人生は美しいか!その5・無意識の海から! |
人類史の進化の過程で
人間が獲得してきたもの(DNA)
と
自己経験により収集した膨大なデータの海に
意識という
自覚化した自分を
浮かべていきています。
そして
無意識には
いわゆる自分の生きてきたことが
背景として
無言歌のように
紡がれています。
先日、村上浩康監督から
<イ・チャンドン>の書いた小説を二編
貸していただき
昨日それを読みました。
そこには
どちらも
<自己の存在の尊厳>に気づいた人間の
激しい生きざまが
書かれてありました。
そして
このところ頂いた
公開、非公開のコメント
どちらにも
自分の存在の価値に
目覚められたということが
投稿されています。
私がここで書き続けているのも
そのテーマは
<自己の尊厳に目覚める>と
いう事です。
自分という人間の存在に
価値を見いだすことです。
さらに
自分が積み上げてきた
すべてのことを
自分の存在の根拠として
それを
足場にして
自分を生きる。
いわゆる
人間社会における
人間が造った文脈で
縛られない自分を生きる。
自分を根拠に
無意識と意識の往来のなかから
浮かんでくる
・自分の感覚
・自分の直感
・自分のひらめき
・自分の欲求を
・自分の考え
を
しっかりと受けとめて
それを手がかりに
<今>を
生きるのです。
他人の言葉や
世の中の文脈などには
マカレナイ
自分です。
自分の中にこそ
すべての答えがあります。
ずっと書き続けた
裁判のことも
ただ
エキセントリックに書いたのでは
ありません。
そこには
<自己の尊厳>に目覚めた
C子さんや
たくさんの方が
おられました。
自分がなぜ苦しむか
その多くには
自分を粗末にし
自分をないがしろにし
自分をディスカウントすることによって
他人に依存し
社会に媚び、依存するから
そうなるのです。
そうではないのですよ!
私達の無意識は
常に
社会を超越しているのです。
人間が吐き続ける
相互を縛り合う
雑音や騒音を
超越しているのですよ。
でも
それらの雑音や
騒音に
依存し媚び
取り込まれるから
苦しいのです。
無意識という膨大なデーターバンクから
自分に必要な事を
汲み上げていくには
まずは
自我の汚れに気づき
その汚れを取り除くことが
必要です。
その汚れを取り除き
垢やあくを取り除いた無意識世界には
もう
澄みきった水が流れ
自分のすべてのこと
良きことも
悪しきことも
苦々しい体験も
悲しみや憎しみさや
絶望の体験さえも
すべてが
人生の旨みへと結実させる
宝物が
山のようにあります。
人間が生きるということは
自分という人間を
根拠に生きるしか
ないのですよ。
自分を信じ
自分を根拠に生きようとするとき
はじめて
それまでは
解決不可能に思えたことの土手に
穴が空いてきます。
光が
見えてきます。
そして
その時初めて
自分と
自分以外の人間の
繋がりとはなにか
が
見えてきます。
そのことは
次回の映画の対談で
お話しできると
思います。
そして
コメントに書かれていることを
読ませていただくたびに
このブログを書いてよかったなあ~と
思います。
どうぞ皆さま
ご自分の人生と
自己尊厳を
大切にされてください。
それを
祈るばかりです。
<映画対談>のU-チューブがアップされました。
<映画から自由奔放に読み取ってみよう!>
第一回「こわれゆく女」より
映画監督 ジョン・カサヴェテスの世界。
撮影 能勢広 秋葉清功
編集 村上浩康
お知らせ
この映画で、私との対談をしてくださっているのは
映画監督の村上浩康さんです。
その作品である
・流(ながれ)
・ちいさな学校
のDVDを
ブログを読んでくださっている皆様に
私からギフトいたします。
心が澄んでくる
とても素晴らしい作品です。
ご希望の方は、どちらかの作品、或いは
両方の作品かを
明記のうえ
このブログのコメント欄に非公開で
住所、氏名をお書きください。
今のところ
残り二名様です。
「小さな学校」を、夫と二人で観させて頂きました。学校のトップである、校長先生の人柄が、すべての人に良い影響を与えていると思いました。生徒たちも、先生方も、そして校長先生も、みんなで和気あいあいとして、生徒たちの心が健全に育っているなあって思いました。それは、上下関係でなく、横の繋がりを強く感じたからです。
校長先生の、フリーチャイルドが素敵でした。
校長先生が子供たちに、お礼の言葉を言っていましたが、生徒たちは、自己存在感を感じただろうと思います。これからも、両親を始め、沢山の大人に承認してもらって、自己存在感を、大きくしてほしいなあと思いました。
良い感情も、負の感情も自然の法則の通り、上(強者)から下(弱者)へと流れることを感じました。
社会的に上下関係はあっても、感情面の上下関係が無い人が人格者だと、最近、感じるようになりました。
子供たちのイジメも、モラハラも、パワハラも強者から弱者への負の感情が流れていったものですね。 それに打ち勝つのは、自己の尊厳(自己肯定感)を、もっともっと、強く大きくしたいと思います。