宮沢賢治 未来への希望! |
アインシュタインの相対性理論を
賢治が知っていたと思い
その事に関するん本を取り寄せてみた。
確かに賢治は相対性理論を
読んでいたらしく
それも英語の本で
それが賢治の蔵書のなかにあったと
いう事です。
まあ、当時の人間としては
えらく
頭の中は近代化していたと
言うわけですね。
その賢治が羅須地人協会で失敗し
体を壊して
実家に戻ってきます。
その時急性肺炎になって
高熱をだし
花巻協立病院の医師が
手遅れになるといけないからと
入院を勧めるのですが、
賢治の母親が迷います。
彼女はなんとなく病院へ賢治を
やりたくないとおもったらしく
病院へいくのではなく
その事を占い師に見てもらいます。
すると占い師から
「家をでるのは悪い」といわれたので
それを理由に
賢治は看護師をつけて自宅治療となりました。
しかしそれからの二週間
賢治は生死の境をさまよいます。
賢治は一応山を越え回復するのですが
以来一度失った健康を
取り戻せない体になりました。
もう一つのエピソードとして
賢治の病気に効くということで
母親から
<カタツムリ>や<鯉の生き胆>を
オブラートに包んで飲まされたり
しました。
しかし後でそれを知った賢治は
「こういうものを飲んでまで
生きなくともいい」といって泣いたそうです。
まあ、お母さんもなんとかして
賢治の病気を治したいと
思ってのことでしょうが
相対性理論を理解していた
賢治の科学性や
化学にも通じていたことなどを
思うと
つくづく
賢治を取り巻く環境の後進性と
彼の近代性との間の
大きなズレを感じます。
賢治はこういう環境のなかで
苦しかったでしょうね~。
賢治の生きていた時代は
脳科学などの
脳の研究が
まだまだ未明の時代で
人間は
脳と心といいう
二つのもので
生きているという
二元論が主流ですから
賢治も
心と脳(物質)を
どのように
止揚していくかを
真剣に
考えたのだと思います。
今では
法華経も
BC1~AD3世紀くらいまでの間に
仏教者達によって書かれたものであると
分ってきました。
法華経の世界は
今でいうと
仏教ファンタジー物語の世界で
様々な菩薩や観音さまは
いわゆるキャラクターというところだそうです。
このことは
三田誠広氏の著書
「一冊でわかる『仏教』って何?」
講談社+α新書
という本に詳しく書かれています。
それと
賢治が生きていた頃
流行ったものに
心霊科学(スピリチャル)というものがあります。
これも
脳と心という二元論で
科学と心の神秘とを
なんとか
強引に結び付けてしまうおうという
もので
宇宙を人格化し
<宇宙意志>と言うものをものを
ひねりだして
設定しています。
※この宇宙意志というのも
科学的根拠のない
なんだかわけがわからないのですが
こういうことをさも
根拠があるように脚色してしまう人間と
もうあっさりと
信じてしまう人間が多々いるということが
問題ですね。
この宇宙意志というのが
法華経では
<大日如来>に
あたります。
※しかし仏教の祖ある釈迦自身は
こんなことなど
何ひとつ言っていません。
後の人間が考え出したものです。
日本でもいろいろな人が
心霊科学の影響を受けており
「遠野物語」を書いた柳田國男なども
その一人で
「遠野物語」を書いたときの
協力者、佐々木喜善も
賢治に会いに行っています。
これも山根知子さんの
「宮澤賢治 妹トシの拓いた道」朝文社
という著書に
詳しく書かれています。
今も多くの人は
脳と心とは
別だと思っているひとが
たくさんいます。
一方現代科学は
素晴らしい速度で
脳を解明していっています。
そこには
ひとつのことから反応し始めた脳が
自分の脳に記憶した
多くのエレメンツを
連想しながらが
次々と連鎖、連結していき
まるで
シンフォニーのように
自分の全体性を
立ち上げていきます。
そして
最終的な帰結へ=答えへと
と収斂していったものが
私達の意識として
意識化されます。
シンフォニーですから
明るい音も
暗い音も
歓びの音も
不安や絶望の音も
全て
自分がしこんだありとあらゆる
記憶のエレメンツが
自分の世界を網羅して
交叉し
関連し
関係しながら
最終的に
特化したところで
結論を
出していくのです。
それが
つねに瞬時に行われているのですから
凄いですね~!
このところ
オウム真理教の裁判のことが
報道されていますが
宗教やスピリチャルに依存し
マインドコントロールされてしまった人間が
とんでもない事を
しでかしてしまいました。
しかし
これも人間の不安と怖れが
根底にあると
私は考えます。
それが宗教やスピリチャルへの依存を
引き起こしての
結果だと
思います。
宗教というものも
人間の脳が考えだし創作した
世界です。
それは
どのように生きたらいいのかという
人間の不安を解消するために
人間が考え出したのだと
思います。
しかしおそらく
これからは
人間が
自分達が創りだした
宗教という怪物を
切開し
解体していく時代へと
入ったと
思います。
まあ、
多くの人が
宗教も
人間の創作物であると
認識するには
もしかしたら
100年くらいかかるかも
知れませんけど。
しかし
今は、時代が
情報時代に入ってしまい
情報が国家や民族や社会のフレームを越えて
飛び交っています。
その時
逆に
宗教への依存と固執による
反動的が当然のように
起きてきて
事件となり
表面に露出してきています。
今回のイスラムのことも
そうですね。
そういう事が
たくさん出てきたとき
人間と宗教
さらに
人間と
こころとは
ということを
俎上にのせなければならなくなると
思います。
このことも
すこしずつ
書いて行こうと
思っています。
これも
かなり難しい内容ですが
頭を柔らかくして
読んでいただければ
いいかな~と
思います。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は
賢治が
なんとか
科学と心と止揚し
さらに
人間の世界に
希望を持ちたいと考えて
書いたのだと
私は思います。
だからこそ
ジョバンニは
この世へと
戻ってきました。
おそらく
そういう賢治を
周囲のだれもが理解できなかったのだと
思います。
しかし
それでも
賢治は力を振り絞って
四回も書き直しながら
この作品を書きました。
そこに彼は
自分の命を託したと
思います。
でも一方で
トンデモない
思いこみにも
捉われてしまい
とうとう体を壊してしまいました。
彼が現代に生きて
脳科学を理解していたらと
思うと
とても残念です。
このブログも
お伝えしたいことが
あまりに複雑で
難解なので
時に
挫けそうになりますが
まあ、
焦らず書きましょう!
皆さまも
さぞや疲れることと
思います。
そんな中で
読んでくさり
ありがとうございます。
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