路の回路ばかりが
脳の中で使われていると
それが強化されて
もう
◎そういうことが優先的に
心の中で自動化して
おきてしまいます。
だから
その回路をいかに
書き換えるかが
もう
大変なのですよ。
カウンセリングでは
「死と再生」というくらいの
死=自己否定の後に
再生=新生なる自分への変換である
という厳しいことで
自分のそういう脳の使い方を
◎全否定するくらいでないと
なかなかシャドウは追いだせません。
そういう自分の自我が
コテンパーに
やっつけられ
立ち上がれないくらいに
否定されて
つまり
もうこれ以上ないほどの挫折と
打撃をうけて
やっと
その脳の回路をつかうのはやめよーという深い決心や
そうではない自分を生きよう!
つまり
違う回路
ネガティヴではない回路を
開発しようということが
始まるのですね。
そのためには
◎覚悟と決意をもって
自分の中で猛りくるう怒りの正体を
理性の自分が見る。
猛る狂うシャドウの頭を
自分が抑えつけ
その口を封じて
黙らす・・・くらいの
◎自分のとの戦いを
制して
ヤットシャドウの呪縛からの
第一歩が
はじまるのです。
実は
多くの人たちは
ここでシャドウの自分に
まけてしまいます。
使い慣れた
或いは
なじんだ
シャドウの回路のほうが
圧倒的に
強いです。
だから
せっかくのチャンスをも
水にして
自分から
今までどおりの自分を肯定し
私を悪者にすることで
もとの自分へと
戻ろうとします。
この葛藤がもう
たいへんなのですね。
だから
・自分を変える覚悟がないひと
・自分のシャドウを追いだす決意のない人は
ダメなんですよ。
もう簡単にもとの木阿弥にもどります。
だから
自分のシャドウを克服していく人は
ほんとに
限られた人です。
勇気が必要です。
そして自分のシャドウを克服した時に
その人の客観性が生まれます。
なぜなら
それはつまり
感情の暴走を
理性が制したということですからね。
人間は、理性を使いこなせないと
とても苦しい
シャドウ人生に
陥ってしまいます。
でも
この
感情がぶり返して
怒り狂うという
関門を
抜けて
覚悟したら
もう
シャドウの下で
押し殺されていた
その人らしい
素直で素敵な自分への
扉が開けてきます。
自分の中の
光も
影をも
許容する自分です。
成熟へとむかう自分の自我です。
そうなると
いいね。
私は祈りますよ!
さて、今日は
実は前回、書き忘れたことを
書こうと思います。
それは
シャドウの問題性として
ふたつ挙げたなかでの
もう一つ
・他者への要求が大きすぎる・・・と
いうことの説明を書き落としたからです。
もう分るひとには
分ったと思いますが
シャドウ性の人は
常に自分を脇役において
他者の動向を
探りながら
自分の態度を決めています。
つまり
自分を主役にしている人間は
他者のことなどおかまいなく
まず
自分を生きようとしますが
シャドウ性の人間は
相手の動向動静をみる・・・という
相手との関係のなかで
自己決定をするので
常に
他人に左右されざるを得ないのです。
だから、いつも
他人が
・自分の思いどおりになってほしいという欲求や
他人が
・自分のことを気づいてほしいという欲求や
他人を
・コントロールしたい
或いは
・支配したいという欲求に駆られます。
しかし
人間は
それぞれが
◎個々の脳の<カプセルの中>で
生きていますから
人間は他人のこころなど
分らないのです。
人間は
◎他人とは全く関係なく生きており
行動するものなのですよ。
他人のことなどを思って
行動しないのです。
自分に必要だとおもうことしか
しません。
他人のことを思いやるのが
自分に必要だと思った場合に
他人のために行動するだけです。
だから
他人が自分の思い通りになることなど
ありえません。
偶然思いが重なるということは
有り得ますが
それも、何かが一致したりする
偶然において
そうなるだけです。
つまり
シャドウ性の人は
いつも実りのない
架空の他人との不毛な
シュミレーションをしては
自分が仮想した他人という幽霊と
相撲を取っては
自分が傷ついているのですね。
つまり
・他者への要求が大きすぎる・・・と
いうことです。
さらにシャドウ性の人間は
自分の心をけどられないように
ひたすら自分を
隠しているにも
かかわらず
いつも
・自分のことを理解して欲しい
・受け入れてほしい
・認めて欲しい・・・というような
ものすごく
矛盾した欲求を
持っています。
なぜなら
いつも脇役の自分が
み・た・さ・れ・て・い・な・い
からです。
おかしいでしょう??!
いつも
自分のシャドウの脳回路で
シュミレーションしては、
他人に裏切られ続ける
どんどん自分の傷(闇)を広げる。
これが
シャドウ性の強い人の
本質です。
ぬけだせると
いいですね。
では
次回は
恐怖の正体を
乗り越えることを
かきましょう。

ボケちゃいました!
※ またコメント欄を開きますが、
このコメント欄は、
自分の愚痴や嘆きや甘えのウンコを
落とす場(便所)ではありませんので
原則として非公開は受け付けません。
また、否と判断したものは
どんどん削除しますので
ご承知おきください