夢から醒めるということが、人間は幻想のフレームを創って生きてきた。 |
脳の機能は
人間の欲望や欲求を追求し
その命を保全しようとするシステムであり
人間社会における想念や観念はすべて
脳を使って
人間が創りだしたものであることを
書きました。
今日はその人間がつくりだし
観念化しているそれらが
じつは幻想であるということを
書きます。
とても難解で
訳が分からない、ピンとこない
と思う人もたくさんいるかもしれませんが
心のメカニズムを解きながら
説明できたら・・・と
思います。
今回の衝撃的な事件も含めて
この国の未来を考えると、
この国が今纏っているありとあらゆる既成条件をすべて,
根底から検証する必要があるように
思います。
この国をどうしたらいいのか。
この国の人々が生き延びていけるには
何が必要なのか。
ごく一般的な考えとしては
多くの日本人が経済を優先し
安部さんのように景気回復を考えるのが主流かもしれませんが、
私はそこにちょっと首をかしげてしまうのです。
でもその首をかしげる…というのが私の独特の世界観でもあり、
私という人間の独特の視覚から
見えているものかもしれません。
それは
もしかしたら多くの人々には
ピンとこないかもしれませんが書いてみます。
本当の富とはなにか。
本当にこの国の人々が、
充足と幸福を手に入れるには何をしたらいいかを、
それは当面の手当とは別に、
長い時間のスパンの射程で考える必要があります。
これまでの富(欲望)を追い求め続けてきた人間史を洗い直し、
次を生きるための新しい構想が必要です。
それには今までの人間が思ってもみなかったような
新しい人間観と世界観が、必要です。
そしてそのカギは無意識領域にあると私は考えています。
人間は、自分が意識して生きているように思い込んでいますが、
そのほとんどは無意識での行動であり、
また意識そのものも、
無意識の中にあるものが反動としてひっくり返って
意識の中にあらわれてきます。
まあ簡単な例が
卑近なたとえでスミマセンが、
自分のことをバカだと無意識で認識している人間は、
意識では自分はバカではないという
強烈な自意識がとんがり、
自分のことをバカにされないように
偉そうにふるまったり、
知ったかぶりやまた他人を自分より
下位に扱おうとします。
逆に自分に充足しているにんげんほど
自意識は平らになり
自分に集中し
他人にどう思われようと
頓着しなくなります。
つまり無意識にある自己イメージが働いて
その人間の存在の仕方を決定してしまうのです。
まあその辺のことは
今までさんざん書きましたので自分で検証してみてください。
この無意識層にあるものがひっくり返って意識となり
その人間の外部世界を形作っていきます。
そしてそれらの人間の総体が
人間関係に投影され、
社会という意識された世界、
カテゴライズされた世界となって、
人間たちの外部世界をフレーム化して創って行きます。
自信のない国
たとえば隣国北朝鮮などの
自信のない指導者たちの作る社会のフレームが
どうであるかは
おはなしする必要もないほど
明白でしょ。
話しを無意識と意識との関係に戻すと
なぜ、無意識が反動として意識になってしまうかは、
そこに無意識領域で集めたデーター記憶認識に、
危機感や不安感や恐れなどがあり、
その危機や不安や恐れを克服するために
意識の上にたてた自我で、
自分を防衛しようとするからです。
さらに無意識領域での飢餓感や自己抑圧が激しいほど、
自己喪失の危機感が募り、
自分の欠落や渇望を埋めるために
さまざまに欲望を果そうとしたり、
他者への示威行為となったり
逆に依存へ自己保護行為として
それを叶えるために他者へ期待したり、
憧れとして自分以外の人間や集団に依存し
外部世界を、
幻想化していきます。
社会とはそういう無意識層の中にあって
無意識を脅かすものが
自分のディスプレー意識(自我)となり、
その意識によってたてられたそれぞれの人間の無数の自我の牙城が
さまざまに蠢き交錯し、
時に交戦しながら表面を形作っていきます。
欲望と依存と期待などが、
まるで叶える事ができるかのような幻想として
各々の脳のプロジェクターから発せられ、
その幻想が交差してうまれる共同の意識空間が社会です。
しかしそれは、あくまでも
幻想と思い込みで築かれていく、
錯覚の共同の世界であります。
中に危機感を孕む社会ほど
とんがり
充足がある社会ほど
平和になっていきます。
このことを理解できる人間はほんとにごく少数で、
社会とは幻想であると見極めるのは、
深い知性と知見が必要です。
人間の多くは意識世界こそが真実で
リアリティーのある世界だと思っていきていますからね。
しかしじつは 本当の真実もリアリティーも自分の
無意識層にあります。
だからこそその不安や恐れを解消するために、
或いは、その不安や恐れのリアリティーを感じて
生命活動が阻害されるのを防ぐために、
無意識を偽装し、
それが反転して意識層でのふるまいへとなっていくのです。
そして
個々の自分をはじめ
様々に世界をフレーム化し
そのフレームのなかでの
共同の幻想をつくりながら
これまで生き延びてきました。
つまり
・個人のフレーム、
・家庭のフレーム
・会社、学校、およびそれぞれの帰属集団のフレーム
・地域のフレーム
・国のフレーム
・民族のフレームなどなど
・宗教のフレーム
・文化のフレーム
などです。
このフレームを創りあげているのは
意識です。
その意識の了解関係においてそれが
あたかも成立しているかのように
人々は思いこんでいるのです。
そして
その意識を規定しているのが
それぞれの固有の無意識領域であり、
個人以外は無意識の共同性が幻想化してフレームを創りあげます。
なぜ幻想化といいますと
それは
昨日も書いたように
脳の閉鎖性と個別性の中で
人間が生きているということです。
だから
ほんとうにそういう社会やフレームがあるのではなく
あたかもあるのではないかと
人間が思いこんでいるだけで
その実体は
ほんとうは定かではないからです。
まあ、バブルという言葉の方が
ピンとくるかもしれませんね
そして
これは私だけがそう思うのかもしれませんが、
有史以来の富と安定を求める人間の意識界のフレームとしての
社会の共同幻想が、
現代はもう限界まできているのにまだ人々は
その幻想の眠りから覚めることができません。
限界にきているというのは、
個人も家庭も地域も国家も民族も宗教も文化も本当は、
それぞれがその固有の無意識の領域から発祥して意識世界=目に見える世界を
蜃気楼のように成立させているのですから、
個人間もそれぞれの家庭間も地域間も国家間も民族間も宗教どうしも、
文化の成立も内容もそれぞれが、まったくことなる(べつもの)であり、
断絶しているのにもかかわらず、なにか共同性や共通性があるような、
なにかしらの利害が一致できるような、
さらにそこにお互いがコミットできるような、
期待や幻想を成立させてこれまで維持して来ました。
ただ同じ人間であるというくくりのみを根拠にです。
しかしそれは現代までの時代に多くの矛盾やそこからの逸脱を露呈してきました。
その代表的なものが個人間では
トラブルや心理的病理であり
それが拡大したものが
戦争や紛争です。
しかし、人々はまだ幻想の眠りの中にいます。
現代は情報社会となり
そのフレームを超えて
情報が世界を駆け巡り
フレーム内の幻想がたち崩れはじめているのに
人々はまだ幻想を追いかけようとしています。
或いはそのフレーム幻想を
維持しようとしている。
そのいい例が
昨日報道されていた
ギリシャです。
もう国家が破たんしているのにまだ
人々は
国家に幻想をもち依存をしています。
それはこの日本でも
ほんとうは内実はギリシャ同様に
深刻なのですが・・・。
実は私が今
いちばん問題にしたいことは
この今までのフレームを逸脱して
どんどん情報が氾濫していく
危機です。
そこには
これまでのパラダイムが
どんどん崩れていくということが起きてくるのですが
その崩れていくことに対しての
方策が
全く考えられていないということです。
それまでの各自、各国、各民族のフレームを越えて
情報が流れるということは、
大変な混乱と危機をうむということを孕んで、
今の時代が始まっているのです。
しかし
人々の意識は
それまでの自分をそのまま
スライドさせているだけです。
これまでは
物質を通して
かろうじて
その幻想社会がバランスを
取っていましたが
情報社会というのは
それまでは
物質に投影させて
意識や心を
交換していたことが
今度は
ダイレクトに
意識や心が
表現され
交換、交流しだすと
これまで
その違いや断絶を
どうにかごまかしてきたことが
もう
否応もなく
露呈してくるからです。
おそらく
たくさんの
想定外のことが
どんどんあぶりでてくると
思います。
今回のイスラムのことも
そのひとつではないでしょうか。
世界中が
特に経済優先の先進国のフレームの利権、
覇権争いの中で
自分達だけしかみえなかった
或いは
自分達だけしか
眼中になかったその隙間から
こぼれ落ちている
人間の精神や意識=宗教性が
怪物のようになって
反撃してきたと
私は思います。
物質文化
経済優先の文化の中で
ディスカウントされ
置いてけぼりにされた
人間の精神世界が
奇形化した世界を生み出したと
思います。
あゝ
すこしくたびれたので
きょうは
ここまでね。
次回は物質文化だとなぜ
幻想の均衡が保てたのか
から
始めます。
映画対談「ロゼッタ・息子のまなざし」
You-Tubeで
アップされました。
映画から自由奔放によみとってみよう
第3回「ロゼッタ」
(伝心柱×村上浩康)映画監督ダルデンヌ兄弟
1時間半近い対談時間ですが
是非
ご覧ください!
第2回「オアシス」映画監督イ・チャンドンの世界
!
第一回「こわれゆく女」より
映画監督 ジョン・カサヴェテスの世界。
私も景気回復、経済成長が望ましい未来ではないと思います。過去のような成長が望めるわけはない。けれど現首相の言葉は経済的に豊かに暮らせることが幸せであると言っているように感じ、目先の手当てや保護を餌にしているように思い、政治にもうんざりしています。首相の姿は海外にも、国民にも、精一杯虚勢を張っているように見えます。
そもそも先進国や後進国という表現もおかしいですね。
これからフレームを超えて溢れる情報にどう対処するのか。とても難しい問題です。そんな風に考えたことはありませんでした。
人はけっして他人と混じることなく生きており、お互いの尊厳を認めることが大事なのだとあらためて思います。それを実践していくことはとても難しいのですが、自分のできることから進めていこうと思います。