シャドウからの脱出 その4 自分の怒りを取り戻す! |
他者への要求が大きすぎるとかきました。
そして
同時に
人間は、
それぞれが自分という人間の記憶のなかに
生きていますから
他人とは
自分とまったく別ものの世界を生きているという
認識が
とても大事です。
その認識がない人たちは
つまり
他人と自分とは
まったく違う世界をいきているということを
自分に徹底させていない限り
他人と自分を一体化させて
そこに自分の感情を放り込んで
他人の行動や行為を
判断して
しまうのですね。
そしてこれは声を大にして
言いたいし
分ってほいしのですが
嫉妬に値する人間など
この世には
一人もいません。
ねたみに値する人間も
さらに
憧れに値する人間も
ひとりもいません。
つまり
どんな人間も
他人には知りえない
苦痛と
苦悩と
悩みの中に
生きているからです。
いかなる人間も
人間として生まれたからには
そういう
苦の中を生きるのですね。
シャドウ性の強い人は
このことが
わかっえていないために
他人を羨んだり
嫉妬したり
さらに過剰に
憧れたり
依存したり
してしまうのです。
でも
それは
ほんとに
甘えですよ。
ただ、
こういう人たちは
自他の分離ができていないから
他人に対して
自分のものさしを持ちこんでしまうのですね。
つまり
客観性(理性の眼)が大きく欠けているから
すべてを感情レベルで
判断してしまうのですね。
では
客観性を育てるには
どうしたらいいか・・・というと
それは
・親との分離を果たす
・たくさんの失敗と挫折をする
という
人生の関門をくぐりぬけなければ
ならないのですね。
そして
なぜ
・親と分離できないかというと
◎ 親に対する恐怖が抜けていないからです。
子供の頃
自分を養い、
自分より圧倒的に強く
自分に対して権力をふるう
母親と父親から
植えつけられた
その人間の
インナーチャイドが持っている
恐怖です。
だから
その子供の頃の自分が
持ってしまった
恐怖の中身を
見当する必要があると
言うことです。
そしてね、
これがもう
たいへんなんですが。
人間は
その恐怖が強烈であればあるほど
その記憶を封印して
◎なかったことに
してしまいますからね。
依存の度合いが強ければ
強いほど
自分の親は
そんなことなどない・・・という
強い肯定感があるはずです。
実は
私もそう思っていました。
しかし
私の中にある
シャドウの感情に
自分が翻弄されている
ということも
事実で
苦しんでいましたから
あるときから
そのことを
自分が
思いだす・・ことに
許可を与えだすと
もう
悲しい思い出が
たくさん蘇ってきました。
ここも
自立し
自他の分離を成し遂げる
辛い、辛い
関門のひとつですね。
でもね
その人が愛されなかったわけでは
ないのですよ。
愛されたのですが
人間の弱さとして
親からの
負の感情も
受け取ってしまった・・・と
言うことです。
親も
未熟な
不完全で弱い人間なんですよ。
親との関係で
子供の自分は
どのような
負の感情を
バトンされたかを
思いだしたら
その次は
その感情を
お掃除します。
お掃除するためには
・怒りが
必要です。
なぜ怒りが必要かというと
おそらく親との関係で
その人間は
親の強さに対抗できず
自分の中で
怒りを
委縮させているはずだからです。
どこかで
怯えている自分がいるはずです。
自分の中で
怒りを
委縮させている人間は
・戦うことを回避し
・あきらめやすく
・その反動で
・いつも嘆きのなか(自己憐憫)で
・シャドウ性がつよくなる
からです。
これを
お掃除するのですよ。
これを
お掃除すると
そこに
その人本来の生命力が
蘇ってきます。
つまり
親に負け
親に譲り
親を乗り越えられないと
そこに
シャドウの自我を
形成してしまうが
怒りでもって
自分の中から
親に対する恐怖を追いだすことで
その人間本来の
パワーと秩序が
回復すると
言うことです。
さて
それでは
次回
もし怒りが
起きてきたら
どう処理するかを
かきましょう。
言っておきますが
この自分の中の怒りが
処理できていないから
自分の家族や
子供を
はけ口にしてしまうのですぞ!
いけませんね~。
それは
親の過ちを繰り返しているだけですからね。
それでは
次回!