人生は美しいか! |
上原ひとみさんの演奏を見て、
聞きながら
ここまで自己を投入させ
最後のピリオドまでを
やり抜いてこそ、
何かが生まれると
改めて思いました。
私自身も一筋のものを追い求めて
生きている。
それは次の春には68歳にもなろうという私でも
まだまだ、
その先に未明なものが
山ほどある。
その未明なものを
明かし
ひとつの真理(結論)へと
辿りつくには
自我を純粋な理性へと
セットしなければならず
ともすると
私の自我の汚れの中の
ゴミの感情が
ものの真理を見極めようとする私の中で
湯垢のように浮かんで
邪魔をする。
その邪魔をしようとする感情を
まるで
五右衛門風呂の底板を押し沈めようとするように
全身でその感情に
圧力をかけて
イナ(ノー!)と
排除する。
※ 若い人は五右衛門風呂なんて
分らないよね~!
石川五右衛門という悪党が
ぐらぐらと湯が沸きたつ
鉄の風呂で処刑された・・・というエピソードからくる
鉄のお風呂のことです。
その鉄のお風呂には
木でできた底板が浮かんでおり
その板を下に踏み沈めながら
お風呂に入るのです。
自分を突き離し
大いなる公平(純粋)の理性で
自分を見ようとするときに
感情は
ものすごい本能的な強いエネルギーだから
私のなかの
甘ったれの
自己防衛感情が
働き出すと
抵抗し
言い訳を言いに
すぐ
頭を突き出そうと
するのです。
それの自我の感情に
圧力をかけて
イナ(NO)と
断言し
下がれ・・・と
退ける。
退けて
感情が
絶対
出しゃばらないように
自分の片足でそれを踏みつけておきなが
その一方で
自分が向き合わなければならない
自分の抱えていることの本質と
向き合うのです。
そういう作業をしたのち
私は
自分が
ごまかさないで
見なければならない、
或いは
受け入れなければならない
現実を
まるごと
呑み込みました・・・ら
メニエルの症状がきたと
いうことです・・・・笑!
生きることは
逐次体当たりで
その時、その時に
きちんと
ピリオドを
打つ。
そしてそのピリオドからまた
先に
人生が開けてきます。
昨日も書きましたけど
私達の脳は
常に動いて
自分を生かそうをしてくれる。
その自分を生かそうとするとき
自分の意識が
どうであるか
ということが
問われるのですね。
その意識が
汚れていたり
垢まみれだったり
シャドウの集めた
ネガティヴな感情の
ごみだらけだと
もう
脳はそういう方向こそが
その人間の生きる道だと
思いこんでしまいます。
※ 意識の汚れ、感情の汚れは
無意識領域に潜んでいます。
その時
その人間は
心の奥の奥の方で
そうではないんじゃかな~と
微かに
そういう声が聞こえたとしても
(つまり感情を伴わない理性の声が聞こえたとしても)
よほどの勇気と覚悟をもって
その感情を追い払わないと
そのもっとも大切な声
(自分の澄みきったこころ)が
消えてしまいます。
でもね、
そこをのりこえていくと
脳は
素晴らしい自分の味方であり
戦力であり
知恵の宝庫です。
※ 当たり前ですね、
脳の汚れや垢や錆が
取れるのですから
もうどんどん働きますよ!
そこを乗り越えていくためには
汚れた自我の自分の感情を
振り払い、
自分の中の
一番純粋で
澄んだ自分へと
眼差しを
向けることですね。
自分という存在が
なにににもまして
<美しい>
ということに
目が覚める
気づくことです。
次回対談予定<イ・チャンドン監督>の映画の
「ペパーミントキャンディー」の主人公キム・ヨハンは
「人生は美しい」かと
彷徨います。
まあ、そのことも含めて
対談の中でお話できたらいいかと
思います。
<映画対談>のU-チューブがアップされました。
<映画から自由奔放に読み取ってみよう!>
第一回「こわれゆく女」より
映画監督 ジョン・カサヴェテスの世界。
撮影 能勢広 秋葉清功
編集 村上浩康
お知らせ
この映画で、私との対談をしてくださっているのは
映画監督の村上浩康さんです。
その作品である
・流(ながれ)
・ちいさな学校
のDVDを
ブログを読んでくださっている皆様に
私からギフトいたします。
心が澄んでくる
とても素晴らしい作品です。
ご希望の方は、どちらかの作品、或いは
両方の作品かを
明記のうえ
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今のところ
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