2014年 09月 28日
「花子とアン」 みなきゃあ~よかったなあ~!その3 |
NHKの朝ドラだからね~、
そんなにムキに見ることもないけど
とも思いますが・・・・
。
まあ、朝ドラというと
話も軽いし
だいたいがほとんど
演技のできないヒロインで・・・と
おもっていたから
「芋・たこ・南京」と
「ちりとてちん」くらいを見て
後はほとんど見なかったんだけど
私は料理がすきだから
前回の「ごちそうさん」が面白く
そして
あのキムラ緑子さんと近藤正臣さんの
演技がよかったので
その延長上で
そして今回は
「赤毛アン」を訳した村岡花子さんということで
うっかりと
見てしまった・・・・・。
でも
人間の掘り下げがまあ、安直でした。
このドラマの脚本家も演出家も
なにが言いたかっったのかね~?
村岡花子さんは
たしかに
翻訳することが好きだったのでしょうけど
それ以上に
「緑の切妻の家のアン」の世界の
素敵さと軽快な面白さに
惹かれて
魅惑されて
書いたからこそ
たとえ違約や誤訳や飛躍があったとしても
そんなことなど関係なくするほどの
あのキラキラした
<村岡さんの言葉世界>が
生まれたのだと思いますよ・・・。
人間が
いい仕事をする・・・というのは
対象の中にある
内容の素晴らしさが
その人間をも輝かせていくのであり
そこに
村岡さんのいい仕事があるだと
思いますよ・・・。
しかし
そういう
アンの世界と
村岡さんの出遭いは
全く描かれて
いませんでしたね。
ほんとうに残念ですけど
今回は
人間の掘り下げが浅くて~。
<赤毛のアン>という名作で
視聴者を
つった・・・というような内容でした。
さらにその安直さが
花子さんだけでなく
白蓮さんをも
薄っぺらな女にしてしまいました。
それもNHKの朝ドラだから
仕方ないのかな・・・?
このドラマでは
村岡さんが
”ごきげんよう”と
どんどん上流かぶれになってゆき
最後の方は
どこの上流のご家庭かと
思いましたが
村岡さんが訳した
「あしながおじさん」のジルシャーは
孤児である自分のアイデンティティーをしっかりと
立てており、
むしろ
上流のお嬢様たちを
揶揄している。
おそらく村岡さんも
そうであったと
思います。
さらに
戦争中にああいうお兄やんの憲兵なんか
有りえないし
憲兵が安易に許されるはずもないです。
ほんとうに
きちんと
時代を
取材をしていたらね・・・。
高村光太郎も
自分が書いた戦争を賛美する詩が
糾弾されることを
恐れただけでなく
時代のなかで
そういう詩を書いた
自分を
許せず
ずーっと
山奥へと
引き籠ったのだと
思います。
戦争画をかいた
藤田嗣治だって
日本へ帰れず
とうとうフランス人へと帰化したでしょ。
それくらい
当時の文化人は
戦争の反動に
震えあがっていたもんです。
村岡花子さんだって
同じでしょ。
さらに
戦争中も、また戦後も
食糧難では
餓死した人間もいるのに
まあ、
花子さんは山梨からいつも
助けがきて。
私の母などは
戦争中
農村へ
ヤミのお米や食料を買いだしに行った帰りの汽車で
憲兵が乗り込んできて
もうそれらが入っていたリュックを捨てて
逃げた・・と言う話を
何度もききました。
その食料と引き換えるために
着物や大切な物が
もうクズのように買いたたかれた
と嘆いていました。
このドラマで描かれる
あの時代の
なんと軽いことか・・・・。
戦後はそういう
もう
大変な混乱の時代の中で
それでも
国家が崩壊したことで
国家に依存していた国民は
それぞれが
自立せざるを得なくなりました。
そのことがかえって
あの時代での
解放感を生み
さらに
アメリカ文化(英語圏の文化)が
ドンドン世の中を
席巻していきました。
村岡花子さんの
「赤毛のアン」は
それまでの
重苦しい
日本の軍国・封建社会が
崩壊する中での
アイデンティティーが
崩壊した人々へ
次への
希望を引出してくれる
<アンの物語>で
あったと思います。
だからもしかしたら
村岡さんも、
そういう時代の”雰囲気”を
見定めながら
<アンの物語>の出版のタイミングを
諮っていたかも
しれませんよ。
しかし
残念なことに
戦後の流れは
すべてが
アメリカンナイズされ
アメリカ的な消費生活が
美徳として宣伝され
日本人の
羨望として
何でも
かんでも
アメリカ的なものが
無検証に
日本人の生活と
文化を
浸食
席巻していきました。
その延長上に
アメリカの属国的な
日本の政治が生まれてしまいました。
アメリカから
日本が
どういう風に
自立するかが
今の日本の
課題ですね。
最後に
茂木さんの出演について。
偶然ですが
今
私は茂木さんが書かれた本を
再度
読み返していました。
脳科学に基づいた
とても深い内容と
素晴らしい言葉とで
書かれた本です。
でもそれはそれとして
茂木さんは
ものすごく頭がいい人であり
高次レベルにおける
抽象化された人間を語るのは
たいへん
優れていると思います
が
一方で
大衆のリアリティーに関しては
ものすごく鈍感な
腋の甘い
オッサンだと
思いますよ・・・。
いい人なんだけど
大衆の深い傷や
今の時代の
閉塞的な息苦しさというものに
どこか
感度が
甘い。
だから
大衆をあまく見くびっており
ウカウカと
うかつに
出てくる。
ナメちょるね~。
大衆は一方で
猛毒を持っている存在でるあることを
彼は見くびっている。
彼はいつか
その反動を
受けるとおもいますよ・・・
。
ちなみに
ドラマの脚本家もNHKの関係者も
どこか
大衆を
見くびっているように
私は思いました。
もっと
もっと
人々が
シリアスに
シビア~に
生きていることを
きちんと見極めた
仕事をしてください。
そんなにムキに見ることもないけど
とも思いますが・・・・
まあ、朝ドラというと
話も軽いし
だいたいがほとんど
演技のできないヒロインで・・・と
おもっていたから
「芋・たこ・南京」と
「ちりとてちん」くらいを見て
後はほとんど見なかったんだけど
私は料理がすきだから
前回の「ごちそうさん」が面白く
そして
あのキムラ緑子さんと近藤正臣さんの
演技がよかったので
その延長上で
そして今回は
「赤毛アン」を訳した村岡花子さんということで
うっかりと
見てしまった・・・・・。
でも
人間の掘り下げがまあ、安直でした。
このドラマの脚本家も演出家も
なにが言いたかっったのかね~?
村岡花子さんは
たしかに
翻訳することが好きだったのでしょうけど
それ以上に
「緑の切妻の家のアン」の世界の
素敵さと軽快な面白さに
惹かれて
魅惑されて
書いたからこそ
たとえ違約や誤訳や飛躍があったとしても
そんなことなど関係なくするほどの
あのキラキラした
<村岡さんの言葉世界>が
生まれたのだと思いますよ・・・。
人間が
いい仕事をする・・・というのは
対象の中にある
内容の素晴らしさが
その人間をも輝かせていくのであり
そこに
村岡さんのいい仕事があるだと
思いますよ・・・。
しかし
そういう
アンの世界と
村岡さんの出遭いは
全く描かれて
いませんでしたね。
ほんとうに残念ですけど
今回は
人間の掘り下げが浅くて~。
<赤毛のアン>という名作で
視聴者を
つった・・・というような内容でした。
さらにその安直さが
花子さんだけでなく
白蓮さんをも
薄っぺらな女にしてしまいました。
それもNHKの朝ドラだから
仕方ないのかな・・・?
このドラマでは
村岡さんが
”ごきげんよう”と
どんどん上流かぶれになってゆき
最後の方は
どこの上流のご家庭かと
思いましたが
村岡さんが訳した
「あしながおじさん」のジルシャーは
孤児である自分のアイデンティティーをしっかりと
立てており、
むしろ
上流のお嬢様たちを
揶揄している。
おそらく村岡さんも
そうであったと
思います。
さらに
戦争中にああいうお兄やんの憲兵なんか
有りえないし
憲兵が安易に許されるはずもないです。
ほんとうに
きちんと
時代を
取材をしていたらね・・・。
高村光太郎も
自分が書いた戦争を賛美する詩が
糾弾されることを
恐れただけでなく
時代のなかで
そういう詩を書いた
自分を
許せず
ずーっと
山奥へと
引き籠ったのだと
思います。
戦争画をかいた
藤田嗣治だって
日本へ帰れず
とうとうフランス人へと帰化したでしょ。
それくらい
当時の文化人は
戦争の反動に
震えあがっていたもんです。
村岡花子さんだって
同じでしょ。
さらに
戦争中も、また戦後も
食糧難では
餓死した人間もいるのに
まあ、
花子さんは山梨からいつも
助けがきて。
私の母などは
戦争中
農村へ
ヤミのお米や食料を買いだしに行った帰りの汽車で
憲兵が乗り込んできて
もうそれらが入っていたリュックを捨てて
逃げた・・と言う話を
何度もききました。
その食料と引き換えるために
着物や大切な物が
もうクズのように買いたたかれた
と嘆いていました。
このドラマで描かれる
あの時代の
なんと軽いことか・・・・。
戦後はそういう
もう
大変な混乱の時代の中で
それでも
国家が崩壊したことで
国家に依存していた国民は
それぞれが
自立せざるを得なくなりました。
そのことがかえって
あの時代での
解放感を生み
さらに
アメリカ文化(英語圏の文化)が
ドンドン世の中を
席巻していきました。
村岡花子さんの
「赤毛のアン」は
それまでの
重苦しい
日本の軍国・封建社会が
崩壊する中での
アイデンティティーが
崩壊した人々へ
次への
希望を引出してくれる
<アンの物語>で
あったと思います。
だからもしかしたら
村岡さんも、
そういう時代の”雰囲気”を
見定めながら
<アンの物語>の出版のタイミングを
諮っていたかも
しれませんよ。
しかし
残念なことに
戦後の流れは
すべてが
アメリカンナイズされ
アメリカ的な消費生活が
美徳として宣伝され
日本人の
羨望として
何でも
かんでも
アメリカ的なものが
無検証に
日本人の生活と
文化を
浸食
席巻していきました。
その延長上に
アメリカの属国的な
日本の政治が生まれてしまいました。
アメリカから
日本が
どういう風に
自立するかが
今の日本の
課題ですね。
最後に
茂木さんの出演について。
偶然ですが
今
私は茂木さんが書かれた本を
再度
読み返していました。
脳科学に基づいた
とても深い内容と
素晴らしい言葉とで
書かれた本です。
でもそれはそれとして
茂木さんは
ものすごく頭がいい人であり
高次レベルにおける
抽象化された人間を語るのは
たいへん
優れていると思います
が
一方で
大衆のリアリティーに関しては
ものすごく鈍感な
腋の甘い
オッサンだと
思いますよ・・・。
いい人なんだけど
大衆の深い傷や
今の時代の
閉塞的な息苦しさというものに
どこか
感度が
甘い。
だから
大衆をあまく見くびっており
ウカウカと
うかつに
出てくる。
ナメちょるね~。
大衆は一方で
猛毒を持っている存在でるあることを
彼は見くびっている。
彼はいつか
その反動を
受けるとおもいますよ・・・
ちなみに
ドラマの脚本家もNHKの関係者も
どこか
大衆を
見くびっているように
私は思いました。
もっと
もっと
人々が
シリアスに
シビア~に
生きていることを
きちんと見極めた
仕事をしてください。
by denshinbashira
| 2014-09-28 07:14
| 人間
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