夢から醒めるということが、人間はもう心しか残っていない?! |
その空いた手で
道具と火をつかうことで
他の動物たちとは圧倒的に違う
脳を獲得してきました。
つまり
人間は自分の欲望を
自分以外の
物質を対象化することで補い
その文明を作りだしてきました。
対象化するということは
それらの物質の中に
自分の心(思い)や行動を投影させて
可能性を読み取り
それが
人間にとって
どのように有益で
役に立つかというのを
ずーっと考え続けてきたと
いう事です。
そういう人類史の中で
現代まで
ずーっと
物質の中に可能性を読み取り
<物>によって
自分達を充足させ
豊に
幸福になろうと
してきました。
だから
<物>というのは
常に
人間と人間の関係の間にあり
人間は
物を使って満たされ
物を使って表現し
物を使って
関係をつくり
つまり
物を媒介にして
世界を創ってきました。
勿論<物>の中には
お金も入ります。
そういう
人間の関係のいわば
クッションとして
<物>があるからこそ
本当はとても厳しい関係である
人間と人間の関係を
緩和し
自分のこころを
物で代用することで
なんとなく
バランスをとってきたのだと
思います。
欲望を物で満たすことは
勿論のこと
例え孤独であっても
物で自分を満たしたり
あるいは物ではありませんが
ペットで代用したりと・・・です。
さらに
物に自分のこころを映しこむから
物に好き嫌いができるのであり
物を通して
自分を感じ
また物を通して
関係性をコントロールしたりと
まあ、
物質ということが
いわば
コミュニケーションの道具でもあり
自分を防衛したり
自分と他者との関係の
緩衝剤であったり
と
物への依存の中で
生きてきたと思います。
そしてそこにできてきたのが
人間社会の関係を
物質の獲得と流通と消費といふうに
外在化させる
<経済>というシステムです。
ずーっと
<経済>が有効に働くことにより
人間社会の矛盾を
なんとか止揚しようと
してきましたが
現代は
<経済>があたかも
オールマイティであるかように
錯覚し、
依存し
結果
その<経済>が化け物化して
逆に
人間が
<経済>に
マインドコントロールされてしまうようになったと
私は思っています。
同様に
今度は
コンピューターという
事によっては
人間より優れている<物>が
出現してきたことで
もう世の中は
物だらけになり
物なしには
生きることが
たちゆかなく
なりました。
それでも
ついこの間までの
物質社会は
人間の欠損部分を
物で補い
関係性を物で
緩和するという社会でしたが
インターネット社会は
物からさらに
情報主流の社会となり
そこにはコンピューターが
人間の代理をすることと
引き換えに
人間は
だんだん脇役となり
さらに
個々に分断されて
人間の関係すら
物が
支配するようになりました。
人間と人間が
生々しく触れ合い
その
温度を持って
関係する
関わるということを
ジワリジワリと
奪いはじめています。
そして
人工知能すら
創りだそうというのですから
恐ろしいことに
今度は
人間が物から
身ぐるみはがされて
疎外されて
逆に人間の無能化が
始まるかもしれませんね。
つまり
これまでの
<物>によって
バランスを取り
<物>によって
自分を補足し
<物>を
保護膜のように
使って
他者との共同世界を構築していたのに
もう
物がすべてを物代行して
物ですべてが処理される時
人間にのこされたのは
その<心>しか残っていない
いう事に
なってきた…ようです。
心以外は
ほとんどを物が代行してくれる。
しかし
それは
これまで心をなんとなく
物でごまかしてきたのが
もう
ごまかせなくなる。
そして
もう偽装できなくなっや
その心が
ダイレクトに
外へと
さらされるということが
或いは
外へと
放りだされるということが
起きてきています。
ダイレクトに外にさらられる、又は
ほおりだされると
いうのは
自分の心を外へ放出せずには
いられなくなるとことです。
同時に
その放出された
心の働きに対して
自分以外の人間や社会からの
ダイレクトな反応がそのまま
その人間に返って来ると
いうことです。
すでにもうそういう現象がおきていますね。
・ブログを書くというのも
自分を直接表現し
受け入れられたいという
欲求の精神活動ですし
・ツイッターというのも
自分の心を吐き出したいという
心の欲求です。
そしてできたら
他者の共感を得たい!
さらに
・匿名名で言いたい放題のことを書きこむ
というのも
また
・ブログが炎上するということも
すべて、
人間が飽和状態になった物社会の中で
さらに情報によって囲いこまれ
全てがもぎ取られてゆく中で
人間に残されたのは
・心しかない・・・ということの
表れだと
思います。
心だけが
人間が実感を持って
いじくれる対象となっていると
いうことではないでしょうか。
そして
それを
無意識にやってしまっているのです。
だからブログもツイッターも
インターネットのSNSも
表面的には
情報の交換と開示になっていますが
その裏には
そういうことでしか
繋がれなくなった
人間の退行した姿が
垣間見えてきます。
生々しい息を吐きながら言葉を交わし
汗ばむ手で握手し
時に感情が激しながら
口論したり喧嘩をする
という
生きものとしていきている
リアリティーが
どんどんフェイドアウトしているように
思います。
そして
匿名というのは
いわゆるシャドウ現象で
自分の姿はどこかに隠しておいて
自分に攻撃が
こないようにしておき
でも
表現と攻撃だけは
関わりたい
という
まあ
ネガティヴィな精神活動です…・苦笑!
その底にあるのは
もう
<物>では満たされなくなった人間の
フラストレーションが
毒ガスのように
溜まっていて
そのガス抜きをするために
他人がつまづいたり
ちょっとドジったりすると
「待ってました。」とばかりに
匿名で攻撃する。
ただね、
まだまだ幻想の夢から
醒めていない人間は
そのフラストレーションする心も
自分を直接表現しよとする心も
昨日も書いたように
自分を取り巻くフレームを
飛び越えてしまっていることには
気が付いていないのです。
その幻想の範囲内で
着地していると
思いこんでいる。
しかし
幻想は確実に
フレームがひび割れるように
或いは
氷山が溶けるように
こわれているのですがね~。
その事はもし
書けたら今日の午後
に
書けなかったら
次回に書こうと
思います。